中上健次が「長雨」に魅せられた理由。朝鮮戦争を描いた文学と日本の文壇との関わり/斎藤真理子の韓国現代文学入門【3】

文=斎藤真理子
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ジョ・ヨンイル『柄谷行人と韓国文学』

 当時は村上春樹と村上龍の全盛時代が始まりつつあるころでした。中上は日本の文学界について、「若い世代だけでなく(中略)僕より上の世代も貧血症状を呈していて、血が薄い」と対談で述べています。彼には、「長雨」には貧血に陥った日本文学に刺激を与える根源的・本質的な力があるという直感があったのでしょう。

 この直感は中上だけのものではなく、例えば文芸評論家の秋山駿は、「長雨」と村上春樹の『風の歌を聴け』を対比して、「尹氏のが、現実の重さを探求したものだとすれば、これは、現実のいわば軽さを、明確に即興演奏したものである」「この作品集(長雨)は、その鮮烈な現実感によって、稀薄な日常をしか描かぬわれわれの今日の小説の弱点を、正確についている」(『生の磁場 文芸時評1977―一1981』小沢書店)と述べました。

 もう一人、「長雨」に注目していたのが柄谷行人です。柄谷は「長雨」に比較しうる作品として大江健三郎の「飼育」と深沢七郎の「笛吹川」を挙げ、これら日本の作品と「長雨」の間には根本的な差異が存在しており、そこにこそ衝撃を受けたと言っています。

 その差異は「根底のなさ」という言葉で説明されています。具体的には、「長雨」において長雨が降っている、それがもし日本文学であれば雨が何かを象徴したり、何らかの含意を持つのであろうが、尹興吉の雨は、「文字通り雨が降っているという感じがする」、と感じたというのです(「根底の不在――尹興吉『長雨』について『批評とポスト・モダン』福武文庫、1985年より要約)。中上健次の表現を借りて言い換えるなら、それは「近代文学のパースペクティブを欠いている」ということになります。

 つまり、尹興吉の作品に充満する、近代を無化してしまうような何らかの力に瞠目せざるをえなかったということかと思われます。

 尹興吉に関する柄谷行人の発言と韓国での反応については、韓国の気鋭の評論家ジョ・ヨンイルが『柄谷行人と韓国文学』(高井修訳、インスクリプト、2019年)で論じています。

 ともあれ、このように高名な作家・評論家がこぞって尹興吉に言及していたことに改めて驚きを感じますが、今思えば、これらの衝撃のかなりの部分は、先に見てきたような朝鮮戦争の本質を知ったことによるものだったのではないかと思います。

 もしかしたら彼らは、ベトナム戦争に遅れて朝鮮戦争を、この戦争の「子どもにとっても牧歌的ではありえない」本質を発見したのかもしれません。

 朝鮮戦争をよく「同族相食む」などと形容しますが、中上健次をはじめとする文学者は、また日本の読者の多くは、「長雨」によって初めて、その内実に接近したのではないでしょうか。

 「長雨」の悲劇は、同族の兵士たちが互いに銃を向け合うといったレベルをはるかに超えています。一つの村の中に、誰がいつ敵になるかわからないという恐怖がとぐろを巻いているのですから。

 イデオロギー対決が行きわたった村では、戦闘ではなく、即決主義による処刑で人々があっという間に死んでいきました。誰かを生かすためには誰かの死を見殺しにするしかないという張り詰めた掟が、家族の中に入り込んできます。

 男たちは兵隊や働き手として連れて行かれ、女たちは生存をかけて四方を警戒しながら作物を収穫して料理をし、ごはんを食べ、子どもの世話をし、布団を敷いて眠る。ここでは先にも書いたように、前線と銃後の区別が曖昧です。戦争と生活がここまで傷と膿のように一体となった状況は、日本の人々が経験したことのないものです。

 1980年6月に中上健次と尹興吉は、ソウルで1週間にわたって対談を行い、『東洋に位置する』(作品社、1981年)という本まで出版しています。その中で中上が次のようなことを言っています。

「朝鮮戦争というもの、戦争が引きおこした民族の中の亀裂、痛みとか願いとかそんなものが海をへだてて住む僕なんかに伝わる、ああ、なんでこんな大事な大きな悲劇を知らなかったんだろうと、尹興吉を通して感じた、そんなふうな実感が自分でもあった」

 これはこの対談本の中でもかなりナイーブな方に属する発言です。しかし40年後の今、韓国が民主化され、ドラマとかKポップとかK文学とかいろいろな文化が日本に広く行き渡った今日でも、「なんでこんな大事な大きな悲劇を知らなかったんだろう」という部分に関してはそれほど変わっていないのではないかと思います。

 それを踏まえて今、改めて「長雨」を読み返してみると、非常に不思議な気がします。中上健次は尹興吉に入れあげたと言っていいと思いますが、とにかく「長雨」一本やりといっていいほど、この作品に集中して注目していたのです。なぜ、この作品なのか。

 その答えはやはり「雨」にあると思います。「長雨」の最後で、反目しあっていた祖母二人は和解します。また、幼い主人公も、祖母との間のわだかまりを解きます。

「臨終の席で、祖母はぼくの手をとり、ぼくの過去のすべてを許してくれた。ぼくも心の中で祖母のすべてを許した」。

 しかし物語はここで終わらず、「ほんとに厭になる長雨だった」。と言い添えて終わります。

 この一行があるために、物語が終わってもまだ雨が降っているような気がします。あたかも、祖母たちの努力で叔父の魂は慰められたとしても、終わってはいないぞといわんばかりに。

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