中上健次が「長雨」に魅せられた理由。朝鮮戦争を描いた文学と日本の文壇との関わり/斎藤真理子の韓国現代文学入門【3】

文=斎藤真理子
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鄭智我『歳月 鄭智我作品集』

 最後に、「長雨」に出てくる朝鮮戦争当時のパルチザン闘争について補足説明しておきます。このこともまた、朝鮮戦争の特性を理解する上で必要なことです。

 解放後の46年、地下に潜っていた朝鮮共産党が他の政党と合流して南朝鮮労働党(南労党)が結成されます。しかしまもなく米軍によって非合法化されたため、首脳の朴憲永(パク・コニョン)らは北に亡命しました(朴は後に金日成によって粛清)。 

 しかし首脳部が北に行った後も、南労党の地下組織は南で活動を続けました。ここに、南北をまたいだ革命家の動きというラインが引かれ、以後、朝鮮戦争に向かって彼らの闘争の様相も複雑化していきます。

 47年、48年と南北対立が激化していく中、何度かのゼネスト闘争を経て、逮捕を逃れた人々が山岳地帯に入ってゲリラ闘争を行うようになります。先回、麗羅という在日コリアンの作家を紹介しましたが、彼が慶尚南道の田舎町で教師として働きながら、南労党の秘密党員として活動していたのがこのころです。

 48年に済州島で起きた4.3事件にも南労党の指導部が強く関わっています。この武装蜂起に際しては軍隊の他に右翼団体が大量に送り込まれ、漢拏(ハルラ)山麓で大規模なパルチザン闘争に発展、約8万もの島民が犠牲になったとされています。

 また、この4.3事件を掃討するために派遣された軍隊が全羅道の麗水・順天(ヨス・スンチョン)で隊まるごと反乱を起こし、その残党が智異山(チリサン)をはじめとする山岳地帯にこもり、長く絶望的な戦闘を繰り広げました。彼らがすべて掃討・鎮圧されたのは、朝鮮戦争が休戦に持ち込まれた後の1957年です。

 自らパルチザン闘争に参加し、『南部軍』(安宇植訳、平凡社、1991年)という記録を書いた李泰(イ・テ)によれば、1949年から5年あまりに及んだ智異山地区における共産ゲリラ掃討作戦による交戦回数は1万717回、戦没兵士および警官は6333人だそうです。これに対してパルチザン側の死亡者数はざっと見積もって1万であろうというのが、李泰の推測です。

 停戦協定が結ばれた後も、北朝鮮首脳部は彼らに対して何の措置もとらなかったため、パルチザンたちは見捨てられた形となり、のたれ死ぬか、見つかって射殺されるか、投降するしかありませんでした。

 その中には確固たる思想を持った共産主義者もいたでしょうが、貧しい身の上で、世の中が変わらない限り勉強をする機会もなく、下男・下女として一生を終えるしかないと思っていた人々や、李承晩独裁政権の横暴を許せなかった正義感の強い市民、若い理想主義者や芸術家志望者といった人々もいたはずです。

 しかし彼らはひとまとめに「共匪」とされ、市民の敵と目され、韓国では長らく、パルチザン闘争のことは歴史上のタブーとされてきました。生き残りの人々が体験を語れるようになったのは、民主化以降90年代に入ってからのことです。

 李泰の『南部軍』は1988年に出版されましたが、初めてパルチザンの真実が明らかにされたということでベストセラーとなり、90年には同タイトルで映画化されました。

 しかし一方では、両親が智異山でパルチザンだったという作家、鄭智我(チョン・ジア)の書いた小説『パルチザンの娘』は、90年に出版されたものの、すぐに国家保安法違反という理由で発禁処分となりました。まだまだナイーブな話題だったことが読み取れます。

 鄭智我はその後、96年に文学新人賞を受けて正式に小説家デビューし、2005年には『パルチザンの娘』も刊行されました。

 日本では、『歳月』(橋本智保訳、新幹社、2014年)という短編集が出ていますが、ここにも、パルチザン闘争を経験した人物が老境を迎えて往時を振り返るさまがとても味わい深く描かれています。こちらは現在もちゃんと読むことができますので、興味のある方はぜひ読んで見ていただきたいと思います。

 鄭智我が子どものころ、父はずっと刑務所にあり、自宅には常に警察が出入りしていたそうです。この歴史の一側面を書いて出版するのに、約50年かかっているわけです。

 尹興吉が「長雨」のモチーフに使っているのも智異山のパルチザン闘争ですが、これが書かれた70年代当時、父方の叔父を、理想に燃えてパルチザン闘争に参加した青年として描くことは不可能でした。

 民主化前の韓国の文学を読む際には常にそのことを頭の片隅に入れておく必要がありますが、そのことがかえって作品に強度を与える場合すらあり、中上健次はそんな「長雨」の強さをいち早く見抜いていたというべきでしょう。

(斎藤真理子)

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