2020年9月16日、安倍晋三政権が終わり、菅義偉内閣が発足した。日本のメンタルヘルスにとって、7年8カ月もの長期にわたった安倍政権とは何だったのであろうか。本記事で、まず安倍政権下の厚生労働大臣人事を振り返り、行政トップに見られる「安倍政権色」の内容を確認し、ついで安倍政権下で起こった出来事を整理してみよう。
安倍政権下の厚生労働大臣たちはメンタルヘルスに関心があったのか
2012年12月に発足した第二次安倍政権以後を振り返る前に、歴代の厚生労働大臣を確認しておこう。
第二次安倍内閣(2012年12月~2014年9月) 田村憲久
第二次安倍内閣 改造内閣(2014年9月~2014年12月) 塩崎恭久
第三次安倍内閣 第二次改造内閣まで(2014年12月~2017年8月) 塩崎恭久
第三次安倍内閣 第三次改造内閣(2017年8月~2017年11月) 加藤勝信
第四次安倍内閣 (2017年11月~2018年10月) 加藤勝信
第四次安倍内閣 第一次改造内閣(2018年10月~2019年9月) 根本匠
第四次安倍内閣 第二次改造内閣(2019年9月~2020年9月) 加藤勝信
そして菅内閣では、田村憲久氏が再任されている。田村憲久氏は、30歳で世襲政治家の道を歩みはじめるまで、血縁者が経営する建設会社に勤務していた。同じく世襲政治家の塩崎恭久氏は、43歳で政界に転じるまでは日本銀行に勤務していた。元大蔵官僚だった加藤勝信氏は、政治家の婿となり、40歳で政界に転じた。建設省の官僚だった根本匠氏は、42歳で政界に転じた。経歴を見る限り、健康や生活や労働の専門家としての経験は誰にもない。
とはいえ、「厚生労働行政に無関心だった人々」であるというわけでもない。田村氏は、2002年に発足した第一次小泉内閣で厚生労働大臣政務官を務め、2010年に自民党がシャドウ・キャビネットを発足させると厚生労働大臣に就任し、2012年末の政権交代で本物の厚生労働大臣に就任している。
塩崎氏と加藤氏は自民党若手政治家の一員として、1990年代には既に福祉や社会保障の見直しを検討していた。福島県出身の根本氏には、東日本大震災と復興を通じた福祉や社会保障との接点もあったはずである。主に「官から民へ」の制度改革や費用削減や効率化の観点からではあるが、厚生労働行政への一定の関心はあったと見てよいだろう。
歴代の厚生労働大臣に、メンタルヘルスへの関心はあっただろうか。筆者は、「メンタルヘルスの課題を抱えた個人の人権や幸福を焦点化した人々はいないが、全体として無関心というわけではなかった」という印象を持っている。
民主党政権下の2011年7月、厚生労働省は、それまでの「四大疾病」であったガン・脳卒中・急性心筋梗塞・糖尿病に、精神疾患を加えて「五大疾病」とした。このことに対しては多様な評価が可能だが、少なくとも、現代の「健康」概念の中で、身体の健康と精神の健康は不可分な存在だ。精神疾患を含む「五大疾病」が厚生労働省の公式用語として認められ、日本社会に広く普及しはじめたことの意義は小さくない。第二次以後の安倍政権下の厚生労働大臣たちも、「自民党政権に戻ったら、メンタルヘルスへの取り組みが後退してしまった」という印象を与えることだけは、なんとしても避けたかったのではないだろうか。
新自由主義的に社会の「生産性」を重視する立ち位置からも、メンタルヘルスの問題は避けて通れない。精神疾患やメンタルヘルスの課題が存在すると、「生産性」が低下するだろう。また、福祉や社会保障に対するニーズも増大させるだろう。少なくとも第二次以後の安倍政権下の厚生労働大臣たちにとって、このことは重要な取り組み課題の一つであったはずだ。
筆者の印象では、第二次以後の安倍政権下の厚生労働大臣たちのメンタルヘルスに対する関心は、決して低くなかった。しかし関心の方向性は、社会の「生産性」を高めたり、福祉や社会保障ニーズの増加を防いだり、犯罪の可能性を減らしたりすることにあった。
なお、2名の厚生労働副大臣のポストには、自民党と公明党から1人ずつ就任している。