安倍政権の歴代厚労大臣からみる「メンタルヘルス」への関心

文=みわよしこ
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どのような資質が厚生労働大臣にふさわしいのか

 2014年、内閣人事局が設置されて以後は、各省庁の幹部職員人事は内閣にコントロールされている。内閣人事局の設置は、第一次安倍内閣下の2007年から検討されていたが、実現したのは政権交代と政権再交代を経た後だった。いわば、安倍政権の悲願の一つが実現した形である。

 菅政権下で、内閣が各省庁を直轄する方向性はさらに強まることが危惧されている。新型コロナウイルス対策を理由として、菅政権が厚生労働省の解体に取り組む可能性も取りざたされている。厚生労働省のトップであり「顔」でもある厚生労働大臣が誰であるかは、良くも悪くも、これまで以上に社会を大きく左右しうる。財務省の立場、あるいは民間企業的な国家の経営という立場で、厚生労働大臣が健康や医療や福祉や社会保障に影響を及ぼすことを、私たちは歓迎してよいのだろうか? 前項で見たとおり、2012年以後の自民党政権下の厚生労働大臣たちは、誰ひとりとして、健康・医療・福祉・社会保障・労働問題の専門家とは言えない。

 もちろん、閣僚の仕事は行政のトップマネジメントである。その省が抱えている課題の各論に立ち入ることではない。加えて、高い専門性があれば「厚生労働大臣にふさわしい」というわけではない。専門性は、その専門家の社会の「中の人」であることと不可分だ。行政は、あらゆる人々や地域や業種に対して、公平性と中立性をもって行うことが期待されている。専門性と行政には、基本的に相容れない部分がある。

 たとえば、精神科治療薬を製造・販売している企業で長年にわたってキャリアを構築してきた専門家は、精神科での薬物治療や薬剤そのものについての知識や経験は充分に有しているかもしれない。しかし、その専門家が厚生労働行政のトップに就任する場面では、「わが業界のために、精神医療での薬物使用を増やしてもらおう」と期待する同業者たちが大いに後押ししているはずだ。そういう専門家は、厚生労働行政のトップにはふさわしくない。

 行政の立場で経験を積んできた元官僚には、一定の期待をしてよいのかもしれない。厚生労働省職員だった経験を持つ人々は、日銀や財務省や国土交通省の職員だった人々に比べれば厚生労働行政に詳しいはずだ。しかし日本においては、厚生労働省の医系技官を除き、その課題の「専門家」ではない立場から行政方針を定めて実施することが、官僚の役割である。

 では、第二次以後の安倍政権下で厚生労働大臣を務めた人々のように、厚生労働大臣の主な関心対象が国家財政であることは、望ましいありかただろうか。これも「否」だろう。財政の課題を避けて通ることはできないが、日本の多くの人にとって、人命や人間の価値がいちいち金額換算されて評価されるだけの厚生労働行政は、今風に言えば「こんな厚生労働大臣はイヤだ」であろう。

 どのような厚生労働大臣が好ましいのだろうか。極論を言えば、善政を布いてくれれば誰でも良いのかもしれない。では、誰が善政を布いてくれそうなのだろうか? この議論は、堂々巡りにしかなりそうにないため、踏み込むのは避けておきたい。しかし時に、「誰が大臣なのか」は、影響を受ける誰かの運命を大きく左右する可能性がある。

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