乳離れしない国で、母乳信仰に振り回される女性たち/『乳房のくにで』深沢潮インタビュー

文=山田ノジル
【この記事のキーワード】

「赤ちゃんはみんな母乳で幸せにならないとね」
「おっぱいをあげている女性の姿は、何よりも美しいわね」

 さまざまな立場の女性から語られる言葉。その優しいセリフは、裏を返すと「母乳がでなけりゃ母親失格」「赤ちゃんのためには、絶対母乳でなければならぬ」という呪いです。そんな「母乳神話」に翻弄される女性たちを描いたサスペンス『乳房のくにで』(双葉社)が、9月に発売されました。

 日ごろ育児出産周りのトンデモに注目している私としては、待ちに待った単行本化! 著者である深沢潮さんの作品は当連載で過去、子宮系女子周辺をモチーフにした小説をご紹介していますが、今回はご本人に登場いただき、この小説を書いた背景や、ご自身の育児体験などをうかがいました。

 物語に登場するのは、政治家一族の「乳母」として働くことになったシングルマザーの福美。「嫁失格」と罵られながら、授乳を取り上げられるご同家の嫁である奈江。そして母乳教の姑・千代。単なるキャットファイトだけじゃない、社会の歪みも突きつけられる、心底おっそろしい小説です(ちなみにラストには救いがあり、読後は明るい気持ちに)。

――この小説は文芸誌「小説推理」(双葉社)連載時から拝読していましたが、そのときはタイトルが「ナニィ」でした。『乳房のくにで』に変わったのはなぜでしょう。

深沢潮さん(以下、深沢):書いているうちに、乳母(ナニィ)だけの話ではなく、もっと大きな枠、国の話しになってきたんですよね。そうしたら、大学生の息子がこのタイトルを思いついたんです(笑)。インパクトがありますし、自分にはこの発想がなかった。しかし「国」といっても「国家」というよりは、自分をとりまく世界という意味のほうが強い。そこでしっくりくるよう、ひらながで「くに」としました。

――この物語が生まれた背景は、やはりご自身の体験も大きく関わっているのでしょうか。

深沢:もちろんです。昔の写真を見ていたら、授乳している写真があったんです。当時は捨てるほど母乳が出ていたので「コレ人にあげられるなぁ」なんて、自分を動物のように思っていたプリミティブな感じも思い出されて。

 おっぱいあげている母親って万能感ありませんか? 子どももすごいくっついてきて、母親(おっぱいをくれる人)じゃなきゃだめってなるし。そんなあたりから思いついたのが「現代版・春日局」です。おっぱいで国を牛耳る話を書いたら面白いんじゃないかと。

――江戸幕府3代将軍・家光の乳母! 江戸時代きっての女性政治家ですね。母乳の力で立身出世。

深沢:春日局は家光を優先してきたから、自分の子どもとは疎遠になり、大人になってからもかなりの軋轢があったそうです。春日局の資料を読んでいて、そりゃそうなるだろうな~と、思いましたね。そのあたりも、だいぶ参考にしました。そうして連載が始まったんですが、書いてるうちに、乳母となる福美だけでなく、子どもの授乳を奪われる側である奈江も重要な登場人物になっていき、主人公がふたりみたいになってきました。

――秘密のネットワークで乳母を雇い、母乳を与え、嫁を貶める姑・千代の存在感もすさまじかったです。いや存在感といいますか、トンデモ信者っぷりが(笑)。主人公を雇う助産師の廣瀬さんも同様に母乳信者なんですが、「子どもは国の宝です!」というセリフが強烈でした。子どもや母乳は、誰のもの? と考えさせられます。

深沢:あのセリフは象徴的に言わせていますね。小さいと思っている自分の世界が、実は大きなところにつながっていて……ということを示しています。

――単行本化するにあたり、監修に小児科医の森戸やすみさんが入っていますね。それによって連載時から変わった点などあるのでしょうか?

深沢:「母乳の質は食べ物で変わる」「母乳育ちのほうがIQが高い」といったことを語るシーンがあるのですが、科学的根拠がないという森戸先生の指摘があり、それを語った助産師もあとから知識が更新され、考えを改めたという描写を加えました。

 この物語において彼女はカルト的に母乳神話を信じている人物で、本来なら更新されない部分なんでしょうけど、万が一読者が信じてしまう可能性もあるといけませんので。私自身も情報が古く、一部信じていた部分もありましたので、監修していただいてよかったですね。

 「妊娠中に授乳していると流産しやすくなる」という部分は、森戸先生曰く「根拠はないが、いまだそう言う医師もいる」とのことで、話しの展開にも影響してくる部分があり、あえてそのままにしています。参考文献も、単行本に掲載した以外にも内容がだいぶ怪しいものをいくつか読んでいますが、読者がそれを参考にされると困るので、ここもあえて入れていません。

――ご自身の母乳育児経験に加え、SNSでもいろいろな発信がされているのも参考にされていますか?

深沢:見てます見てます。「母乳のほうが情緒が安定する」とか「頭がよくなる」とか、よりカルト化しているなと感じますね。私が母乳育児をしていた20年くらい前もそういった言説はありましたけど、当時はもうちょっと、より健康に留意してるほうが多かったような気がします。

 私自身は母乳が出なくて困るということはありませんでしたが、夜泣きもすごかったですし、おっぱいしか欲しがらず、離乳食もなかなか進まない。ミルクにしたら夫に授乳を頼めるのに、と思いました。また、断乳すれば、離乳食も食べるかもしれないのに、実母や周りから「母乳をやめちゃいけない」と言われる。おかげで私は寝不足でいつもふらふら、こどもは鉄欠乏性貧血※になりました。当時、ママ友も結構いたんですが、そのコミュニティでも「おっぱいはつづけようね!」みたいな圧がすごくて。

※生後6カ月以降に母乳のみで栄養を摂っていると、鉄が不足するリスクが高まる。母乳をやめたり減らしたりする必要はないが、月齢に応じた離乳食やフォローアップミルクを与えたほうがいいとされている。

――ああ、私の友人も10年ほど前SNSに「母乳出ないからミルクにした」と書いたら、同級生が「おっぱいをあきらめちゃダメ!」とアツい書き込みをしていました。当時私は子どもがいなかったので母乳神話のことは知らず、一体何が起こっているんだ……と蚊帳の外でしたが。

深沢:ママ友コミュティの中にもミルク育児をしていたお母さんはいるんですが、何か罪悪感を覚えている感じの人もいました。こちらには「おっぱい出ていいわね」と会うたびに言ってくるし。

 桶谷ママ※も多かったですね。みんなでお茶しましょう~と、桶谷ママのお家に呼ばれたとき、私がうっかり手土産にケーキを持っていってしまったんですよ。そうしたらもう、白い目で見られてしまって(笑)。そういった界隈では乳製品や高カロリーのものは母乳によくない! と信じられているので、蒸したお芋とかがおやつの定番なんですよね。そのお母さんは、食べ物の気をつけ具合っていうのが本当にすごかったんで、ちょっと私も反省したぐらい。でもおっぱいあげてるときってカロリー取られるから、お腹がすくじゃないですか。薄味の煮物とかじゃ全然満足できなくて、カルボナーラやBLTサンドイッチ、かつ丼などを好んで食べていました。

※「桶谷式母乳育児」を実践する母親の意(こういった通称があるわけではない)。全国に相談室があり、独自の手技と指導で母乳育児を支援している。

――『乳房の~』でもおやつは季節のフルーツとか、乳母になった福美に用意される献立も、すごくリアルでした。質素だけど、とっても贅沢。栄養的には何も間違っていないですし、健康に配慮した素晴らしい食事。でもそれが母乳神話に基づいたものだと思うと、モヤっとしてしまいます。

深沢:当時私の周りには長いあいだ不妊治療をして、結構高齢で産んでいるようなお母さんが多かったんですよ。そういう方たちが、母乳がアイデンティティみたいになりやすかったように思います。やっとできた子どもだと、自分の中で普通以上の価値になるという心情はじゅうぶん理解できますが、「おっぱいあげてるときは本当に幸せなの」ってトロンとした目で言われてしまうと、この人おっぱいあげなくなったら喪失感あるんじゃないの!? と心配になってしまいましたね。

――そして、さまざまな呪い=トンデモがそこにつけこんでくるわけですね。今はさらに少子化高齢化が進んでいますから、そんな気持ちに加え「数少ない子どもをどう成長株に育てるか」みたいな空気が加わっている感もありそうです。母乳の成分そのものは変わらないのに。

深沢:子どもって本当に自分の思い通りになりません。うちの子どもたちはもう成人していますがいまだに憎らしいことをしますし「あんなに一生懸命育てたのに!」という思いをさせられる。早期教育もあれこれ行きましたが、今となってはやらなくてよかったんじゃあと思っています(笑)。

 もちろん一生懸命子育てするのは当たり前なんですが、あまりにも子どもに心血を注ぐのはどうかと。当時は胎教もすごく流行っていて、私も踊らされましたが、それが今の時代にもつづいているのを見るとなんとも言えない気持ちになりますね。しかもさらに先鋭化している。最近って小さい頃からヴィーガンにしたり、医者にみせなかったり。「自然なお産」にこだわる産み方や、母乳教もそう。なんかひとつのことを信じたら、ほかのことを聞き入れない感じ。こだわりより、宗教に近いなと思います。

――小説に登場する母乳教の姑・千代さん。彼女は母乳語りだけでなく、比較的最近の物件である胎内記憶ネタで嫁を責める攻撃も繰り出してきて、よく研究している姑だな! と笑いが漏れてしまいました(笑)

深沢:千代は、昭和の頃に育児していた女性という感じで書いています(笑)。あのころは、ミルクが推奨もされていましたが、千代は自分が母乳が出なかったから、逆に母乳にこだわるというキャラにしています。そして、ミレニアムのころの情報も仕入れて、まるで自分が育てているかのように干渉する。私の実母もすごく母乳信仰が強くて、実家で授乳していると横でジーっと見ているんですよ。ちょっと子どもから目を離すと、「見てないと!」と大騒ぎ(笑)。そのイメージも入ってますかね。

――千代が呪いをあれこれぶっこんできますが、結局彼女も被害者なわけですよね。呪いをとくことができないと、次の世代に呪いが連鎖する。まるでホラー小説の説明をしているようですが、これが現実でも実際にあるというのが本当に怖いところで。

深沢:昔よりもさまざまな情報にアクセスしやすい時代になっているのに、逆におかしな方向に行っていますよね。サークルが簡単に作れちゃうので、その人たちでお互い補強しあうんですかね。

 この物語の家族感や価値観に関しては、日本会議※などの本を読み込んで書いています。日本全般がこうだ……というよりは、ヒエラルキー上層部の権力者たちが、こうであるという世界観です。人を役割でしか見ない。男性たちは子どもを育てることに参加する意思があまりない。そういった価値観を見ていると、つくづくこの国は、乳離れしない国だなと。どんな場面でも、女性が人をケアする役割を求められる社会です。

 会社でもそうじゃないですか? ちょっと年上で面倒見がいいと「職場のお母さん」。小説やドラマの探偵モノも、小料理屋で世話をしてくれるのは、好きなつまみを作ってくれる母親っぽい女将。そうやってあらゆる女性が、乳母にされている。

 みずからその人を助けるっていうのは全然構わないのですが、社会の圧でみずからそうしてるような形にさせられて、実は搾取されている。それが喜びだよと、刷り込んでくる感じがすごくあります。今は「自助・公助・共助」なんて言われてますが、自助が増えれば、そのケアをさらに求められるんじゃないでしょうか。

※日本の保守主義・ナショナリスト団体。「国の伝統」を重視し、夫婦別姓や男女共同参画に反対するなど、復古的な価値観が特徴。多くの政治家が所属している。

―――バリキャリ系の奈江が、姑から責められるシーンでは、同じ体験をしている人も多いだろうなと思いました。家庭に入って、夫と子のケアに専念しないから、ですよね。

深沢:奈江が姑に責められるように、本当に日本は優秀な女性を貶めるような光景がめずらしくありません。

 たとえば優秀なアスリートを「女子力が低い」という目線でからかったり。私の知人に医師の女性がいるんですが、すごく優秀なのに姑が家事能力に難癖をつけていじめる。扱いやすくてかわいくて男性ウケする女、という社会の欲求に過剰反応している人が一番生きやすいのって、歪んでいます。そのうえで妻としても母としてもしっかりしなさい……なんて、そんな何もかもできませんよ。

 私はシングルマザーなんですが「母性を忘れたら承知しないぞ」みたいな圧もすごい。「あなたが母親としてしっかりしないから」とママ友に何度も言われたり、冷凍のおかずをお弁当に使っただけで非難されたりもしましたしね。

――一般的に「女の敵は女」なんて言葉がありますが、女に問題があるのではなく、社会の構造に問題がある。母乳教も結局、そこが呪いの発端なんですね。

深沢:前作『かけらのかたち』(新潮社)も女性同士の関係性を描いたものですがわりとキャットファイトで、個人が問題を克服する物語で終わっています。今回すごく意識したのは「その先」です。個々の問題を解決するのもカタルシスがありますが、なんか今はもうそういう段階じゃないなと思っています。

 私たちは枠組みに入れられていて、欲しくもないマスクが送られてくるんだよという状況。みんなが社会の枠組みの中の被害者なので、手を取り合ってこの状況を変えていきたい。そういった考えを持って書きました。母乳が出るとか出ないとか、自分ではどうしようもないところで分断させられる。それは女性が望んでやっていることではありません。

――母親たちを振り回す母乳神話にはじまり、古い時代の価値観の押し付けや今の社会の歪みも鮮やかに描き出している『乳房のくにで』。この物語を読んでいると、日ごろ感じているモヤモヤの正体が、浮かび上がってくるようでした。ついでに育児系トンデモの答え合わせとしても、ワクワク感もハンパなし!です。

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