友人からの電話
「履歴書から写真欄もなくそう」署名キャンペーンを始めてから、とある見た目問題当事者の友人から電話がかかってきました。彼女は、署名の主旨には賛同するけれど、履歴書に写真欄は残したほうがいいと思うと言い、その理由を話し始めました。
彼女もまた、就職やアルバイト、パートの面接で何度となく差別を受けてきました。だから、面と向かって不快なことを言われたあげく不採用になるくらいなら、自分のいないところで写真を見て不採用にされたほうがマシだと言いました。今でも、ハローワークでパートを探すときは、あらかじめ顔の症状についてハローワークの職員から先方の採用担当者に伝えてもらい、それでもかまわないか確認します。そして、電話で断られたらしかたないと諦めて次を探すそうです。
そういえば、アルビノ当事者である私自身、学生時代に同じようなことをしていました。アルバイトの面接で何度も不採用になり、そのうち面倒くさくなって、最初の電話で金髪でもかまわないか聞くようにして、ダメと言われれば諦めて次を探すということをくり返した覚えがあります。
どっちにしろ差別されるならば、面接で直接差別されるよりも、履歴書で知らぬ間に差別されているほうがダメージは小さいです。だからこれは、いつまでたっても差別がなくならない社会で、少しでも傷つかないために当事者が選択した苦肉の策であり、尊重されるべき対処戦略のひとつです。
だけど、そもそもにして面接での差別がなければ、履歴書での差別を甘受する必要なんてないはずです。だとすれば、当事者ばかりががまんを強いられ続ける現状を変えるために、少しずつ差別の原因を摘み取り、雇用プロセスのあらゆる側面での差別をなくしてくことをめざすべきではないしょうか。
履歴書だけで解決するわけではないけれど
先にアメリカの例をあげたように、面接に進めば対面でやりとりをすることになり、その段階で就職差別が起こるのは事実です。どうせ面接での差別が残るなら履歴書の写真をなくしても意味はないという反論はあるだろうし、実際、そんな疑問がいくつか寄せられました。
確かに、履歴書が変われば差別がまったくなくなって、問題がすべて解決するわけではありません。でも、だからといって、履歴書の写真をなくす取り組みは無意味ではありません。
部落問題を切り口に履歴書の問題点について解説した社会学者の齋藤直子さんは、「人間は差別をするものだ。新しい差別は次々と現れるのだから、どんなに対策をしても差別はなくならない。だから諦めるしかないんじゃないかな」という主張に次のように答えます。
ほうっておいたらどんどん増えてしまうのなら、少しでも減らせるようにがんばるしかないのではないでしょうか。「差別はなくならない」という言葉は、ときに「私はあなたを助けませんよ」「あなたは声をあげても無駄ですよ」と言っていることと同じです。自分のすぐそばで差別や偏見で苦しんでいる人がいるのに、何にもしなくていいってことはないでしょう。(★9)
履歴書から写真欄をなくす取り組みは、一番最初の入り口の差別を取り除くことしかできません。ですが、少なくとも、履歴書が変われば、面接で適正や能力をアピールする機会すら与えられずにふるい落とされてきた人たちが、正当な評価を受けるチャンスを得ることができます。
そしてこれは、見た目問題に限ったことではありません。名前や写真から「日本人らしくない」と推定される海外ルーツの人たちや、履歴書の性別と名前と写真が規範的な「男らしさ/女らしさ」で統一されていないトランスジェンダーの人たちのほか、太っているとか、採用担当者に一方的に美しくないと評価される容姿の人たちとも共有できる問題です。
理想は、採用選考、訓練、報酬、昇進、転職、退職にいたる雇用プロセスのすべての側面での差別がなくなることです。履歴書の写真は、そのための小さな一歩であり、これがゴールではありません。
注
1 M. Adamovic, 2020, “Analyzing Discrimination in Recruitment: A Guide and Best Practices for Resume Studies,” International Journal of Selection and Assessment。
2 玄幡真美, 2005,『仕事における年齢差別――アメリカの経験から学ぶ』御茶の水書房。
3 見た目問題当事者が経験してきた数々の就職差別については、茅島奈緒深『ジロジロ見ないで──“普通の顔”を喪った9人の物語』(2002年、扶桑社)、西倉実季『顔にあざのある女性たち──「問題経験の語り」の社会学』(2009年、生活書院)、『差別禁止法制定を求める当事者の声6 見た目問題のいま』(2017年、部落解放・人権研究所)などで詳しく知ることができます。
4 なお、無事に隠し通して採用が決まったとしても心が安まることはありません。何かの拍子に症状が露見するのではないかという緊張が常にあり、それを避けるために行動が制限されます。親密な人間関係を築けず、通院のための休みをとりたいと相談もできず、仕事が長続きしないというケースも珍しくありません(吉村さやか, 2015,「なぜ彼女は『さらす』のか ――髪を喪失した女性のライフストーリー」『日本オーラル・ヒストリー研究』11)。
5 ハーフやダブルの人たちも、採用選考プロセスにおいて、名前と見た目を指標に差別を受けることがあり、よく似た経験をしています。アルバイトの求人募集に電話して、面接の日時まで約束したのに、カタカナ名を含むフルネームを伝えると「募集が終わってしまったみたいで」と一転して断られることがあります。そこで、カタカナ名は伏せて、電話では日本名の苗字だけを伝えて面接に行ったら、「え、田中さんですか?」と驚かれて結局不採用になったという人もいます(下地ローレンス吉孝, 2018,『「混血」と「日本人」──ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』青土社)。
6 「履歴書から写真欄もなくそうキャンペーン」Nobrog〜ノブログ〜、2020年9月29日。
7 矢吹康夫, 2017,『私がアルビノについて調べ考えて書いた本──当事者から始める社会学』生活書院。
8 トランスジェンダーの人たちは、男女にはっきり分けられた働き方しか示されない社会では、ロールモデルがないために、将来自分が働く姿を思い描くのが困難になります。また、服装や髪型、マナーや座り方にいたるまで二分法的なジェンダー規範にくくられている「あるべき就活生像」を前に戸惑い、就活の入り口にすら立てないと感じるなど、エントリーすることさえ困難な人たちもたくさんいます(三成美保編, 2019,『LGBTIの雇用と労働──当事者の困難とその解決方法を考える』晃洋書房)。
9 齋藤直子「第4回 就職差別ってなに?(後編)」ツバメのかえるところ:はじめて出会う「部落問題」2020年9月14日。