ヴィクトリア朝人は家具の脚が恥ずかしいからカバーをかけたわけではない~イギリス文化と性にまつわる神話探訪

文=北村紗衣
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GettyImagesより

 ヴィクトリア朝のイギリスといえば、性的に抑圧され、やたら厳しい道徳が幅をきかせていたというイメージが強いかと思います。以前この連載記事でも少し書きましたが、ヴィクトリア朝主流文学の性描写は前の時代よりも控えめになる傾向があり、これは社会的な風潮を反映したものでした。

 長きにわたって離婚が異常に困難で、男性間の性交渉は犯罪になり、女性にまともな権利がないといった法的な側面から、日常生活の習慣まで、現代に比べるとはるかに性的な逸脱と見なされることがらには冷たい社会だったと言えます。

 一方でこうしたヴィクトリア朝の性道徳については面白おかしく誇張される傾向もあり、注意が必要です。やたらと厳格な性道徳を語る際によく引き合いに出されるのが、「ヴィクトリア朝のイギリス人は、家具やピアノなどの脚が剥き出しなのは卑猥だと言ってカバーをかけていた」という話です。

 性道徳にやかましいヴィクトリア朝人にとって剥き出しの脚は猥褻なので、人間の脚を衣服で覆うだけではなく、家具の脚まで卑猥なものを連想させるからと言って覆っていた、という話ですね。これは現在でも広く信じられており、イギリスの文学や文化の話をする際に引き合いに出す人が多いのですが、実ははっきりした根拠になる記録がありません。今回の記事ではこの「神話」の解体を行いたいと思います。

家具の脚にカバー?

 私が「ヴィクトリア朝のイギリス人は、家具やピアノなどの脚が剥き出しなのは卑猥だと言ってカバーをかけていた」という話を聞いたのは大学生くらいの頃だったかと思います。正直、この話を聞いた時からあまりピンと来ないところがありました。というのも、家具にカバーをかける人は今でもいるじゃないかと思ったからです。

 私は長いことピアノを習っていたのですが、ピアノはけっこう手入れの面倒くさい楽器で、ほこりまみれになると見栄えが悪くなるし、傷がつかないよう保護する必要があります。ピアノ本体の脚だけにカバーをかける几帳面な人はそんなにいないかもしれませんが、弾かない時に全体をすっぽり覆うような布カバーをかける家はわりとあります。また、ピアノの椅子については引きずると床に傷がつくことがあるので、椅子専用の脚カバーをつけます。ペダルにも専用のカバーがあります。このへんのカバーは室内インテリアになるので凝る人もいます。

 ピアノ以外の家具一般にしても、保護とインテリアを兼ねて、いわゆるオカンアートっぽい手作りのカバーをテーブルとか椅子の脚につけているご家庭はあります。ニットや布で作った家具脚カバーはEtsyなどでたくさん売られています。クリスマスの時期になると、赤や緑系のデコレーション用カバーなども出ているようです。

 今でも家具の脚にカバーをかける人はけっこういるんだから、もっと汚かっただろうヴィクトリア朝の人がピアノや家具を覆うのは別におかしくないのでは……? ヴィクトリア朝の女性はオカンアートをしなかったのだろうか……? ふつう、訪問先で「なんで家具の脚にカバーがついているんですか」なんていうことは聞かないと思うけど、どうしてカバーの理由が「猥褻だから」だとわかったんだろう……? などなど、ちょっといろいろ疑問に思いました。しかしながら私は別にヴィクトリア朝のことは専門に研究していなかったので、この疑問はそのまますっかり忘れて、とくに調べることもなく月日がたちました。

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