ヴィクトリア朝人は家具の脚が恥ずかしいからカバーをかけたわけではない~イギリス文化と性にまつわる神話探訪

文=北村紗衣

連載 2020.10.10 16:00

GettyImagesより

 ヴィクトリア朝のイギリスといえば、性的に抑圧され、やたら厳しい道徳が幅をきかせていたというイメージが強いかと思います。以前この連載記事でも少し書きましたが、ヴィクトリア朝主流文学の性描写は前の時代よりも控えめになる傾向があり、これは社会的な風潮を反映したものでした。

 長きにわたって離婚が異常に困難で、男性間の性交渉は犯罪になり、女性にまともな権利がないといった法的な側面から、日常生活の習慣まで、現代に比べるとはるかに性的な逸脱と見なされることがらには冷たい社会だったと言えます。

 一方でこうしたヴィクトリア朝の性道徳については面白おかしく誇張される傾向もあり、注意が必要です。やたらと厳格な性道徳を語る際によく引き合いに出されるのが、「ヴィクトリア朝のイギリス人は、家具やピアノなどの脚が剥き出しなのは卑猥だと言ってカバーをかけていた」という話です。

 性道徳にやかましいヴィクトリア朝人にとって剥き出しの脚は猥褻なので、人間の脚を衣服で覆うだけではなく、家具の脚まで卑猥なものを連想させるからと言って覆っていた、という話ですね。これは現在でも広く信じられており、イギリスの文学や文化の話をする際に引き合いに出す人が多いのですが、実ははっきりした根拠になる記録がありません。今回の記事ではこの「神話」の解体を行いたいと思います。

家具の脚にカバー?

 私が「ヴィクトリア朝のイギリス人は、家具やピアノなどの脚が剥き出しなのは卑猥だと言ってカバーをかけていた」という話を聞いたのは大学生くらいの頃だったかと思います。正直、この話を聞いた時からあまりピンと来ないところがありました。というのも、家具にカバーをかける人は今でもいるじゃないかと思ったからです。

 私は長いことピアノを習っていたのですが、ピアノはけっこう手入れの面倒くさい楽器で、ほこりまみれになると見栄えが悪くなるし、傷がつかないよう保護する必要があります。ピアノ本体の脚だけにカバーをかける几帳面な人はそんなにいないかもしれませんが、弾かない時に全体をすっぽり覆うような布カバーをかける家はわりとあります。また、ピアノの椅子については引きずると床に傷がつくことがあるので、椅子専用の脚カバーをつけます。ペダルにも専用のカバーがあります。このへんのカバーは室内インテリアになるので凝る人もいます。

 ピアノ以外の家具一般にしても、保護とインテリアを兼ねて、いわゆるオカンアートっぽい手作りのカバーをテーブルとか椅子の脚につけているご家庭はあります。ニットや布で作った家具脚カバーはEtsyなどでたくさん売られています。クリスマスの時期になると、赤や緑系のデコレーション用カバーなども出ているようです。

 今でも家具の脚にカバーをかける人はけっこういるんだから、もっと汚かっただろうヴィクトリア朝の人がピアノや家具を覆うのは別におかしくないのでは……? ヴィクトリア朝の女性はオカンアートをしなかったのだろうか……? ふつう、訪問先で「なんで家具の脚にカバーがついているんですか」なんていうことは聞かないと思うけど、どうしてカバーの理由が「猥褻だから」だとわかったんだろう……? などなど、ちょっといろいろ疑問に思いました。しかしながら私は別にヴィクトリア朝のことは専門に研究していなかったので、この疑問はそのまますっかり忘れて、とくに調べることもなく月日がたちました。

脚のカバーはクマ保険?!

 その後しばらくたってから、どうやらこの家具やピアノの脚の話は眉唾らしい、ということをニュース記事や本などで知り、やっぱりか……と思いました。

 これについては既にウェブ上ではアトラス・オブスキュラなどが詳しい記事をのせており、本では歴史ジャーナリストであるマシュー・スウィートがInventing the Victorians (『ヴィクトリア朝人を発明する』)という著作で詳しく検証してまとめています。英語が読める方であれば、このあたりを見ていただければもっと詳しく面白い情報が手に入るので私が書くまでもないのですが、日本語ですぐ読めるものは少ないようなので、こうした本や記事に沿って簡単に「ヴィクトリア朝人は猥褻だとして家具の脚を覆っていた」神話の成り立ちについて説明します。

 このピアノの脚の話が眉唾だというのは、既に1990年代から研究者の間では有名だったようです (Lystra, p. 56; Vicinus, p. 470)。性的な連想を避けるためピアノの脚にカバーをかけるという話が最初に出てきたのは、1839年に刊行されたフレデリック・マリアットの A Diary of America (『アメリカ日記』)という紀行ものです(Lystra, p. 56; Sweet, p. xiii)。マリアットは、アメリカのミドルクラスの女性たちはあまりにも性的なことがらに潔癖なので、脚を指す時は‘leg’ではなくより婉曲な‘limb’を使い、さらにピアノの脚にもズボンのようなカバーをかけている、という話をこの本に盛り込んでいます(Marryat, p. 154)。

 スウィートが指摘しているように、この話はイギリス人に比べてやたらお堅いアメリカ人を皮肉るような調子で語られているので、そもそもイギリスの話ではなく、さらにどの程度本当かもわかりません。

 マリアットがこの紀行文を出す数年前の1832年には、イギリスの女性作家であるフランセス・トロロープがアメリカをボロクソにけなした『内側から見たアメリカ人の習俗――辛口 1827~31年の共和国滞在記』(日本語訳が彩流社より刊行)がヒットしており、アンチアメリカ本のちょっとしたブームのようなものがありました。

 スウィートはこれについて、センセーショナルなことを書きたがるイギリスの作家をかつごうとするアメリカの人々がマリアットをからかった可能性も指摘しています(p. xv)。私は北海道出身ですが、道産子が何も知らない内地出身者をからかう時に使う「北海道にはクマに襲われた時にそなえるクマ保険があってみんな入っている」という冗談があります(これはウソで、クマ保険というものはありません)。ことによるとマリアットが見聞きした話もクマ保険の類だったかもしれません。

 ところが、この話はいつのまにかヴィクトリア朝のイギリス人の話として広く流通するようになってしまいました。マリアットのこの冗談のような話以外にピアノの脚神話を裏付けるような記録は見つかっていません。スウィートが述べているように、ヴィクトリア朝人はいろんなものにカバーをかけたがる傾向がありましたが、卑猥だからという理由ではなく、主に家具(とくに高いもの)の保護が目的だったようです(p. xiii及びp. 234、n9)。また、歴史ライターのテレサ・オニールが指摘していることですが、布を染める技術が向上したおかげで、ヴィクトリア朝人がやたらと布を使った装飾品で家を飾りたがったことも家具カバー類の流行に影響しているようです。

 よく考えてみると、我々が目にするヴィクトリア朝のピアノの絵は、脚にカバーがついていないものがほとんどです。たとえば、こちらは1880年頃にイングランドで描かれたピアノの絵、こちらは同じ時期のアメリカの絵ですが、どちらも脚にカバーはついていません。とりあえず、みんながみんな脚カバーをつけていたのではないらしいことはこうした絵からも推測できます。上からかけるタイプのカバーはわりと絵にも出てきます。

 さらに、日本にもやたらとものにカバーをかけたがる文化はあります。過剰包装は最近よく問題になっていますが、風呂敷とか熨斗袋とか、たぶん過去の日本にもヴィクトリア朝同様、ものを包むことを礼儀の一部とする文化がありました。しかしながら、現代の日本人はこういう文化を性道徳と結びつけることはあまりありません。剥き出しのままにしておくよりも包んだほうが礼儀正しいという考えが必ずしも性道徳に直結するとは限らないのです。

ヴィクトリア朝についての思い込み

 ヴィクトリア朝が今よりも社会的逸脱に対して法制度や慣習の点で冷酷な社会だったことは確かですが、現在流布している情報の中には面白おかしく誇張されたものもあります。こうしたことを額面通りに受け取っていると、ヴィクトリア朝の文学や絵画などを当時の文脈をきちんとふまえて楽しむことができません。このため、近年はそうした神話をただす方向性の本もたくさん出ています。

 スウィートのInventing the Victoriansはこうした個別事例について非常に詳しく、ヴィクトリア朝の娯楽や薬物使用などについて面白い史料をたくさん拾っている本ですが、ややヴィクトリア朝人を現代人に寄せて考えすぎているきらいもあります。日本語で読めるものとしては、少し古いですが度会好一『ヴィクトリア朝の性と結婚』や、最近翻訳されたテレサ・オニール『ヴィクトリアン・レディーのための秘密のガイド』があります。興味のある方はこのあたりから読み始めると、ヴィクトリア朝の人々に関する思い込みをアップデートできるかと思います。

参考文献

Karen Lystra, Searching the Heart: Women, Men, and Romantic Love in Nineteenth-Century America (Oxford University Press, 1992).

Frederick Marryat, A Diary in America: With Remarks on Its Institutions, 1839.

Matthew Sweet, Inventing the Victorians (Faber and Faber, 2001).

Martha Vicinus, ‘[Review] The Making of Victorian Sexuality by Michael Mason: The Making of Victorian Sexual Attitudes by Michael Mason, Journal of Social History, 29.2 (1995): 470 – 472.

テレサ・オニール『ヴィクトリアン・レディーのための秘密のガイド』松尾恭子訳、東京創元社、2019。

フランセス・トロロープ『内側から見たアメリカ人の習俗――辛口 1827~31年の共和国滞在記』杉山直人訳、彩流社、2012。

度会好一『ヴィクトリア朝の性と結婚』中公新書、1997。

北村紗衣

2020.10.10 16:00

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

twitter:@Cristoforou

ブログ:Commentarius Saevus

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