テニス選手はなぜプレイ中にラケットを叩き折るのか? トッププレイヤーでも抑えきれないイライラ

文=和久井香菜子
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テニス選手はなぜプレイ中にラケットを叩き折るのか? トッププレイヤーでも抑えきれないイライラの画像1

GettyImagesより

 コロナ禍でテニスの大会の多くが中止になる中、久々のグランドスラムとなった9月のUSオープン。ビッグ3のうちナダル、フェデラーが欠場し、出場するのはノバク・ジョコビッチのみだった。

 シード1のジョコビッチには優勝が期待されたが、まさかの4回戦敗退となった。理由は、線審に対する危険行為だ。試合は序盤、ジョコビッチがリードしていたもののまくられ始め、イライラして打ったボールが、線審の喉元に直撃した。7分ほどの審議の末、主審からは失格が命じられ、ジョコビッチは退場となったのだ。

 テニス観戦をしていると、選手が苛立ってラケットを投げたり折ったり、ボールに当たったりする場面がしばしば見られる。他のスポーツでは選手のこうした癇癪シーンを見ることは少ないが、なぜ紳士的スポーツと言われるテニスに限ってこのようなことが頻繁に起こるのだろうか。

 筆者自身、テニスに打ち込み、試合に出てランキングを競った経験を持つので、試合で苛立つ気持ちはよくわかる。改めてこうした選手心理を、プロテニスプレイヤーの松井俊英選手に聞いた。

テニス選手はなぜプレイ中にラケットを叩き折るのか? トッププレイヤーでも抑えきれないイライラの画像1

松井俊英(まつい・としひで)
1978年生まれ。現在、世界現役最年長ATPシングルスランカーで、日本ダブルスランキング1位。2020年国別対抗戦ATPカップ代表。 公式サイトはこちらオンラインサロン主催。 全日本男子プロテニス選手会監事。

オフでは「いい人」でも、コート内で我を忘れてしまう

ーージョコの失格は、最初、なんて不運なんだと衝撃でした。

【松井】線審を責める意見もあるようだけど、主審の判断はめちゃくちゃ正しかったと思います。問題の行為の前から、ジョコはかなりイライラしていましたからね。

ーーファーストセット5−4で相手サーブ、0-40とジョコビッチが3本のセットポイントを握っていました。それを取りきれずデュースになったとき、ジョコがボールを思いっきりコートサイドに打ちこんでいます。そしてそのゲームを落とし5-5になってしまう。

【松井】5−4でゲームを取れないと、あと2ゲーム取らないとセットは取れないから、悔しい気持ちはわかりますよ。

ーーその後ジョコのサービスゲームで0-30になったとき、肩を痛めてメディカルタイムを取っています。ボールを追って足を滑らせたのか転んで、肩を抱えてうずくまっていました。疑いたくはないですが、その後のプレイに支障があったようには見えなかったし、自分のペースがつかめないことで時間稼ぎをしたのかなと思わないでもないです。

【松井】真意はわからないけど、相手が乗っているとき、トイレットブレイクを取ったりして流れを変えようとすることはあります。もちろん、問題にならない範囲でですけれどね。ジョコはもともと大げさに転んだりしてパフォーマンスをする選手ではあります。

ーーボールを打ちこんだり、大げさに痛がったりという積み重ねを見ると、失格はバッドラックではなく必然だったという気持ちになります。線審に当たったボールも、見るとそうとうなスピードが出ています。あれが喉に当たったらかなり苦しいでしょう。テニスは、選手が怒って暴れて、失点したり失格したりすることがよくありますね。

【松井】デニス・シャポバロフもデビスカップで怒って打ったボールが主審の目に当たって失格になっているし、2012年のATP250 ロンドン決勝で、ダビド・ナルバンディアンも線審をガードする板を蹴って破壊して、線審のすねをケガさせて失格になったことがあります。

 ラケットを何本も折っているスタン・ワウリンカやニック・キリオスはもう謝罪のメールを何度もメーカーの社長に送っているんです。自分の製品を粗雑に扱われたらメーカーだってたまったもんじゃない。特にトップ選手で目立つ人は、ジュニアも見ているのだし、お手本にならなきゃいけない。

ーー2009年のUSオープン準決勝で、セリーナ・ウィリアムズが線審に暴言を吐いたことで失点し、そのまま敗北したことがありました。2018年の大坂なおみとの決勝でもラケットを破壊してペナルティーを受け、結局負けてしまいましたね。

【松井】セリーナはオフコートと試合中とで豹変しますね。試合で負け出すと、しゃがみ込んだりジャッジに文句つけたりする。勝ってても負けてても、ちゃんとした人はいるんだから、もうちょっとなんとかしてほしいなとは思いますよ。選手として気持ちはわかりますが。

 でも自分で言うのもなんだけど、テニス選手って、オフコートではいい奴が多いじゃないですか。

ーー多いですね。私は日本人選手しか知りませんが、みんな元気よく挨拶してくれるし、とても感じがいいです。それでも、試合中にラケットを投げたりするシーンはよく目にします。

【松井】イライラが溜まっていたとしても、ナダルはそういうことをしないですよね。車いすの選手も、自分の車いすのタイヤをパンクさせるとか、そんなのしないでしょ。だから、世界ナンバー1で強けりゃいいってもんじゃないぞというのは、示したいですね。僕も人のことを言えないですが、年を食えば食うほど我慢するところもできるようになるので。特に試合中は。 試合後は、勝っても負けても、多少感情的になっても良いとは思いますが。

ーーフェデラーが感情をむき出しにしなくなったら強くなったのは有名な話ですね。

【松井】そうです。ジョコもあそこで冷静に、相手に「ナイスショットだ」って言って、これは相手がよかった、仕方がないって思えたら、あんな行動には出ないんですよ。

ーーそれでも、失格になる選手があとを絶たないのはなぜでしょうか。プロ選手はマナー研修を受けていますよね。

【松井】もちろん、みんな受けていますよ。そんなのジョコだってセリーナだって知ってるはず。それでも本当にテニスはイライラするスポーツなんですよ。

ーーテニスは基本的に個人プレイで孤独ですよね。それから自身にも経験がありますが、負けているときって、自分のプレイができないときですよね。

【松井】そう。いつものいいボールが打てないとか、いいコースにボールが入らないとなると、「どうしてできないんだ!」と自分に腹が立つんですよね。思うようなプレイができない理由は、相手のショットがいいとか、単純に調子が悪いとかいろいろありますが、その理由が試合中に明確にわかるわけでもない。だから余計にイライラするんです。

ーー負けそうになってイライラしているのに、それが原因で一発で失格って、一番不愉快でしょうね。

【松井】これを乗り越えたら、ジョコはまた強くなるんじゃないですか。選手としては気持ちがわかるし、選手をサポートしたいからバッドラックだったと思うけれど。でもイライラして悪いことを考えていると、悪いことが起こるんですよ。

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松井選手の願いも虚しく、ジョコビッチはUSオープン後のイタリア国際でも、ラケットを叩き折り、次の試合で主審に抗議し、卑猥な言葉を使って、都度警告を受けた。

 テニスの試合は、観戦者にさまざまなマナーを強いる。トイレなどの席の移動は選手のコートチェンジ中に限られ、プレイ中は移動も発言もできず、もちろん声援も送れない。スマホの呼び出し音が鳴ろうものなら大ひんしゅくだ。ひたすら黙ってコートを見つめるしかない観戦中に、選手のマナー違反を見るのは、非常に不愉快なものだ。

 だからこそ、個人的な意見を言うと、プロテニス選手は、他のスポーツよりもことさらプレイ中のマナーを重んじるべきだと思う。

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