杉田水脈議員のように「自分は一切悪くない」と非を認めない人が苦労する、これだけの理由

文=加谷珪一
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GettyImagesより

 自民党の杉田水脈衆院議員が、「女性はいくらでもうそをつけますから」と女性を蔑視する発言を行ったことが批判されている。杉田氏は当初「そんなことは言っていない」と否定したが、発言はあったという証言が数多く報道されると、今度は自身のブログで「発言があったことを確認しました」と認めた。

 しかしながら、自分は発言した認識はなく、あくまで関係者が内容を精査したところ、発言が確認されたという他人事のような表現で、女性を蔑視するつもりはなかったとしている。

 杉田氏の発言は論評に値しないレベルの話で、取り上げる価値すらないものだが、一連の批判に対する杉田氏の対応は非常に興味深い。杉田氏の頭の中は、「自分は一切悪くない」という価値観でいっぱいになっており、決して非を認めようとしないのだが、実はこうした感覚を持つ人はかなり多い。

 もちろん、杉田氏のような差別的な言動をする人は少数派だし、一般社会では相手との関係もあるので、声高には自己主張していないかもしれないが、内心では(本人に非があるにもかかわらず)絶対に納得していないのだ。

 自分の非をどうしても認められない人というのは、大抵の場合、仕事がうまく進まず、経済的にも苦労することが多い。経済的に豊かになりたければ、こうした価値観とはキッパリ、おさらばした方がよい。

何についてお詫びしているの?

 杉田氏の場合、発言を批判されると、まずは発言していないと否定し、証拠を出されて言い逃れができなくなると、今度は自覚していないものの発言はあったという話になり、差別的な意図はなかったと自己弁護している。共通しているのは、どの段階でも自分に非はないという点である。

 会社の中にも、こうしたタイプの人がいないだろうか。不備を指摘されると、最初はそのようなミスはしていないと答え、実際に不備のある部分を指摘されると、そのつもりはなかったと釈明。さらには「それほど大きな問題ではない」あるいは「同じミスは他人もしている」といったロジックで、自身の責任を認めようとしない。

 こうした態度は何らかのトラブルを起こした企業や個人が対外的に説明する場面でもよく観察される。

 以前、ある大手メーカーが、育休明けの社員を強制転勤させようとしたことで炎上騒ぎとなったことがあった。その社員は退職し、このことを告発した家族のツイートがネットで拡散したことから、そのメーカーは声明を発表したのだが、「(育休をとった社員だけを)特別扱いすることはできません」「当社の対応に問題は無いことを確認致しました」など、自社は正しいという主張のオンパレードで、声明は完全に逆効果となった。

 常識的に考えて、自分に非があるにもかかわらず自己正当化を繰り返すことは、メリットがほとんどないどころか、デメリットだらけといってよい。それにもかかわらず、こうした態度になってしまうのは、自分に対する過剰なプライドが影響している可能性が高い。

 日本人は謙虚で控え目などと言われるが、長年、会社を経営し、多くの人材を見てきた筆者の立場からすると、むしろその逆に思える。日本人は異様にプライドが高く、過剰な承認欲求を持っているため、基本的に他人を認めようとしない。控え目に見えるのは、相手からの攻撃を回避するため、自身の言動をあえて抑制しているからに過ぎない。

 だが、いくら行動を抑制したところで、一部の人は、こうした過剰なプライドを閉じ込めておくことができない。結果として、絶対に非を認めないという形でこの価値観が露呈してしまうのだ。

 近年、仕事上のミスなどで相手に謝罪する際、「ご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます」というセリフを耳にする機会が増えている。本人は丁寧に対応したつもりなのだろうが、言っている内容をまとめると、迷惑をかけたことについて謝罪するつもりはなく、心配をかけたことについてだけ謝りたい、ということになる。言外に「自分は絶対に悪くない」「謝罪するなどプライドが許さない」といった感情があふれ出ている。

 相手は「心配している」のではなく「怒っている」という現実を考えると、こうした発言は火に油を注ぐ可能性が高いが、この言葉を使う人はかなり多いのが現実だ。

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