
©利根川幸秀
(※本稿の初出は『yomyom vol.64』(新潮社)です)
私は旅が大好きだ。
旅の前には毎回、行き先に関する本を片っ端から買って、バッグに詰め込む。
ガイドブック、歴史書、小説、海外だと10冊以上は持っていく。
旅の始まりは、街の部外者として、透明人間になったように街を客観的に眺める。それが読書でその土地の名所や歴史を知ることにより、徐々に景色が立体感を帯びてくる。
数日して街の雰囲気に慣れてくると、夜の読書タイムが一番の楽しみになってくる。景色が心に定着する時間だ。客観的な部外者から、自分が物語の登場人物になったような気持ちに変化する。街に没入する。
それは楽しいことばかりではない。いやむしろ悲しい歴史を学ぶことの方が多い。それを乗り越えて存在する街の活気、人々の笑顔に触れて、知識が実感になる。
今のコロナ禍を私は旅だと思っている。
4月、緊急事態宣言の下、日々家に居続けている時、感染症に関わる本を何冊も買い込んだ。『ペスト』や『デカメロン』など特に感染症禍における市井の人々に関しての本を読み続けた。それは自然と差別に関わる本、そして人権に関しての本に裾野が拡がっていった。
ずっと家にいる筈なのに、差別された人、差別した人、ただ眺める人、歴史上の感染症禍で生きてきた人々に思いを馳せた。
ペスト禍やコレラ禍の時、労働者が集まる粗悪劣悪な住環境下で感染症は蔓延した。
現代でも同じようなことが起こってしまった。繁華街から陽性者が沢山出て、共同生活をするホストクラブの寮がクラスターになった。
更にかつての感染症の流行との共通点として無視できないのは、感染者が出た業種を糾弾する風潮になったことだ。
毎日のように夜の街、ホストクラブと報道された。
事実、感染者が出ていた。
そこに反論の余地はない。
夜の街は連呼された。
あまりにも連呼することで、感染症拡大防止から遠ざかることになった。
夜の街に行かなければ大丈夫、ホストクラブに行かなければ大丈夫……という安易な考えに至る人を増やしてはしまわなかったか。
夜の街は一括りにされた。
「ホスト」というイメージは一種類のものになった。
でも、そこには一人一人がいる。全員違う顔を持っている。
でも皆、どんな顔をすればいいのか? 何を言えばいいのかわからない、という点では共通していたかもしれない。
「お前ら俺が恐いんだろ! 名前付けなきゃ不安で仕方ないんだろ! じゃあ俺はライオンだよ! ライオンは自分のことライオンだなんて思ってないからな! お前らが勝手に付けた名前じゃないか!」
映画『GO』で在日韓国人役の窪塚洋介が叫んだ。
開き直りはしていない。でも、そんな風に恐れられていることは想像できる。我々は一括りで「あやうい」奴らだ。
ホスト達は何を考えているのだろう。当たり前のことだが、人それぞれだ。
緊急事態宣言下で、Zoom歌会を開いた。短歌の歌会だ。30人ほどで集まって歌を詠み、批評し合う。
夜が更けて 意外と広い ゴジラ前 静けさ光る靖国通り
TAKA
地方から出てきたばかりの新人ホストの歌だ。寂しくて家に居れず、慣れないけど唯一知っている街、歌舞伎町に行ってしまったのかな。賑やかな歌舞伎町しか知らなかった彼が見た初めての静かな歌舞伎町。朝方だったのだろうか、東西に延びる靖国通りは朝陽がとても光る。静かな歌舞伎町から光る靖国通りで明るい未来を感じたのか? 故郷への望郷を感じたのか?
自粛する 寮生みんなで 飯を食う すき焼きつつき つつ飲むコロナ
朋夜
地方から身一つで出てくる新人ホスト達は寮生活をする。寮を出て一人暮らしをするのがホストの最初の目標だ。長く寮に居ることは良しとされていない。しかしコロナ禍での寮生活は羨ましがられた。寂しくないからだろう。皆で楽しく寮で過ごしていたと思うと安心した。学生寮みたいだ。
自粛期間 日が暮れてくると 思いだす あ、もうそろそろ 店開く頃か
朋夜
ホストクラブにはホスト以外にも内勤者と呼ばれる運営スタッフが何人もいる。彼らはお客様と同伴をする訳ではなく、毎日同じ時間に出勤し、定時にお店を開けて営業準備をしなければいけない。彼らがしっかり店の運営をすることがホストクラブの質を決めると言っても過言ではない。休業中でも身体に沁みついている責任感。頼もしく感じる。
会えない日々 いつかまた会う 日を望み 84円に 気持ちを乗せる
宮野真守
お客様に手紙を書いたのだろう。住所も知っているということは深い関係なのか。それでも会いに行くのではなく、そしてLINEや電話ではなく、手紙で思いを伝えようとするなんてキザな奴だ。効果があるのかはわからないが、手紙を出しに行く姿は微笑ましい。
人にぬくもりを与えることが価値だと思ってきた。
物理的に触れ合うことに意味があると思っていた。
見つめ合い あ、これダメだね 照れ笑い カラダは離すも ココロは密で
MUSASHI
大事なのは物理的じゃない距離感だと気づいたのかもしれない。この照れ笑いで見つめ合う二人の距離は、とても近く感じる。もしくは愛故に近づかないという優しさなのか。だったら会わなければいいのに、それでも会いたいのか。
自粛中に彼らが詠んだ歌に私は励まされた。みんなそれぞれ思いに耽っている。
誰もぼーっとなんてしていない。
何が大事か? なんて誰にもわからない。
だからこそ今、人と人とのかかわり方の本質に近づけるタイミングなのかもしれない。
短歌は日記のようなものだと思っている。その瞬間の景色と思いを三十一文字に閉じ込める。
2年間歌会を続けた。
その中でホストとして成長した武尊というホストが居る。
2年前の入店したての彼が作った歌。
千円を 前借りにして 口にする おにぎり一個の 我の悔しさ
武尊
お金がなかったのだろう。どんな味がしたのだろうか。しょっぱさが沁みてくる。
この歌は、歌会に参加してくれた俵万智、野口あや子、小佐野弾先生方に絶賛されて、武尊はとても恥ずかしそうにしていた。野口さんは、「ホストは光源氏に通じる」と言ってくれた。売れないホストとして売れないことを歌にして褒められるとはむず痒さしかなかっただろう。
後輩と キャバをふと見て 帰路に着く 売れたらいつか 連れて行くから
武尊
お! おはよう 数字抜かれた後輩に 度肝を抜かれ お、おざまっす
武尊
先輩後輩、そして売上争い、更に年齢、色んな要素が絡み合う人間関係がホストクラブにはある。お客様のことよりも同僚に目が行きがちになるのが若手ホストだ。ライバル関係から悔しさを培い、真剣に仕事に向き合うようになっていく。
気をつけて この人誰でも 好きと言う テンプレ返す お前だけだよ
武尊
お客様と向き合えるようになっていったのだろう。他のホストのやり方にも目が行くようになって、負けたくない思いが伝わってくる。歌舞伎町のホスト全員と皆戦っている。
曖昧な 「イエス」でラスソン ラブソング 消えぬ残像 姫の横顔
武尊
売上を上げるのに必死だ。一日の営業の最後に、その日の売上ナンバーワンがカラオケで歌う曲のことをラストソングという。ラストソングを獲得するほどの金額を使って頂いたのに、お客様はそこまで納得していない表情だったのかもしれない。何食わぬ顔をしてラストソングを歌ってしまったのかもしれない。自分のホストとしての仕事にも納得いっていないのだろう。消えないそのお客様の表情を忘れてはいけないという自戒の歌だ。
こういうホストは売れる。残像を残せるホストは売れる。
1年後、彼はナンバーワンになった。
何使おう 最初の帯給 空に舞う 来月稼ごう あれまたこれか
武尊
1年前に詠んだ目標を実現させたのだろう。パーッと一気に派手に使っても、前向きだ。勢いがある。また稼げばいい。楽観が結句から伝わってくる。
あの頃は 夢にまでみた ナンバーワン オンリーワンは 金ではなかった
武尊
ナンバーワンだからこその葛藤。金を稼ぐことが目標で、がむしゃらにやってきて辿り着いた先にあった虚無感。何となく誰でも言えそうなことではある。よくある話でもある。
しかし2年間歌会を続けて歌人としても上級者になった彼が、こんなに初心に返ったようなシンプルな短歌を詠むことに、今の自分への抵抗を感じる。短歌に触れ始めのようなピュアな歌が詠みたかったのか。自分が汚れたと思っているのだろうか。
辿り着きたいところに辿り着いた筈なのに、思っていた景色ではなかった。いやまだ辿り着いていないと気づいた彼は、この先どんな歌を詠むのだろう。
短歌は、自分の心を反映させる。
こうやって成長を眺めることが出来たのは歌会のお陰だ。
若いホストの気持ちは正直もうわからない。それは年齢だけではない。私がホストを一生懸命やっていた頃と今では時代が違う。彼らの苦労もわからない。
ひょっとしたら同じ部分もあるかもしれない。いや変わらない共通する部分はあるだろう。しかし、私は知ったかぶりをしたくはない。だからわからない。
みんなは面倒くさがって歌会に出るのを拒む。
でも私はとても楽しみだ。
彼らの声が聞こえてくるから。彼らのことを知ることができるから。
一緒に居酒屋で飲むより、彼らのことを覚えておける。あの歌詠んだよなーあいつ。
そして彼らの歌でタイムスリップする。20年前の俺に出会える。
今はコロナ禍という旅の途中だ。短歌が僕らを繋いでくれる。そう信じて、皆が嫌がろうが、私は歌会を続けていこうと思っている。
それがこのコロナ禍に悩んでもがいていた一人一人がいることを記録することになると思う。
我々は、一人一人として、この街に、立っている。
<*短歌はすべて『ホスト万葉集』(短歌研究社 講談社)より>
(※本稿の初出は『yomyom vol.64』(新潮社)です)