「この犯罪者め!!」コロナ禍のカナダで味わった、これまでとは違う「アジア人差別」

文=秋ひのこ
【この記事のキーワード】
「この犯罪者め!!」コロナ禍のカナダで味わった、これまでとは違う「アジア人差別」の画像1

カナダ・モントリオール市街/GettyImagesより

(※本稿の初出は『yomyom vol.64』(新潮社)です)

「この犯罪者め!!(You are a Fucking CRIMINAL!!)」

 ヘンゼルとグレーテルを煮て焼いて食べてしまおうとした魔女を彷彿とさせる顔のおばあに眼前で怒鳴られた。目は吊り上がり、髪を振り乱した見ず知らずのおばあが烈火のごとくわめき散らしながらこちらに突進してくれば、何を言われたって怖いが、それにしても「F+犯罪者」はなかなかひどい。

 それが、私にとってコロナウイルスにまつわるアジア人差別の幕開け。

 中国の武漢に端を発したこのウイルス。日本国内では「中国人」が嫌がられていたのかもしれないけれど、アジアから一歩外に出ると差別の対象は、「日本人も含めたアジア人」になる。他の人種からすれば見た目で区別がつかないし、そこまで気を使って差別してくる人などいないからだ。

 私が住むカナダでは、三月半ばからばたばたと国内外移動の自粛やアメリカとの国境閉鎖などが決まっていき、パニックになった人で溢れた食料品店では、棚が空っぽになった。犯罪者呼ばわりされたのは、その頃である。

 カナダに住んで九年目。世界中に散る日本人同様、アジア出身として差別を受けるのは今に始まったことではない。良くも悪くも慣れている。

 でも、短い期間に立て続けに、それこそ出かける度に、赤の他人から般(はん)若(にゃ)の顔で罵(ののし)られたり、「近寄るな!」と養蜂場のおじいみたいな格好(完全防備)をした人に二メートル先から怒鳴られたり、道端や店内ですれ違いざま、びょん!と横飛びして避けられたりすると、さすがに凹む。誇張だと思われるかもしれないが、いるのだ、本当に。びょん!と横飛びする人々が。人々──複数形である。

 おかげですっかり人間不信。テレビでは、歩道で突然殴られた若い女性や、お店から引きずり出された老人がニュースとなり、完全にウイルスよりもヒトが怖くなってしまった。「家にいましょう(Stay Home)」万歳である。家にいますとも。外は恐ろしい人間だらけ。

 そんな折、知り合いのイラン人とばったり会った。「私アジア人だからまたひどいことを言われちゃったよ」と、「この人は敵か味方か」の探りの電波を出しつつ(絶賛人間不信中)話したところ、「そういうやつらのことは気にしちゃ駄目だよ。あいつらは愚かなんだ」と、思いのほか真剣な眼差しで、心をこめて慰めてくれた。「すごく、愚かなんだ」と。

 その瞬間、ああこの人は身をもって知っているんだ、と今さらながら気がついた。9・11以降、中東の人たちは老いも若きも皆テロリスト扱いで辛酸を嘗めさせられてきた。きっと、彼もこの国で傷つけられた経験が一度や二度で済まないに違いない。自分は何もしていないのに、十把一絡げに毛嫌いされる、という経験。

 家に味噌はなくともメープルシロップは必ずあり、国旗からして可愛らしいカエデの葉。歴史に名を残す暴君や凶悪犯もおらず、何かあっても「カナダかあ(よく知らないけど平和そう)」みたいに思われがちなこの国も、多民族国家。人種間の好き嫌いは、ウイルスがあろうとなかろうと、普通に存在する。

「(差別されることに)良くも悪くも慣れている」と先述したが、私個人に限ると案外それほど重い話ではない。相手も無意識だし、悪気すらないようなことが日常茶飯事なので、こっちも気づかない振りをする。いちいち怒ったり傷ついていたら、眉間の皺が底なしに深くなってしまう。

 些細な話なのだ。例えば、スーパーの会計時に愛想の良い店員がいたとする。私の前の客(白人)には「ハロー! 元気? 今日良い天気よね」なんて話している。明るくて感じが良い人だなと思い、私も自分から「ハロー」と笑いかけようものなら、店員はガン無視。お釣りを台の上にバラバラッと放り投げ、こちらがそれをあわわわと拾い集めながら、それでもお礼を言ったところで(人のいい私)、やはり無視。

 それはまるで、昨日彼氏の浮気が発覚して今朝は車が故障し職場ではズル休みした同僚のフォローで残業させられている人、みたいな顔なのだ。注意深く見ていると、私の次の客(白人)には、昨日クリス・ヘムズワースに求婚されて今朝は寝癖がなくお肌つやつや、職場に行ったら昇進を告げられた人、みたいな顔で「ハロー! 元気? あら私もこのブランドのお菓子好きなの!」とか言っている。

 一度や二度では、それが差別とはわからないし、疑いもしない。でも、慣れてくるとわかる。「嫌い」と「無愛想(不機嫌)」の違い。被害妄想とそうでない場合の、本当に説明しにくい極細の境界線がなんとなくわかってくる。

 蚊は問答無用でばちんと瞬殺するけれど、蟻は踏まずに逃がしてやろう。テントウムシには「あら可愛い」と思わず微笑む、みたいな無意識で自分だけの選別基準があるのだ。そして、蚊をばちんとやるからと言って、彼らが底意地の悪いイヤなやつかというとそうではなく、むしろ友人の誕生日には必ず電話して、お年寄りにさっと席を譲るような基本的には良い人のはずだと、私は信じている。それくらい、悪気がない差別というのは変幻自在で、濃くも薄くも深くも浅くもあり、要するに掴みどころがない。

1 2

「「この犯罪者め!!」コロナ禍のカナダで味わった、これまでとは違う「アジア人差別」」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。