落語の未来は明るい。試行錯誤のコロナ禍、2020年に見つけた可能性

文=サンキュータツオ
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GettyImagesより

(※本稿の初出は『yomyom vol.64』(新潮社)です)

落語ファンに嫌われた落語会

 渋谷にあるユーロスペースは、オーナーの堀越謙三氏が1982年に桜丘町にて立ち上げた劇場で、2006年、現在の円山町に移転した。カラックスやキアロスタミを国内に紹介した功績も大きいけれど、単館上映館という文化を創ったことも大きい。そんな堀越さんが、ビルの二階にあるスクリーンを劇場に改装、落語会をやりたいと言い出したのは2014年のことだ。

 渋谷は、文化的に伝統と革新が共存する珍しい街だった。たとえば、演芸の話に限っていえば、東横落語会という殿堂があったし、その一方で渋谷ジァン・ジァンという小劇場で創作らくごを披露する革新派たちが常に時代を切りひらいてきた。しかし、それも昔の話。いまはどちらも劇場は消滅、落語会も行われなくなり、PARCO劇場が立川志の輔の公演をやってはいるものの、定期的にいろんな演者が集まる会はなくなった。

 それは演芸に限ったわけではなかった。映画館も徐々に客入りが減少し続け、単館上映館も少なくなった。渋谷は文化を発信する場所から、ただ人が集まって騒ぐ街へと変貌していったのである。「若者の街」なんて言われるが、ユースカルチャーが発信されることもなく、ただ騒ぎたいだけの人たちが、サッカーの代表戦、年末年始やハロウィーンといった日に集まる街になった。

 堀越さんがそこに演芸の灯をふたたび、とキャリアの集大成といえる時期に作ったのがユーロスペースを改装した劇場「ユーロライブ」だったわけである。毎月何日間か連続で落語会を。365日と言わないまでも、継続的に開催して、渋谷で落語、講談、浪曲なんかをやっているよと認識してもらうくらいは行いたい。そこで番組を編成する者が必要になり、声がかかったのが私、サンキュータツオというわけである。

 ご存じない方もいると思うが、私の本職は漫才師で、いまは都内の定席にも出演している。芸人が芸人を選んで番組を作るなんて失礼なことはあまり聞いたことがない。1回、2回ならシャレでやってみたで済むかもしれないが、毎月5日間10公演を複数年にわたってやることになるとは、2014年の時点では思いもしなかった。

 漫才やコントは、いつからか「演芸」とは切り離された文化になっていた。徒弟制度や寄席の制度から飛び出し、芸能事務所発の、スクール制度のもとで発掘された人々がメディアの寵児となり、売れてしまうと劇場に出なくなる。劇場のある吉本興業は、かろうじて大阪の「寄席」というシステムのなかにあるが、大阪ではそんな寄席から、落語や講談が徐々に追い出されていった歴史がある。

 東京では、いわゆる「お笑い芸人」と「寄席芸人」が別個の価値体系と生存戦略によって存在しており、両者の融合は、ツービート以降はナイツの登場まで待たなければならなかった。私も「お笑い」というジャンルのカースト下位(この世界はコンテストで良い結果を出せないものはすべてカースト下位である)に位置していたが、そんな存在が「寄席芸人」を選別して演芸会をやるなんて、おこがましい。演者もみな一様に、私との距離をはかりかねていただろう。こちらも必要以上に仲良くなろうとは思っていない。つまり、演者の皆さんと私はずっと、心理的にも物理的にも、ソーシャルディスタンスを保っていたことになるのだが、私の場合はそれが良い方向だったようである。

 とにもかくにも、2014年11月に「渋谷らくご」という演芸会が開始された。毎月第二金曜から5日間。もう6年になろうとしている。

 この会がほかの演芸会、落語会とちがうのは、「渋谷」という落語のお客さんからは蛇蝎のごとく嫌われている街で行われること、そして会のコンセプトを「初心者でも安心して楽しめる」とうたったところであった。最初の1年ほどは、もともとの落語ファンからのアレルギー反応も強く、客足はさんざんだったが、それはかえって、既存の評価体系に乗っていない演者をプレゼンテーションするのにうってつけだった。

 6年経ったいまでもアレルギーは色濃くアンチは絶えないが、曲がりなりにもリピーターみたいな人たちも現れはじめ、「渋谷らくご」らしさみたいなものが出来つつある。幸い、初期には売れっ子の春風亭一之輔が毎月出演して観客への落語の周知をしてくれた。そんななかから講談の神田松之丞(現・神田伯山)、落語の瀧川鯉八、浪曲の玉川太福といった無名だった才能たちが輝きはじめ、一方で脇を固めるベテラン陣、柳家喜多八や立川左談次といった面々も新たな世代のお客さんに知ってもらうことができた。

 そして、渋谷らくご第一章の主役であったベテラン喜多八、左談次の死、さらには松之丞、鯉八といった面々の真打昇進のタイミングで、さあこれから新たな物語を迎えようという矢先、コロナ騒動がわきあがったのである。

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