安倍政権が行った3つの性的マイノリティ政策と、行わなかった数々のこと

文=石田仁
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安倍政権がしてこなかったこと

◆性同一性障害の特例法の改正

 性同一性障害を抱える人々の法的性別(続柄)を変えることができる法律は、日本で2004年に特例法の形で施行された。この特例法は性別変更の条件として、卵巣・精巣といった生殖腺の除去と、新しい性別に基づく外性器形成の手術を求めている。これを手術要件という。施行当時、各国は、日本と似た手術要件を定めていたが、その後手術要件を撤廃する国や地域が増えてきた。理由は、生殖能力を奪い去るこの手術が、それをのぞまない当事者にとっては強制断種であり、かつ侵襲性の高い手術であるため、それを必須とする法制度は「性の健康と権利」の侵害ではないかとする批判が高まってきたためである。

 日本でも特例法の手術要件撤廃運動が起こったが、政権は法改正に向けて取り組むことをせずに終わった。国際社会では「性の健康と権利」に関する認識が新しいステージに入ろうとする中で、日本は頑迷な旧態派の国として位置づけられつつある。

 なお、すでに世界各国では「性同一性障害」という疾患名は廃止に向かっており、「性別違和」(アメリカ精神医学会)、「性別不合」(WHO)へと置き換えが進んでいる。WHOの動きに応じて日本でも特例法の改正がされると考えられるが、疾患名や年齢制限だけの小手先の改正にとどまらないことを強く望みたい。

◆男女共同参画基本計画

 現在、男女共同参画基本計画は第4次計画が進行中である。第3次計画(2010年)の時より、「高齢者・障害者・外国人等が安心して暮らせる環境の整備」という分野の中で、障がい、外国人、性自認・性的指向等を理由として困難な境遇に置かれている女性(いわゆる複合的な差別、交差的な差別)への取り組みを進めていくことがうたわれていた。男女共同参画基本計画において初めて性的マイノリティに関連する施策が「計画」されたのである。

 しかし計画には盛り込まれたものの、数値化された成果目標ではなかったことも手伝って、具体的な施策はまったく進められてこなかった。この状況に対して、女性差別撤廃委員会は2016年の総括所見で、複合的な差別・交差的な差別におかれた女性たちが健康・教育・雇用の局面でアクセシビリティの制限が続いている国内事態に懸念を表明し、この差別解消の努力を積極的に行うことを政府に要請した[7]。しかし、第5次計画の当該分野(第6分野)に関する素案は今のところ第4次計画の繰り返しにとどまるものであり[8]、女性差別撤廃委員会の所見を無視している。第4次計画までの施策推進の遅れを正面から自己評価し、改善することが望まれる。

◆同性カップルの公営住宅の同等な利用

 上記の女性差別撤廃委員会のような国際人権保障機関による日本政府への所見・勧告等は、他にもいくつかなされている。たとえば、自由権規約の遵守を監視する自由権規約委員会は、2008年の総括所見で、公営住宅(家族型)の利用を日本の同性カップルは事実上妨げられ、既婚・婚外の異性カップルと扱いに差があるとし、「差別があることに懸念を有する」と日本政府に指摘。是正を勧告した。

 この勧告を受けた日本政府は、回答(第6次国家報告書、2012年)として、入居者資格に同居親族を有する規定は削除され、「親族関係にない同性の同居を含め、同居親族による入居者資格の制限はなくなっている」と主張した。

 しかしこれは実のところ、地方分権改革の文脈において法律上の条文事項が条例による定めに置き変わったことで、法律としての文言が“消滅”したにすぎない。多くの自治体の条例で同様の制限は引き継がれていたのが実情である。

 2014年の自由権規約委員会は、日本の第6次国家報告書に対し、締約国(日本)は、自治体レベルで残っている同性カップルの入居要件の制限を除去すべきであると明言した。日本政府の回答が言い逃れに近い不正確な、もしくは不誠実な弁明であったことを見抜いていたともとれるのである[9]。

◆包括的な反差別法

 自由権規約委員会は、公営住宅への入居という個別施策以外にも包括的な指摘をしていた。同委員会は日本政府に、2008年と2014年に、LGBTに対する固定観念、偏見、嫌がらせを防止するための適切な措置をとるべきであると勧告してきた。これらの勧告は、二度にわたって同じ内容が繰り返されており、日本政府が誠実な履行をしていないことが分かる。14年の勧告ではこれに加え、性的指向や性自認を含む包括的な反差別法を採択し、差別被害者に実効的かつ適切な救済を与えるべきとして、日本に課題を与えた[10]。

 時の野党は4党の共同提案という形で、16年に「LGBT差別解消法案」を国会に提出した。この法案は均等法や障害者差別解消法にならっているとされ[11]、合理的配慮の提供、支援体制の確立や審議会の設置など、人権侵害があったとされる時の解決手段に実効性が担保されたものだった。

 しかし与党の圧倒的多数の議会のもとで、衆議院解散の流れを受けて差別解消法案は廃案となる。野党法案の動きを知った自民党は、「LGBT理解増進法案」の準備があるとして概要を発表した。こちらは人権教育法にならっているとされ、啓発にとどまるものであり、実効性が担保されている内容ではなかった。それ以前にこの「法案」は、今に至るまで概要版しか公表されていない。むしろ概要版の公表以降、与党がLGBTに関する諸課題への取り組みを問われたときに、法案の提出に向けて鋭意取り組んでいますとして持ち出される、誰も見たことのない鵺(ぬえ)のような「法案」である。安倍政権下でLGBTに関する課題への対応がいかに低い優先順位だったのかを象徴的に物語る。

◆包括的な反差別法をなぜ与党が提出できないのか

 安倍政権は包括的な差別禁止法を成立させるわけにはいかなかった。安倍首相が重用したのは度重なる発言で物議を醸してもなお自らの正当化をはかる、杉田水脈氏のような存在だった。“LGBTに税金を投入してもよいのか、なぜなら彼らは子どもを作らないから、生産性がないからである”とした『新潮45』の彼女の論説(18年8月号)は、少なくない人の頭にナチスの優生政策を想起させた。

 自民党は当初、国内外のメディアから発せられた批判を無視していたが、数千人の反対者が党本部前に集まり抗議をするに至った事態を受け、党は「今後十分に注意するよう指導した」と発表した。しかしこの「指導」にとどまる対応に、世論調査の回答者の61%は「問題がある」と考えていた[12]。にもかかわらずその翌月の報道番組において、杉田氏の処分を問われた安倍首相は「まだ若いですから」と擁護した。

 もし、野党案のような、そして他国にあるような差別禁止法が日本にも存在していたならば、杉田氏の発言はしかるべき検討に付されていたに違いない。差別禁止法が施行されたら困るのは誰なのかということを、首相の擁護はかえって人々に印象づける効果をもたらした。

 もともと安倍氏自身は、首相になる前の2005年に、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」に所属し、代表を務めていた。このチームは、“ジェンダーフリーは同性愛者や両性愛者を増やし、男か女かわからない人間をつくり出す”と繰り返し強調していた。さかのぼる1999年に男女共同参画社会基本法が成立し、その成立による社会構造の変化に危機感をもった陣営が、ジェンダーフリー教育や性教育を意図的に歪曲し、報道させるなどしていた。その逆コース(バックラッシュ)の陣営側で、もっとも政権に近かった集団が同プロジェクトチームであった。

 昨年には自民党の平沢勝栄衆院議員(現・環境相)が“この人(性的少数者)たちばかりになったら国はつぶれてしまう”と発言した。また、今年9月には東京都足立区の自民党区議・白石正輝氏が、“レズビアンやゲイだって法律で守られているんだという話になれば、足立区は滅んでしまう”と発言した[13]。この発言に対し、10月8日までに約450件の電話やメールが区議会事務局・区民の相談課に届けられ、その9割以上が発言を非難する声だったと報道されている[14]。白石氏は足立区の福祉・衛生施策を審議する区の議員厚生委員長である。次世代の再生産の有無をあるカテゴリー(ここでは「同性カップル」)に関連づけ、福祉の対象の選別をはかろうとする態度は杉田氏と何ら変わらない。

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