
近世職人尽絵詞 下巻(部分) 画:鍬形蕙斎 詞:山東京伝 文化年間 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
国立歴史民俗博物館で開催されている企画展示『性差(ジェンダー)の日本史』(2020年10月6日〜12月6日まで)。展示は、以下の7章構成で、歴史における女性の立ち位置を丁寧に示し、ジェンダーの視点で歴史を見ることに挑戦したものです。
1古代社会の男女
2中世の政治と男女
3中世の家と宗教
4仕事とくらしのジェンダー 中世から近世へ
5分離から排除へ 近世・近代の政治空間とジェンダーの変容
6性の売買と社会
7仕事とくらしのジェンダー 近代から現代へ
この企画展示を訪れ、私が一番衝撃を受けたのは、「性の売買と社会」で紹介されていた、売買春の移り変わりでした。
遊女は世襲の経営者だった。「畜生道に落ちた」と蔑視されるまでの歴史
遊女屋での苦しい日々を記した日記や、毎日の食事の記録など、遊女たちのリアルな声を感じられる展示がたくさんあったなか、ひときわ目立っていたのが、オトコサマ(男根神)という男性器型の陶製のグッズです。通常は神棚に飾ってあり、初めて売春をする前の儀式や、実技を教える際にも使われていたとか。

滋賀県八日市遊廓清定楼の娼妓の生活用具(洗浄器) 大正~昭和期 大阪人権博物館蔵/性病予防のため性交後に局部を洗浄するための器具の一部。娼妓に性病検査が強制される一方で、客に対して検査が行われることはなかったため、娼妓の多くは客から性病を移された。
オトコサマの近くには、「はじめて客をとる女性は、浴場で身を清めたのち身につけていた肌襦袢と腰巻を楼主に剥ぎ取られ、土間に蹴落とされた。蹴落とされた女性は、木椀のなかの通称ネコメシを手を使わずに食べた。楼主は女性の尻を竹箒で打った。これは、人間界から畜生界に身を入れたことを意味する儀式だったという」という注釈がありました。当時、遊女たちに人権なんてものはなかったことが伺えます。

遊女桜木の日記「おぼへ長」(「梅本記三」狩野文庫) 1846(弘化3)年 東北大学附属図書館蔵/遊女桜木の自筆日記。梅本屋の遊女は楼主から生命を脅かす暴力や不当な処遇を受けており、告発するために遊廓に放火した。新吉原では1800年以降、幕府が倒れるまでに23回もの火事が発生しており、うち13回は遊女の放火だった。
「遊女」というと、親の借金の肩代わりに売られるなどして、劣悪な環境で働かされるイメージを持っていました。ただ、その社会的地位や待遇は時代とともに改善されてきたのではないか……そんなふうに思ってもいたのですが、全く違いました。
歴史の史料に初めて性を売る女性が登場したのは、9世紀後半だったそうですが、初期段階において遊女たちは、自立した自営業者だったというのです。彼女たちは芸能と売春のほか、宿泊業も兼ねており、自らの生業を女系の家を通して継承し、遊女の集団を形成していたと言います。
しかし、15世紀から16世紀にかけて、遊女が経営権を失っていき、人身売買が始まり、ついには男性の遊女屋が女性に売春を行わせるという形が制度的に認められるようになっていったそうです。16世紀末には、遊女の身体は遊女屋が所有する材であり、建物や家具と同じく、売買可能な動産、つまり文字通り遊女たちはモノになったのです。

重要文化財 高橋由一画「美人(花魁)」油彩 1872(明治5)年 東京藝術大学蔵/油彩画「美人(花魁)」。近代洋画の父と言われる高橋由一の代表作で、新吉原の遊女・4代目小稲を描いたもの。小稲本人は、「妾はこんな顔ではありんせん」と泣いて怒ったという。
その後、国際的潮流への対応として、人身売買や強制的な売春を禁じる芸娼妓解放令が19世紀に出されることになり、これにより、新吉原遊廓の遊女の9割が遊廓を離れることになります。しかし、近代以降の娼妓たちの多くは、前借金と呼び名を変えた負債により身売りを強要された女性たちであったため、あらたに導入された「自分の意思で売春している」という建前によって、自ら売春する淫乱な女という蔑視のまなざしが作られることになったのです。
かつて自分が経営者となり売春を含めたビジネスをしていた女性は、なぜ管理され、搾取され、蔑視される立場に落とされたのでしょうか?
女性が政治から締め出された転換点、明治時代・律令制。発展したのは男性の地位だけ?
理由のひとつに、政治から女性が締め出されてしまった歴史が関係しているようです。
今日、「女性の社会的地位が上がった。社会進出が進んでいる」とよく言われ(社会進出という言葉が適切かどうかに疑義はありますが)、実感としてこの数十年で「まだ男女平等とは言えないけれど、昔よりは確実に良くなっている」と人権意識の改善を感じている女性は少なくないでしょう。セクハラを笑って受け流すスキルや、あからさまな男女差別に直面することも、入社試験において「女性は事務職、男性は営業職」などあからさまに言及される件数も、今の若者はその親世代に比べたらはるかに少なくなっているはずです。
しかし、それならこの先も、社会は「性別による差別を解消する方向」に自然と流れていくと言えるのでしょうか。少なくとも、過去の歴史に学べば、そうとは言い切れないようです。この展示で私がとりわけ驚いたのは、明治以前の女性たちについてでした。性別役割に基づかない多様な仕事をする女性や、女性の天皇や身分の高い女性、政治において発言力があった女性が、とても多くいたようなのです。
学生時代に歴史の勉強はしましたが、歴史の転換点における主人公は常に男性で、女性は脇役だという印象を受けていました。だからなのでしょうか、「今が日本史上、もっとも女性が政治の世界でプレゼンスがある。すごく少ないけれど、どんどん良くなってきている」と思い込んでいました。
女性が政治において力を発揮していた時代があったのに、明治政府は女性を政治から排除していきました。明治4年に薩摩藩出身の吉井友実(よしいともざね)の主導のもとで、女官たちがいったん全員免職されたことも大きな転機となったといいます。吉井は日記に、「女権が一挙に解消され、愉快極まりない」と記しています。
日本が近代化し、「発展していった」とされる裏で、女性の地位はどんどん下がっていったと言えるでしょう。
明治は「夫婦愛」という概念が導入された時期でもあります。夫婦愛という名のもとに、女性が男性の世話(炊事・洗濯など)をすることが美しいことというイデオロギーができ、女性が政治から排除された明治の時代に、女性の性別役割は一気に強化されたということになります。
性差の視点で改めて日本史を見返すエキサイティングな体験
吉原や遊女の歴史を取り上げるとき、多くのメディアはそこで働いた女性ばかりにフォーカスします。しかし今回の展示はそうではありませんでした。
買う側の男性はどういった人たちだったのか、日本が買春を当然視するようになった時期はいつか(1910-1920年代に都市部を中心に大衆買春社会が到来した)、遊廓の利益がどこに分配されていたか(金融ネットワークを利用し、寺院、公家、豪農が利益を得ていた)、町奉行は遊女屋からどのくらい上納金を得ていてそれは奉行所の収入においてどれくらいのパーセンテージを占めているか……など、実に様々な観点から性の売買の歴史を掘り下げていました。
また、男性たちが遊廓に通いながら、妻や娘には良妻賢母や貞操を求めた実態についての言及もあり、「性差」という観点でなければ見逃されそうな、しかし現代を生きる私たちにも通じるであろう内容ですよね。
企画展示『性差(ジェンダー)の日本史』は、新たな視点で日本と歴史と向き合う、とてもエキサイティングな体験でした。同時に、制度によって簡単に女性が政治から締め出され、性別役割が強化される、そんなことができると知り、恐ろしさも感じました。
しかし、そこが逆に希望だ、という見方もあります。厚生労働省事務次官として活躍された村木厚子さんは、企画展示の図録において、「私がとっても勇気づけられたのは、制度をつくるたびに排除されていますが、制度ができる前の女性の能力とか、男女の役割とかっていのは、もっと多様で豊かだったこと。それが分かっているわけだから、制度で排除されてきたものを、制度でまた取り込んでいくことができるんじゃないかなと。そこはすごく、勇気づけられた点でもありました」と語っています。
たしかなことは、今という時代は変わるし、変えられるのだ、ということです。そして私たちは「歴史」という参考資料を持っています。どういった方向に変わりそうかを予見し、望む方向へ進んでいくために、歴史から学べることはとてもたくさんあります。
(原宿なつき)
INFORMATION
企画展示:性差(ジェンダー)の日本史
休館日:月曜日(休日に当たる場合は開館し、翌日休館)
開館時間:9:30-16:30(入館は16時まで)
※開館日・開館時間を変更する場合があります。
料金:一般1000円 大学生500円
※企画展示会場内の混雑防止のため、会期中の土・日・祝日、終了前1週間につきましては、webからのオンライン入場日時指定事前予約を受け付けています。事前予約をされた方は、ご希望の時間にご入室いただけますが、ご予約のない方も、定員に達していない時間帯は、当日来館しての時間指定が可能です。ただし、事前予約が優先となり、来館時には予約枠が定員に達して入室いただけない場合がありますので、事前予約されることをお勧めいたします。