性被害を告発できない。彼女たちを黙らせたものは何か

文=原宿なつき
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日本の被害者たちを黙らせるものは何か

 ワインスタインについての報道は、性被害に関する「話してはいけない」という不文律を打ち破り、同じようなつらい思いをした世界中の人たちが声を上げる後押しとなりました。

 勇敢にも声を上げた女性たちが社会を変え、賞賛されるに従い、<性的嫌がらせや虐待について声を上げることは、恥ずべきことではなく、賞賛に値することだ、という社会的合意>(P.285)も作られていくことになった、と本書では述べられています。

 「性的嫌がらせや虐待について声を上げることは、恥ずべきことではなく、賞賛に値すること」という社会的合意は、日本では醸成されつつあるでしょうか? 匿名のSNS上などでは、以前より声を上げやすくなった、というのは確かでしょう。

 しかし、性被害が報道されるたび、被害者は、「ハニトラじゃない?」「家に上がった時点で被害者にも非はある」などと、その発言が疑われ、落ち度があるはずだと責められ、激しいバッシングを受けることも珍しくありません。

 また、「性被害者が声を上げるなんて恥だ」と考える人もいます。前回紹介した『女性たちの保守運動』(鈴木彩香著・人文書院)では、保守運動に参加する女性たちが、<「売春すること」に加えて「売春をしていたことを知られること」もまた「恥ずかしいこと」として捉えられており、それゆえにカムアウトした元「慰安婦」女性たちを「恥を知れ」という言葉で批判して>(P.252)おり、日本人慰安婦は「恥を知っている」ために名乗り出ないのだと考えている、ということを指摘しています。

 「性犯罪を訴えるなんて恥ずかしくないのか」「〇〇したのだから、レイプされても仕方がない」「ハニトラなんじゃないの?」。こういった言葉で被害者を叩く人がいる限り、「被害を受けたから告発した」という当たり前の行為が、「リスクを引き受けてする勇敢なもの」と定義されます。

 性被害も交通事故などの被害と同様に、「被害を受けたから告発する」が当たり前な時代になればいいと思いますが、残念ながら現状はそうではありません。この現状を変えていくために、そして性被害にあった彼女/彼たちに沈黙を強いないためには、まずは、「性犯罪を告発するのは勇敢かつ賞賛すべきことであり、サバイバーにセカンドレイプすることこそ恥ずべきことなのだ」という社会的合意を形成することなのだと思います。

(原宿なつき)

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