吉岡里帆はなぜ「また脱いだ」のか? 「水着は嫌だった」発言の誤解と炎上

文=wezzy編集部
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 2017年に出版した『吉岡里帆コンセプトフォトブック 13notes#』(東京ニュース通信社)では、グラビアの仕事を始めた当初こそ恥ずかしさや、現在の活動が将来的に女優の仕事の足かせになるかもしれないという不安を抱いていたが、そのうちに<せっかくやるならグラビアでも最高な作品を残そう>と自身の意識を変えていくようになり、その結果、<“最高のワンカット”を残すために何ができるか模索するというアプローチが、お芝居でもすごく生きている>と納得を見せている。グラビア撮影が女優としての勉強にもなったということだ。

 吉岡が伝えたかったのは「グラビアの仕事が嫌だった」という部分ではなく、むしろ、“その後”のこと、つまり「最初はグラビアの仕事が嫌だったけれど、本気で取り組んだら学ぶことがたくさんあった」という自身の成長と、関わったスタッフへの感謝だろう。しかし、前段の部分しか拡散されず、誤解から炎上に発展してしまった。

 今回出版する『里帆採取』で再びグラビアに挑むことにしたのも、「女優としての仕事が順調ではないから」といった理由ではないだろう。映画・ドラマで主演作を何本も務めるようになり、女優として成長したいま再びグラビアと向き合えば、かつてとはまた違った作品をつくることができるかもしれない──グラビアで学んだことを演技の仕事に昇華させた過去があるからこそ、その逆の挑戦もまたあり得る。

 『里帆採取』出版にあてて、彼女が<私自身感じていたグラビアの面白さも確かにあって><今ならグラビアとまた向き合って楽しい作品を作れるかもしれない>という言葉を寄せていることは、そうした心境を示しているように思える。

 だからだろう、『里帆採取』ではあからさまに煽情的な、性的な消費を促すようなカットはおさめられていない。清川あさみや最果タヒといった敬愛する芸術家・作家とのコラボレーションにより芸術性を追求した写真集になっている。

 かつて名前を売るために週刊誌などで披露していたグラビアとは、趣が異なる。だが、そういった違いが理解されず、いまだに過去の無理解な炎上が蒸し返される状況は理不尽としか言いようがない。

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