ヴァイブレータは本当にヒステリー治療のために開発されたのか?~イギリス文化と性にまつわる神話探訪

文=北村紗衣
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女性と性に関する歴史研究の発展

 メインズの著書には序文がついており、ヴァイブレータの研究をしているというだけでひどく攻撃された経緯が切々と綴られています(訳書pp. 3-17)。おそらく1990年代にこの手の研究を行うのは現在よりも困難だったと思われます。今に比べると史料についても整理されデジタル化されたカタログなどは使えなかったでしょうし、先行研究もあまりなかったと思われます。さらに研究仲間からバカにされるということであれば、プロジェクトとしては非常にやりづらかったでしょう。

 今でもこういう偏見はないわけではなく、この手の研究は相変わらず世間からの風当たりが強いのですが、少なくとも学界内の雰囲気は多少マシになっており、史料も探しやすくなりました。

 一方、研究の発展を背景に、メインズの著作が批判されるようになっていきます。刊行直後から既に専門家の間では疑問があったようですが、2011年に古代史家のヘレン・キングが主に古代の医学とその受容という観点からメインズの著作の問題点を批判し、2015年にはロンドンの有名な医学史博物館であるウェルカムコレクションが出したヒステリーの歴史についての記事がメインズを批判しています。2016年にはアンデルス・オットソンが、ヴィクトリア朝の医者はメインズが考えていたよりも医療行為が性的なことがらに結びつけられることに対してはるかに強く警戒していたと指摘しています(Ottosson, pp. 805–806)。

 こうした批判の中で最も包括的なのがハリー・リーバーマンによるものです。リーバーマンは2017年にBuzz: A Stimulating History of the Sex Toyというセックストイの歴史に関する労作を刊行しており(これは面白いので日本語訳が出ればいいと思います)、この本の一部でヴァイブレータ開発秘話伝説にあまり根拠がなさそうだと指摘しています(pp. 32–34)。

 さらにリーバーマンは翌年、エリック・シャッツバーグとの共著論文を発表し、メインズが『ヴァイブレーターの文化史』で引用した史料の再検討を行ったところ、ヒステリー治療にヴァイブレータを用いたということが明らかに触れられている史料はひとつもなかった述べています(Lieberman and Schatzberg, pp. 26–30)。ヴァイブレータは目新しい医療器具としてあらゆる病気の治療に提案されたようですが、ヒステリー治療への使用に触れた例はなく、女性器への電気的刺激が治療方法として提案されていたのは外陰部の炎症と膣痙攣のみでした(Lieberman and Schatzberg, pp. 30)。

 他にもメインズの議論にはさまざまな問題があり、リーバーマンとシャッツバーグはこのヴァイブレータ伝説にかかわるところについては「主張全体が誤り」(p. 42)だと述べています。リーバーマンはこの伝説がヴィクトリア朝の女性を極めて性的に無知な存在として提示していることに対して懸念を覚え、『ニューヨーク・タイムズ』に一般向けの解説記事も書いています。

 これからメインズの読解を支持するような史料が出てこないとも限らないので完全に否定はできませんが、現在の研究成果からすると、ヴァイブレータは女性のヒステリー治療のために開発されたというお話は相当にあやしいものです。歴史研究において、先行研究が後世のより厳密な史料調査で否定されるということはしばしばあることで、健全なプロセスだと言えます。メインズ自身も、自分が提示したのは仮説なので、後の研究に批判されるのは当然のことだと述べています。また、家具の脚カバー伝説に比べるとずいぶん早く伝説が解体されたのは、この分野の研究が順調に発展していることを示す良い傾向かもしれません。

参考文献

Helen King, ‘Galen and the Widow: Towards a History of Therapeutic Masturbation in Ancient Gynaecology’, EuGeStA: Journal on Gender Studies in Antiquity, 1 (2011), 205–235.
Hallie Lieberman, Buzz: A Stimulating History of the Sex Toy, Pegasus Books, 2017.
Hallie Lieberman and Eric Schatzberg, ‘A Failure of Academic Quality Control: The Technology of Orgasm’, Journal of Positive Sexuality, 4.2 (2018): 24–47.
Anders Ottosson, ‘The Age of Scientific Gynaecological Masseurs: ‘Non-intrusive’ Male Hands, Female Intimacy, and Women’s Health around 1900’, Social History of Medicine, 29.4 (2016): 802–828.

レイチェル・P・メインズ『ヴァイブレーターの文化史――セクシュアリティ・西洋医学・理学療法』、佐藤雅彦訳、論創社、2010年[Rachel P. Maines, The Technology of Orgasm: “Hysteria,” the Vibrator, and Women’s Sexual Satisfaction, The John Hopkins University Press, 1999]。
渡辺俊之「転換性障害」『理学療法ジャーナル 』50.10 (2016): 958。

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