山下智久はなぜ、ケジメもつけずに謝罪の一つもなく、唐突に退所して渡米してしまったのか

文=秘密のアツコちゃん
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 山Pはお母さんが大好きで、子供の頃から「お母さんと妹のことは僕が守る」と言っていた親孝行息子でね。でも思春期真っ盛りでちょっとスネちゃった時期もあって、親友の赤西仁くんの家に少しの間、居候したり。優等生モードだった山Pが「あれが俺の唯一の反抗期。お母さんにいっぱい心配かけちゃったな」と話してくれた時は「何か山Pが人間っぽく、男っぽくなった」と驚きを隠せなかったっけ。

 コロナ禍の折、今春15年ぶりに再放送されたドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)は今見ても面白かったけど、当時も話題を振りまいて。主演を張った亀梨和也&山下智久の二人で組んだユニット『修二と彰』も大ブレイク。主題歌『青春アミーゴ』は軽くミリオンを達成してバカ売れで、どこへロケに行っても「亀ちゃーん」、「山P」の声がこだまする大混雑よ。もうね、とんでもない人気を誇っていたの。

 『青春アミーゴ』の歌唱を最初は「歌謡曲っぽいし何かヤダよ。もっとカッコイイ楽曲がいい」とダダをこねて拒否したとんがり亀ちゃんに「そう? うちのお母さんは『懐かしい感じがして好きな曲!』って言ってたし、歌ってみようよ」と説得した一人が山P。KATーTUNとしてCDデビューする前の亀ちゃんはその若さゆえにトンガリまくっていたんだけど、山Pが常にそばにいてくれて、中和剤というか柔軟剤のように場を和ませふんわりさせていたの。自然な流れでサラッと空気を読むこともできちゃう人だったのよ、山Pって。

 考えてみれば、W主演とは謳いながらも正式なCDデビュー前の亀ちゃんの方が、はっきり言って出番が多く、一緒に撮影してても「ちょっと俺、寝ようかな。終わったら教えて」なんて言ってお昼寝タイムを取ることが多かった山P。当時は何も言ってなかったけど、きっと内心、忸怩たる思いを抱えていたんじゃないかしら?

 だってそれまでは山Pの天下で、蝶よ花よの山Pが中心で世界が回っていたんだもの。それが、移動車も持たないデビュー前の亀ちゃんに、主役の座が少しずつ取って代わられていく……。これは思った以上に辛い経験だったかも。もちろん山Pはそんなことは軽く克服して、俳優として、エンターティナーとして実力をつけてどんどん成長していったんだけど。

山P、本当にこれでよかったの?

 亀ちゃんと山Pは総武線仲間だったのに、いつしか気持ちがすれ違ってしまって「口もきかない仲」だった時期もあったの。そんな中で『野ブタ。〜』の仕事が決まってお互いどう接していいか分からず。ところが「話してみて、実際に亀に接してみたら全然違ったんだよね。仕事に対して熱くて真剣な男だった」って山Pが言ってたのが忘れられないわ。今じゃネタとして扱われているけど、当時は笑えない状況だったもの。

 ただ仲直りが出来てからは折に触れて話し合う仲に。山Pは仁くんといる時間が長かったから、当時は仁くんを通した亀ちゃん像を知って、ちょっと距離を置いてしまったのね。あの頃の仁くんは亀ちゃん同様、トンガリまくりで、同じグループだからこそいろいろな亀ちゃんVS仁くん問題がぼっ発して。だけど、実際に自分の目で見て触れてみて亀ちゃんの良さを知って「自分で判断することの大切さ」を知ったって。この柔軟な考え方も山Pの美徳の一つだと思うの。

 仁くんが英語を喋れるようになると、山Pも過分に影響を受けて英語を話すように。仁くんに習得方法を聞くと必ず「早く上達する方法はたった一つ。英語を話すカノジョを作ることだよ〜」なんて笑いながら教えてくれたけど、山Pは「自分で決めたことは最後まで絶対にやり通す」生真面目タイプだから、まさに猪突猛進。いつの間にかすっかり英語が堪能になったわね。

 その成長が日の目を見たのは2012年1月からスタートしたドキュメンタリー紀行番組『山下智久・ルート66〜たった一人のアメリカ』(日本テレビ系)よね。自分で運転して長い長いアメリカの伝説の国道「ルート66」を走り抜けるというもの。撮影はその前年の2011年で3カ月ぐらいロケに行ってたっけ。

 この番組は『J’Jシリーズ』の第一弾として放送されて、北山宏光くんがインドへ武者修行に行ったり、タッキーもチリからペルーまで南米を縦断したり、過酷なロケに密着したものなんだけど、とにかく帰国するとみんな人が変わったような成長著しい姿を見せてくれるの。山Pも興奮冷めやらぬ感じで、感化されたアメリカへの思いを熱く語っていたのを覚えているわ。

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