「非モテ男性」を救うのは誰か 「本来女性によってケアされるべきなのに、されない」

文=原宿なつき
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「自分は女性にケアされるべき」と思い込むのはなぜか

 『ひれふせ女たち ミソジニーの論理』(ケイト・マン著 慶應義塾大学出版)によると、家父長制が浸透している社会において<彼女たちはこうした男性(引用者注:白人・ヘテロ・シスジェンダーなど特権的な立場の男性)のために、養育、慰安、世話と、性・感情・生殖にかかわる労働をこなすものだとされており、彼らは彼女たちを当てにする権利があると、暗黙裡にみなされている>(P.5)といいます。

 家父長制社会においては、男性は無意識に、女性が自分のお世話をしてくれるのは自然なことだと考えがちだというわけです。ケイト・マンは、「自分に女が分配されない」と言って怒る男性にとって、女性はウエイトレスのようなものである、と表現します。自分のお世話をするはずのウエイトレス(女)が、自分を無視していると彼らは感じており、ウエイトレスのくせに自分を無視したり、あまつさえ「私にサービスしろ」と要求するなんてありえないほどの身の程知らず。だから怒るのですね。

 また、家父長制社会において男であるためには、<彼はある特定の女性または女性たちにたいして、多くの場合、家庭または男女関係という文脈で優位な位置にありさえすればよい>(P.72)という指摘もありました。現代社会において、上司が女性だったり、取引先の女性が自分より上の立場だったりすることもあるでしょうが、それでも家庭や恋愛において、女性より優位な位置にいることができれば「男のプライド(という名の家父長制)」が維持できるというのです。であれば、「妻に収入で負けたらつらい」「自分より年齢や学歴、身長が低い女性の方が好ましい」と望む男性がいるのもうなずけます。

 「自分をケアしてくれる彼女」ができることで人生を「一発逆転」できるだろうと期待する自称非モテ男性の心理もこの辺りにあるのかもしれません。

 しかし、実際には黙っていてもケアしてくれるようなウエイトレス的女性はいま現在、減少傾向にあります。では、女性にケアされない男性の苦しみは誰がケアするのでしょうか?

「男性同士のケア」という文化は始まったばかり

 男性が苦しみ、傷ついているとき、それを素直に表明できにくい空気・社会規範は未だにあります。「男の子なんだから、泣いちゃだめ」から連綿と続く、「男は常に強くあれ」という無茶振りを内面化している男性も少なくないのです。

 たとえば、サッカー選手の本田圭佑氏は、プロレスラーの木村花選手が誹謗中傷によって命を落としたとされる報道が出た際、「弱い人を狙うな(略)強い人を狙うこと(略)結論。俺んとこ来い」とツイートしていました。えっと、これ、かっこいい、ってことでほんとにいいんですか? 誹謗中傷されて傷ついたら弱い? 自分は強いから大丈夫って、ほんとーに「男らしい」ですね。このツイートが賞賛されるような世の中では、男性が「(誹謗中傷などで)傷ついた」と声を上げることは難しいでしょう。

 歴史を振り返ってみると、傷ついた男性の心身をよしよししてくれる女性が、ひとりにつきひとりは配られていた時代があったようです。しかし、今はそうではありません。そうすると、自称非モテ男性は、女からもケアされず、弱音も吐けず、強がりや自分を傷つけている規範の内面化、ひいては加害にも繋がる可能性があるわけです。

 非モテ研のような男性たちの集まりは、そういった悪循環に風穴をあけるような試みでもあります。女性にケアを求めるのではなく、男性同志で弱さをさらけ出し、悩みを打ち明け、自分たちの生きづらさを解きほぐしていくことで、男性同士のケア文化が醸成されていけば、男性自身が生きやすくなりますよね。

 私は男性が弱みを見せることをかっこ悪いとは思いませんし、むしろ男性同士で弱さを見せられず、女性に一方的なケアを求める男性の方がよっぽどキモい、と思います。

 いずれにせよ、女性は無償のウエイトレスではありません。

(原宿なつき)

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