「同意って何?」親子で学べるピクチャーブック、子育て中の作家5人が読んで感じたこと

文=三浦ゆえ
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 表紙で、王様の衣装を身にまとった子どもが「自分のからだは自分のものだから!」と高らかに宣言している。ごく当たり前のことをいっているようだけれど、現実にはこれが成立していないシーンがとても多い。その最たるものは性暴力だろう。こちらの意志などおかまいなしに、触れる、見る、撮る、そして性行為をするというのは、それ自体が暴力であるという認識は、いま世界で広がりつつあり、スウェーデンをはじめ「明確な同意のない性行為=性暴力」であると法改正をする国が相次いでいる。

 アメリカで発売されたピクチャーブック『子どもを守る言葉「同意」って何? YES、NOは自分が決める』(集英社)が、今秋、翻訳出版された。バウンダリー(境界線)という考えや、それを自分で決めていいこと、相手に何かするときは「同意」が必要だということ、同意をとるための方法……などが明確かつポップに描かれている。

 これからを生きる子どもたちが、性暴力の被害者にも加害者にもしないため、というだけでなく、人と適切な関係を築くために知っておいてほしいことが、この1冊には詰まっている。それと同時に、これまで同意がうやむやにされてきた社会で、いやな目に遭ったり被害を受けたりしたことのある大人、同時に無意識のうちに加害者になっていたかもしれない大人たちが読んでも、ハッとさせられることが多い。

 現在子育て中の作家5名に同書を読んでもらい、その感想を寄せてもらった。(※掲載は、五十音順)

犬山紙子さん

 同意について娘に伝えられるようになりたい、そう思い読みはじめました。つい最近まで日本では「相手の家に上がったらそれはOKのサイン」だとか「性被害に遭ったのは、派手な格好をしていた彼女にも落ち度があるよね」だなんていわれていた……いえ、いまもいわれていますから、大人として絶対に子どもに伝えておきたいことだったのです。

 「バウンダリー(境界線)」という概念で同意を考えることがとてもわかりやすく、「子に教えるため」だけじゃなくて、大人である私のためにも必要な知識でした。

 人によって境界線の幅は違うこと、それは気分で変わるもの、変わっていいもの。

 現状はコミュニティごとに「このくらいは許される」という曖昧で勝手な境界線が存在して、なんとなくみんなその空気を読んで行動しています。空気を読まないと立場が悪くなる。そしてそこからいじりが生まれ、いじめや性被害にも発展する……。

 私自身やらかしてしまっていたなと猛反省しつつ、過去のつらい経験に「キミは悪くない」とこの本に言ってもらえました。 それは抱きしめてもらったような感覚。

 私も娘のことをそんなふうに抱きしめられるようになったこともうれしいです。

清田隆之(桃山商事)さん

 自分の身体は自分のもので、どのように扱うか、どう扱われたいかはすべて自分で決めていい──。こう書くと当たり前のことのように感じますが、私がそれを知った(理解した)のはずいぶん大人になってからのことでした。

 小学1年生か2年生くらいのとき、近所のお兄さんたちとよくプールに行っていたのですが、いきなり水のなかに突き落とされたり、頭を押さえられて無理やり潜らされたり、それらが「遊び」という空気で行われていました。ビビらず、抵抗せず、長く息を止めてらいれると「勇気がある」ということで褒められる。逆に嫌がったり泣いたりすると「弱虫」と笑われる。私はお兄さんたちに認められようと必死にがんばりました。あのとき自分の身体は自分のものじゃなかったし、自分にはNOをいう権利がないと思っていたし、自分のNOは受け入れられないと感じていました。

 そんな私たちに「そんなことないよ!」「キミは悪くないよ!」と語りかけてくれるのが本書です。自分と他者のあいだには明確な境界線(バウンダリー)があり、それを越境する際は本人の同意が絶対に必要。NOといったらそれはNOだし、YESと言わないかぎりYESにならない。相手との関係性や自分の状態によってその基準を変えたっていい。それが「からだの自己決定権」なのだと力強く語りかけてくれた本書に、私はしみじみ感動してしまいました。もっと自分の身体を大切にしたいなって思ったし、他者と接する際も相手の意思をしっかり確認していかねばと気持ちをあらためました。

 私には1歳になったばかりの双子がいます。子どもたちとも一緒にこの本を、何度もくり返し読んでいきたいなって思っています。

紫原明子さん

 自分の育児をふり返ってみて「相手が嫌なことはしちゃいけないよ」と子どもに教えることは何度となくあったけれど、「あなた自身はそれをしたいと思う?」「どう感じる?」という、何気ない瞬間の子ども自身の意志や感覚の確認については、案外おざなりにしていたかもしれないなと少し反省した。

 感覚や意志というのは必ずしも白か黒、イエスノーの二者択一で現れるわけではなく、ほとんどの場合ぼんやりと、自分のなかにさえ抽象的にあるものだから、必要なときに言葉にするのも、ともすれば自覚することさえも案外むずかしかったりする。だからこそ、この本を子どもと一緒に読みながら、あなたのなかにある感覚や意志を大切にしようね、大切にしていいんだよ、と子どもと確認しておくことはとても大切なことだと感じた。

 「どう思う?」「どう感じる?」と生活のなかで尋ね、子どもが自分の感覚や意志を日常的に自覚し、言語化する習慣を持つこと。さらには親を含む周囲の他者が、そこに耳を傾け、尊重することが当たり前という環境を作ることができれば、子どもたちの将来にとって、とても大きなギフトになるのだろうと思う。

高橋ユキさん

 私と夫のあいだには8歳の息子がいる。ある週末に息子とふたり、近所を歩いていると偶然、息子の同級生Aくんに会った。親同士、少し立ち話をして、近く開催される地元のお祭りの話題になったところで、Aくんが息子をお祭りに誘ってきた。ここはママ友同士の円満な関係のためにも「うん」といってほしいところだ。しかし息子はいった。

「いやだ」

 笑顔でごまかしその場を去った日のことが昨日のように思い出される。あとから聞くと、息子はAくんが好きではなかったことがわかった。

 息子は幸い、いまのところ「自分の嫌だと思うことは断る」ことができている。また私が嫌な言葉を使うと「それはチクチク言葉だからやめて」と、教えてくれる。「人の嫌がることはしない」ことも理解している様子だ。それよりも問題は私である。自分の都合で『息子にはお祭りに行ってもらえると助かるな』だなんて、バウンダリーが曖昧すぎやしないか。そんな甚だしく身勝手な考えは……この日に捨てた。好き嫌いや、快か不快か、感覚的なことの判断は、本人を尊重しなければならない。

 とはいえそんなことはわかっていても、こと自分の子ども相手になると、曖昧になりがちだ。

 そんなわけで、むしろ本書は、同意を教えるために子どもに読ませるよりも、親に読んでもらったほうが、子どもに対する理解が深まるのではないかと感じた次第である。子どもにとっていちばん身近な存在である親が、彼らの感情を尊重することにより、子ども自身のバウンダリー自覚につながるように思う。

山田ノジルさん

 「やってしまってるかも」。この本を読んで、ドキッとしてしまいました。わが家の子どもはいま、保育園児です。親泣かせの体力を誇る健康児で毎日元気に走り回っているため、体形はもうだいぶスッキリしてきたものの、それでも幼さの残る頬やお尻を見ると愛しさがギュウッとこみあがり、衝動的に触りまくってしまう。

 しかしこうした「デリケートな部分を触る」という行為全般を愛情表現だと受け取った挙句、境界線(バウンダリー)を曖昧にさせてしまっていたら? スキンシップだけでなく、子どもが興味なさそうにしているのに「お腹の中にいたときのこと、覚えている?」とかを何度も無理やり答えさせようとするような行為も、相手の領域へ無遠慮に踏み込んでいますよね。そうそう、人様の話しですが、「デトックスにいいのよ~」と相手の飲み物に、勝手にアロマオイルをたらしたりするアレも、完全アウトでしょう。

 こうした日常の出来事を自分の感覚で判断し、イヤだと思うことはイヤとはっきり言えること。子どもが「自分の領域」を意識して意思表示できるようになるためには、親自身がお手本にならなくてはと思わせられました。特に昭和の時代を経験している私は、バウンダリーどころか個人情報の概念すら曖昧だった時代を過ごしてきていますので、ふとした瞬間に前時代的な価値観が姿を現します。

 これからの時代を親子ともども健やかに過ごすため、何度もくり返し読み、同意と境界線の概念をしっかり身につけなくては。実践の第1歩として自分のふるまいを正すのはもちろんですが、そろそろ胸と腹肉を触るのをやめてもらいましょうかね、娘よ。

*   *   *

 最後に「親子で読んだ」というWEZZY編集長と、その長女(小3)の感想を紹介します。

WEZZY編集長

 小学三年生の娘と一緒に読みました。読む前は、「同意について」というとむずかしい内容かもしれない、また性的な自衛の話も出てくるとしたら性教育はまだちゃんとできる自信がないから困るぞ、等々、身構えていたのですが、ものすごく易しい言葉とわかりやすい絵で記されているので完全に杞憂でした。お子さんが何歳でも(幼くても)大丈夫だと思います。

 娘は読みながら途中、何度も「あーこういうことある」と、いつもはあまり教えてくれないクラスで起こった出来事を話してくれました。

 個人的によいと思ったのは、車椅子の子どももさまざまな肌の色も当たり前に描かれていて、何ら特別な存在ではないこと。主人公が男子とも女子とも設定されていなくて、「男子が暴れん坊で女子がキーキー怒ってる」といったステレオタイプな描写がないこと。属性にかかわらず誰もが入れ替わり立ち替わり、嫌なことをする立場にもされる立場にもなるということがわかるので、読み手を限定しません。

 自分の心と体は自分のもので、尊重されて然るべきものだし、自分で守るべきものなんだ。相手の心と体もそうなんだ。ということが、ストンと自然に理解できるようになっています。

 何より、特別なハプニング、事件、犯罪云々という大げさな話で子どもの恐怖をあおるのではなく、日常の些細なことに「同意を取ろう」と促していることがすごくよかったです。

●長女(小3)の感想

 面白かった。学校ではいじめはダメというテーマの道徳授業があったり、不審者対策の話をされたり、「人の嫌がることをしない」とか教室でやっちゃいけないことのルールもいろいろあるけど、そういうのってすぐ忘れちゃうし。みんなストレス溜まってるので、そういう子どもの支えになると思いました。学校に持っていってみんなで読みたい。ていうか先生に読んでほしいと思った。すぐ泣いちゃう子とかすぐ殴る子も読んだ方がいい。

 境界線のことも相手の同意を取ることが大事だってことも、学校では教えてもらってない気がする。自分が嫌なことは人にやっちゃいけないとかはいわれるけど、されて嫌なことを嫌ってはっきり言うのはむずかしいから、返事が曖昧でもNOだよってことは特に大事だと思った。

*   *   *

 「みんなで読みたい。ていうか先生に読んでほしい」というのは、まさに日本に「同意」の考えが浸透する第一歩ではないだろうか。

 これからのホリデイシーズン、子どもにプレゼントを贈る機会が増える。筆者も甥に、この1冊、というより「同意の考えをしっかり身に着ける機会」を贈りたいと思う。

▼本書について
著者は、米国在住のレイチェル・ブライアンさん。性的同意についてわかりやすく説明する動画「Tea Consent(お茶と同意)」を共同制作し、世界中から注目を集める。その後、娘の体験をもとに子ども向けの動画「Consent for Kids」を公開し、その内容をさらに詳しくまとめたのが同書である。

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