三島由紀夫が偏愛し、こだわり抜いたボディ・コンシャスな「制服」とその最期

文=酒井順子
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 三島少年はまた、「殺される王子」の幻影をも追っています。七度死んでは生き返る王子が描かれたハンガリーの童話を彼は愛読していたのですが、その時に重要だったのは、王子がぴったりとしたタイツをはいていることでした。

「王子たちのあのタイツを穿いた露わな身装(みなり)と、彼らの残酷な死とを、結びつけて空想することが、どうしてそのように快いのか、誰が私に説明してくれることができよう」
 と思う彼は、悲劇の中でもとりわけ死に対する陶酔を、ボディ・コンシャスな衣服から得るようになります。

 大学を卒業した頃には、筋肉質な肉体を持つチンピラが腹に晒(さらし)を巻く様子から、目が離せなくなりました。そこで想起するのは、
「彼が真夏の街へあの半裸のまま出て行って与太仲間と戦うこと」
 そして、
「鋭利な匕首(あいくち)があの腹巻をとおして彼の胴体(トルソオ)に突き刺さること」

 三島にとってボディ・コンシャスは、このように血への期待と結びついています。皮膚と一体化し、切ったらすぐに血がほとばしると思わせてくれる巨峰の皮のような衣服を、彼は求めていたのです。

 ですから楯の会の制服がボディ・コンシャスなデザインとなったのは、当然だったのでしょう。西武百貨店の当時の社長、堤清二の協力を仰ぎ、フランスのド・ゴール大統領の服をつくったこともある名テーラー・五十嵐九十九(つくも)によってデザインされた、かの制服。エッセイ「軍服を着る男の条件」(3)によると、三島本人も相当、デザインの細部に関わっていたようです。

 切ったらすぐに血がほとばしる予感を漂わせるには、制服と肉体との間に隙間があってはなりません。同エッセイには、軍服を着る条件とは、
「仕立のよい軍服のなかにギッチリ詰つた、鍛へぬいた筋肉質の肉体であり、それを着る覚悟とは、まさかのときは命を捨てる覚悟である」
 とあります。制服それ自体が肉体にフィットしているのみならず、制服という皮の中に肉体が「ギッチリ」詰まっていなくてはならなかったのです。

 充分にパンプアップされた筋肉がぴったりとした制服によって拘束され、その制服が何者かによって刺し抜かれることを待つ。それが三島にとって制服を着る意味だったのではないでしょうか。

 彼は、「縛られたい」「拘束されたい」との願望は強く持っていたけれど、「縛りたい」「拘束したい」とは思っていなかったようです。女性が制服等で縛られる様に特別な興味を掻き立てられていた様子も、見られない。せいぜい「婦人公論」一九六七年九月号における「三島由紀夫氏との50問50答」(4)において、
「どんな女性用水着が好きですか」
 との問いに対して、
「セパレーツは好きぢやない。ほら、YMCAで使つてゐる、黒のワンピースのものがいいね」
 と答えるところに、その片鱗を見るくらいか。女性性を誇示するビキニよりも、スクール水着のようなものの方が良いということなのですが、それは制服好きからすれば、特に珍しくはない嗜好です。

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