だが、国内で沸き立ったのはゲンダイとネットメディアだけで、11月になっても大手メディア(全国紙、テレビ局)はスルーを決め込んでいる。全国紙5紙はいずれも五輪スポンサーになっており、中止の可能性など報道したくないのだ。そして新聞社とクロスオーナーシップで結ばれているテレビ局も、間接的に五輪翼賛側に属しているため、中止の可能性を深追いしたくないのは明らかだった。
五輪推進の立場からは真っ先にガセネタとして否定したいのだが、私の情報の信憑性を崩す取材力もなく、あからさまに否定もできない。世界中の大手メディアがどんどん取材に来ているのに、日本国内のメディアが全く動かないのは、異様としか言いようがなかった。AP通信はバッハ会長の来日ニュースと合わせて私のインタビューを全世界に配信、コロナ禍での五輪開催に強い疑問を投げかけた。パンデミックに苦しむ世界各国の記者たちから見れば、いまだに五輪開催に固執する日本は理解不能に見えるのだろう。
海外メディアは、あたりまえの疑問をあたりまえに報道している。だが日本の報道機関はそれをしない。ここへ来て、五輪スポンサーになっていることが、重い足かせになっているのだ。
ちなみに、過去の五輪で報道機関がスポンサーになった例はない。だから今回のように、一社どころか全国紙全紙がスポンサーになっているのは、極めて異常な状況なのだ。
大本営発表を垂れ流す大手メディアの罪
その後、16日に来日したIOCのバッハ会長は菅首相、小池都知事、森組織委会長などと会談したが、中止発表はなく、あくまで来夏の開催を確認した、という発表が行われた。そして新聞社を中心とする大手メディアは、またしてもその大本営発表を無批判・無検証で垂れ流した。
会談で菅首相は「人類がコロナに打ち勝った証としての五輪開催」に全力をあげると言ったが、現在、地球上のどの国が「コロナに勝った」といえるのか。少なくとも、日本はいま勝つどころか、患者が激増し、負け続けているのではないか。それなのに「勝った証」という言葉がなぜ出てくるのか、まったく理解不能である。
バッハ会長や帯同したコーツ副会長は、表向きはあくまで五輪開催に意欲を示し、日本政府も開催に意欲を示した。だが、欧州のパンデミックの恐怖を肌で知るIOCのトップ2人が揃って来日した目的が、単純な開催確認だけだったとは、到底考えられない。プランB──もし世界各国のパンデミックが来春になっても収まらない場合、五輪中止をいつ発表するのか──についても、密かに話し合われたはずである。