為政者を「がんばっている」と許したり「なんだかかわいい」と喜んだり

文=トミヤマユキコ
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『ザ・ボーイズ』/この世界に正しく絶望すること

 コロナ禍による慢性的なダルさをフワちゃんの笑いで吹きとばすわたしは、その一方でこの世のクソさをド正面から描いた『ザ・ボーイズ』(Amazonプライム・ビデオ オリジナル作品)にもハマった。本当は『愛の不時着』(Netflix)にもハマったのだが、不時着についてはすでにたくさんの評が出ているし、わたしからの報告は「ヒョンビンが好きになりすぎた結果、ヒョンビンになれる方法はないかと思いとりあえず筋トレを始めた」以外にないので、省略する。

 『ザ・ボーイズ』は、スーパーヒーローたちが実在する世界を描いたドラマで、現在シーズン2まで公開されている(続編やスピンオフ作品の制作も決まっている人気作だ)。ヒーローが実在する世界ってどんなだろ〜、などと思いながら観ていたら、先輩ヒーローにブロウジョブを強要された後、勇気を出して#MeTooする新人女性の話をお見舞いされた。のっけからこんな話が出てくるなんて。完全に油断していた。これだけでもうわかっただろう。スーパーヒーローでさえもこの世のクソさから逃れることはできないというのが『ザ・ボーイズ』の世界観なのである。

 スーパーヒーローと言えば、少数かつ特別というイメージがあるが、『ザ・ボーイズ』では、アメリカ全土にスーパーヒーローが存在していて、選りすぐりのメンツだけが「セブン」と呼ばれるトップチームに加入するシステムになっている。地方勤務のヒーローは、こぢんまりとしたアパートで生活しているが、ニューヨークを拠点とするセブンは違う。彼らを束ねるヴォート社の本社ビルに豪華な住まいを用意されており、街に出れば自分が主演を務める映画の宣伝動画が流れ、コンビニに入れば自分が広告塔を務める商品が必ず置いてあるといった具合だ。取材やイベント出演が毎日のようにあるせいで、人助けに集中できないくらい忙しいセブンのメンバーは、有名セレブとなんら変わらない。この暮らしに味を占めた者は、世界平和や人助けよりも、地位や名誉、色、金が大事になっていく。まさに煩悩まみれのスーパーヒーローたちだ。

 ヴォート社は大手芸能事務所よろしく彼らを監視下に置き、不祥事があれば密かに処理するなどしている。彼らの商品価値を下げないことが社の使命であり、そのためだったらなんでもやりまっせ、と言わんばかり。スーパーヒーローがいないと成り立たないのがヴォートの商売だが、ヒーローの顔色をうかがうことはあまりない。なぜなら、ヴォートにはスーパーヒーローを量産する秘密の技術があるからだ(これ以上はネタバレになるので割愛)。ヒーロー本人は、自分のことを神様から超能力を与えられた特別な存在だと思っているが、実はそうではないのである。だからヴォートはスーパーヒーローを躊躇(ためら)うことなく利用し、切り捨て、補充する。

 こうしたヒーロービジネスの犠牲者によって密かに結成されたのが、タイトルにもなっている「ザ・ボーイズ」である。主人公で新入りのヒューイは、恋人のロビンをヒーローとの衝突事故で亡くしているし、リーダーのブッチャーは、愛する妻をヒーローにレイプされている。彼らはふつうの人間なので、特殊能力は使えない。また、ヴォートの力が強大であるために、仮にメディアに情報を流しても、告発はそこまでうまく機能しない。彼らに残されているのは、実力行使だけである。

 本作はいわゆる18禁作品で、性的・暴力的表現も多いため、全てのひとにオススメできるとまでは言えない。しかし、この世界に正しく絶望したいひとは絶対に観た方がいい。「苦しいときこそ前向きに」みたいな似非ヒューマニズムが一切駆動しておらず、ひどいものは、ひどいままに描かれている。この胸糞の悪さは、他に類を見ないし、いっそ清々しい。

 だいたい、腐敗しきったスーパーヒーローを成敗するのがザ・ボーイズの役目と言いながら、実際の現場で行われているのは、ヒーローのケツの穴に爆弾を仕込んで爆殺することだったりして、なんというかもう、みんな平等にひどいのである。そのことを「ひどくてもいいんだよ、人間だもの」と積極的に擁護されたら興ざめしていたと思うが、「見てよ、ひどいから」という事実の提示でギリギリ踏みとどまっているのがいい塩梅である。

 ちなみに、セブンのリーダーであるホームランダーの俳優が役作りをするときに参考にしたのは、トランプ大統領だという。ホームランダーはスーパーマンを下敷きにして作られたキャラクターだ。スーパーマンがトランプとニアリーイコールになっていること、それになんの違和感もないことが、いまのアメリカを映しているのは言うまでもないだろう。裏で人為的にテロリストを養成し、表で「テロに対抗するためには自分たちスーパーヒーローが必要なんだ」と訴えるホームランダーの自作自演は、わかりやすく愚かであるが、そんな彼を支持する層が一定数いるのもまた事実。そして、この痛烈な風刺が、わたしたちの国では不可能だろうなと思うとき、この世界のクソさは、ますますの切実さをもって胸に迫ってくる。

「人間くささ」の負の側面を描く

 アメリカの病理をスーパーヒーローに体現させる方法は『ザ・ボーイズ』特有のものではない。『ウォッチメン』だって『ジャスティス・リーグ』だって「そういう作品」である(たぶん他にもある)。

 かつてはソ連、いまは中東を仮想敵と捉え、迫り来る恐怖に対抗すべく警察とか軍を動員するがそれだけでは足りず、かと言って核爆弾を使ったら敵も味方も皆殺しだしどうしよう、となって「知能を持った超強力兵器」であるところのスーパーヒーローが召喚される。彼らはとてもカッコいいけれど、敵を武力でねじ伏せたいというグロテスクな夢を背負わされてもいる。

 スーパーヒーローたちは、善悪を峻別し、悪だけを駆逐できるが、そこには知性はもとより「人間としての良心」が大いに関わっている。善良であろうとする心は、世界平和に不可欠なものだが、残念なことに揺らぎやすい。だからこそヒーローの裏切りやヒールの改心がショッキングだったり感動的に思えたりするのだ。

 一方の大衆は、スーパーヒーローを崇める一方で、彼らを「異形の者」として疎外してもいる。守って欲しいけど巻き添え事故はごめんだし、ファンだけど付き合うのはムリ、みたいな。求めながらも突き放すこの動きは完全にダブルバインドで、よほど強靭なメンタルの持ち主でない限り、確実に病むやつである。

 バットマンが『ジャスティス・リーグ』の中でスーパーマンについて「彼は地球で恋に落ち仕事も得た。超人なのに」「俺より人間らしい」と言っているが、これなどはまさしく異形の者が抱く疎外感についての話だ(疎外されて当然、くらいに思っているからスーパーマンの人生が特別に思えるのである)。しかし大衆はヒーローの扱いについて特に反省しないし、ヒーロー自身も致し方なしと思っているフシがある。こうして書き出してみると、アメリカのスーパーヒーローたちが非常に困難で厄介な生き方を求められているのがわかる。死ぬまでこんな感じなんだろうか。だとしたら気の毒すぎる。引退制度がある『ザ・ボーイズ』は極めて正しい。

 なお、『ウォッチメン』には、Dr.マンハッタンというヒーローが徐々に人間の心を失っていき、地球の揉め事なんて宇宙全体と比べたらちっぽけなものですよねという気持ちになって火星に引っ越してしまうくだりが出てくる。これはスーパーヒーローの心性がどういうものかを考える上で大事な挿話だ。人間であることから降りた者に、人間の心配はできない。地球を見捨てるDr.マンハッタンは、冷徹なように見えるが、ダブルバインド回避という意味では極めて正しい選択をしている。どうせ人間であることから疎外されているのだから、物理的に地球からも疎外されたっていいじゃないか、という理屈を責めることなんてできない。

 翻って考えてみると、地球で活動するヒーローとは、実に人間くさいものだ。『ジャスティス・リーグ』では、地球の危機を救うため、亡くなったスーパーマンを超科学的な力で生き返らせるが、生前より凶暴になってしまった彼に人間の心を取り戻させたのは、新薬とかじゃなく、妻と母親である。かつて愛した人たちとのふれあいを経てようやく戦闘に復帰するスーパーマンは、とても人間くさい。そしてそこには、人間くささ礼讃の趣がある。

 だからこそ、人間くささの負の側面を徹底して描いた『ザ・ボーイズ』がおもしろく感じられる。人間くささをむやみに礼讃しないこと。人間の心の弱さや欲深さを活写すること——これはアメリカで大ヒットしたドラマだが、日本のわたしたちにも必要なものがたくさん詰まっている。為政者に対し、明らかな失策であるにもかかわらず「でも一所懸命にがんばっている」からと許したり、「パンケーキ好きだなんてかわいい」とか言ってる場合じゃない。この国は、人間くささ礼讃が過ぎる。

日本に「ヤバさの共通理解」が育たないのはなぜか?

 ところで、アメリカのヒーローものをいくつか観て思ったのだが、自国のヤバさを表現したいなと思ったときに、スーパーヒーローを使えば比較的容易に共通理解を得られるアメリカと違って、日本には、そういうものがあまりない気がする。

 底の方に小判がぎっしり詰まった菓子折をもらう悪代官……? 都市部をめちゃめちゃに踏み潰す怪獣……? 担当編集のNさんは「警察上層部の秘密結社」って言ってたな……。特撮ものもあるけど、みんなが観ているとまでは言えないし……。と、まあ、全世代に一発で通じるわかりやすい設定がないのである。ということは、自国のヤバさ表象にはまだまだ伸びしろがあるということだが、そういうものを観たいという願望がそもそも育っていない発展途上状態と言った方が正しいかも。そんなことでいいのか。臭い物にふたをし続けた先にあるのは、更なる腐敗でしかないのに。

(※本稿の初出は『yomyom vol.65』(新潮社)です)

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