トランプ政治が混乱を極めた時代にアメリカの政治ドラマが何を描くのか

文=今 祥枝
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とにかく政治家になりたい青年

 あらゆることが“政治的”だとされる世の中なのに、政治ドラマが成立するのは難しい時代。非常に興味深い視点を持つ作品が『ザ・ポリティシャン』(19~・Netflix)だ。政治よりも金や権力など利権を得ることに熱心と思われる政治家を揶揄して〝政治屋〟と言ったりもするが、まさにそうした皮肉を感じさせるタイトルである。

 本作の主人公は、物心ついた頃から大統領になることだけを夢見るお金持ちの御曹司ペイトン。はじめの一歩として高校の生徒会長に立候補するシーズン1は、まさしくアメリカの縮図。高校を舞台に、アメリカの選挙がどういう仕組みで、どんなふうに行われているのかがわかるという仕掛けだ。これが実に矛盾に満ちた仕組みで、選挙って、民主主義って何なのだろうかとも思う。先の『ボーイズ・ステイト』とも強くリンクするものでもある。

 そもそもペイトンの望みは政治家になることであって、理念や政策は後でついてくるというスタイル。有権者が望むスローガンを打ち出し、票を取り込み、選挙に勝つことこそが喜びなのだ。共感はしにくいが、いくら立派な理念を掲げても選挙に勝たなければ始まらない。後付けの政策でも選挙に勝って実現してくれるならアリなのかもしれない、と納得してしまうのもどうなのか。なりふり構わず選挙で勝ちに行くトランプと、どう違うのか?

 シーズン2では大学生になったペイトンが現職の対立候補としてニューヨーク市長選に立候補する。ここではミレニアル、Z世代とベビーブーマー世代との対比、世代交代劇がばかばかしくもにぎやかに展開するのだが、ペイトンが政治家にふさわしい人間なのかという問題は、この段階でもよくわからない。

 ペイトンは、若者を取り込むなら環境問題しかない! とばかりに、急にエコ推進派となって環境問題をスローガンに掲げて躍進する。お約束のようにショーと化した選挙戦が展開するわけだが、面白おかしく誇張された世界を描いているようでいて、極めて現実的な問いかけがなされている。

 ペイトンに熱狂するZ世代の若者たちのうち何人かは、ペイトンが実際には後付けのエコ推進派だと知っている。それでも、ペイトンがこの問題に「全力で取り組む」ことを約束し、実際にそれを実践するようすを見て、納得した上で応援する。理由はどうあれ、有能であっても自分たちの声に耳を傾けないベビーブーマー世代の政治家より、自分たちの声を代弁してくれる若い政治家を支持することに妥協点を見出したということなのか。あるいは「嘘はもうたくさん!」という気持ちでいっぱいのZ世代にとって、悪びれもせず後付けの理念であっても、今は本気で実践するつもりだと白状するペイトンこそが「嘘のない人間」ということなのか。

 このドラマが一貫して主張しているテーマの一つに、高潔な人間でなければ政治家になれないのか? という問いがある。SNSの過去の投稿や真偽不明のスキャンダルを、マスコミが騒ぎ立てて失脚させてしまうキャンセルカルチャーへの皮肉とも受け取れるのだが、だとしてもペイトンを政治家として「これでいいのだ」と受け入れることは難しい。結局のところ、ばかばかしいショーに成り下がった政治と、私たちはどう向き合い、付き合っていくことができるのだろうかと悩んでしまう。清廉潔白な政治家を求めても無理、政治家も人間なのだから。ということは頭ではわかるが、じゃあ政治家の道徳心や倫理観の是非はどこまでをどう許容範囲とするべきなのか。

 ドラマとしての評価は、批評家はネガティブなものが多いが、視聴者の支持率は高い。コアな視聴者だと考えられる若年層にとって、アンチトランプ、リベラルのトランプ叩きというわかりやすい図式には新味も面白味もなく、グレーゾーンが幾重にもなった複雑で不愉快な現実を反映した映像世界にこそ、何(なに)某(がし)かの真実を見出しているようにも思える。

民主主義がこの国にあるか

 政治の姿が大方の予想を超えてしまった今の時代ならではのメッセージを託された作品に『プロット・アゲンスト・アメリカ』(20・スターチャンネル)がある。フィリップ・ロスによる04年の同名小説に基づく歴史改変ドラマで、1940年のアメリカ合衆国大統領選挙で、フランクリン・ルーズベルトではなく英雄的飛行家にして親ナチのチャールズ・リンドバーグが勝利していたらという架空設定のもと、アメリカに暮らすあるユダヤ人一家を描く。迫害されるユダヤ人VSナチズムという図式に加えて、黒人差別もしっかりと描かれていた。ブラック・ライヴズ・マターの抗議活動の折、実際には黒人ではなく別の街から来た人たちが店を破壊するなどの暴力行為を起こしたといった報道があったが、それに通じる描写が本作にもある。あるいはリンドバーグ側につくユダヤ人ラビと妻の姿は、黒人や移民、性的マイノリティ全員が反トランプだと決めつけてはならない、という事実を再認識させるものかもしれない。

 この種の歴史改変ドラマは近年のトレンドでもあるが、本作は「民主主義とは?」という大きな問いに真摯に取り組んでいる作品だと思う。なかでも、最も重きを置いていると考えられるテーマの一つが「選挙」である。選挙システムそのものが正しく機能していない、あるいはシステム自体に問題があるなら、そうした国はもはや民主主義国家とは呼べないのではないか。このドラマが本国で放送されたのは今年の3月~4月で、そうしたメッセージは大統領選にぶつけてきたものだと考えられるが、郵送投票は不正だとか、敗北したら選挙結果を認めないなどとトランプ陣営が主張する現状に重なる。

 本作の幕切れで流れる、フランク・シナトラが歌う「The House I Live In」が印象的だ。ナチという最悪の脅威は去り、新たな時代の幕開けに人々の心も高揚している選挙当日。自分たちの声を代弁してくれる大統領に一票を投じようと、投票所に集まるユダヤ人や黒人たちの姿を描く一方で、投票の集計に不正があることを映像で示唆する。そこに歌詞として「私にとってアメリカとは?」というフレーズが重なる。歌は、その答えとして「避けられない単語としてデモクラシー、あらゆる人種と宗教、労働者、自分の意見を表明する権利」などを挙げている。デモクラシーが約束されているという前提──それこそが私の住む家であり、暮らす場所=アメリカという国家のあるべき姿。さて、今のアメリカはどうですか? という問いかけは、そのまま日本にも当てはまると思う。

(※本稿の初出は『yomyom vol.65』(新潮社)です)

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