「少女A」と向き合ってみる——あなただからこそ感じられる「幸せ」に目を向けてほしい

文=みたらし加奈
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——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

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 大人になればなるほど、自分にとっての「幸せ」のハードルが高くなっているような気がしていた。小さい頃は、道に咲いたたんぽぽの綿毛を見つけるだけでも嬉しかった。お小遣いを握りしめて行く、文房具屋さんが大好きだった。新しいペンを買った日には、明日の学校が楽しみで眠れなかった。

 しかし時が経つにつれて選択肢が増えるほど、条件を満たさなければ“幸せ”ではないような感覚を持ってしまった。仕事での昇進、安定した給料、結婚、出産……自分で自分の「幸せ」のハードルを上げたまま、焦る気持ちを抱えていた。

「将来はどうなっているんだろう」
「この仕事を続けていていいのかな」
「早く結婚しなきゃ乗り遅れてしまう」
「何歳までに子供を産まなきゃ……」

 自分自身もそう感じていたし、周りの子たちも同じような焦燥感を抱いていたような気がする。SNSが生活の一部になり、周囲の「幸せ」に触れれば触れるほど、「あなたはどうなの? 何をしているの?」と問いかけられる気持ちになっていた。“何者”かにならなければ人としての価値がない——そんな圧迫感すら抱いていたと思う。

 そんな私が臨床心理士になって学んだことは、「人の苦しみや痛みは、誰かと比べるものではない」ということだった。

 それは「人の幸せや喜びは、誰かと比べるものではない」ということとも同義だと思う。(これは一価値観に過ぎないのだが)お金持ちだからといって、高学歴だからといって、結婚しているからといって、子供がいるからといって、それだけがその人の「幸せ」に直結するわけではないのかもしれない。逆を言えば、お金がない、結婚をしていない、子供がいないからといって「不幸」なわけでもない。幸せというものは、実はその“事柄”から条件的に引出されるものではなく、あくまで「感覚」にしか過ぎないのだ。

 だからこそ、私の幸せとあの人の幸せは比べられないし、私の苦しみとあの人の苦しみも比べられない。幸せや不幸というものは、その部屋が暑いか、寒いかという感覚にも似ていると思う。この部屋を“暑い”と感じるか“寒い”と感じるかは人それぞれで、上着1枚で解決をする人もいれば、そうではない人だっている。住んでいる地域や食生活によって体感温度が変わってくることもあるだろう。

 同様に、その事柄を“幸せ”に感じるかどうかは、その人の育った環境や価値観や体調、遺伝子や学習してきたものが関係してきている。だからこそ、目に見えるその人の特徴(仕事、既婚or未婚、年齢、容姿など)で、他者がそれを「幸せかどうか」推し量ることは妄想に過ぎないのかもしれない。そして誰かの「幸せ」を決めつけることは、自分の「幸せ」を決めつけることでもある。また他人の“外から見た幸せ”を推し量る癖がついてしまうと、今度は自分が「幸せかどうか」ではなく、「幸せに見えるかどうか」に重きを置いてしまうようになる——。

 そうやって学習をしていった私は、一度「感覚のハードルを下げてみる」ことにトライしてみた。わかりやすく言えば、初心に戻って心の中の「少女・加奈」の声に耳を傾けてみるのだ。

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