映画史上で屈指のフェミニズム的バーレスクショー〜作りあげられたファム・ファタル『ギルダ』

文=北村紗衣
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ギルダの大舞台

 四六時中、男たちのせいで不幸な目にあわされているギルダが自分らしく輝けるのが、舞台で歌ったり踊ったりしている時です。この映画ではギルダが“Amado Mio”と“Put the Blame on Mame”を披露します。

 2曲とも歌は吹き替えでヘイワース自身は歌っていないのですが、いずれの場面でもギルダの存在感は大きなものです。とくに“Put the Blame on Mame”ではギルダはバーレスクを披露します。バーレスクというのはストリップティーズに雑多な演劇を組み合わせたパフォーマンスアートです。“Put the Blame on Mame”ではギルダは手袋を脱ぐだけという当たり障りのないパフォーマンスしかしないのですが、それでもこのショーの場面は映画史上に残るセクシーなダンスとして有名です。

 “Put the Blame on Mame”は、ギルダのキャラクターを示す非常に重要な場面です。ギルダはこの場面の直前でジョニーに離婚の道を塞がれ、泣き崩れます。自分を虐待し、縛り付けようとする夫に対する一種の復讐としてギルダが行うのが、この“Put the Blame on Mame”のパフォーマンスです。肩が出るストラップレスの黒いドレスに身を包み、先程の泣き顔とは打ってかわって完璧な姿でクラブのステージに現れたギルダは、ジョニーに挑戦するかのような視線を向けながら楽しそうに色気を振りまきます。男性客がうっとりするのはもちろん、女性客もギルダの魅力にすっかりやられている表情で、そこに苦虫をかみつぶしたような顔のジョニーが入ってきます。

 よく映画批評で指摘されることですが、ここでギルダが歌う“Put the Blame on Mame”の歌詞には大きな意味があります。この歌は映画の中で既に一度、ギルダがギターにあわせて練習するところで出てきており、どうもギルダのお気に入りの持ち歌になったようです。

 この曲はアメリカ史上の大きな災害などが全部メイムという女のせいにされるという内容です。ここでギルダは、悪いことが起こると男たちは何もかも女のせいにしてきたということをやんわり指摘しつつ、自らと歌に出てくるファム・ファタルのメイムを重ね合わせ、自分もそういう目にあっているのだということを伝えてます。おそらく映画史上でも屈指の、真剣でフェミニスト的な主体性が溢れるバーレスクショーだと言えるでしょうが、軽やかで妖艶なギルダはそうした切実な悲しみをお客に気取られません。ギルダはプロとして徹底的にお客を楽しませます。

 この場面は追い詰められた女性アーティストとしてのギルダの自己表現の機会です。リチャード・ダイアーは「他にダンスをするファム・ファタルはいない」(p.  120)と述べて、ギルダの歌と踊りが男性中心的なシステムに対する女性のからかいや抵抗を示唆するものと受け取れることを指摘しています。ギルダのこのダンスは、同時代のフィルム・ノワールのファム・ファタルたちよりはむしろ19世紀末のオスカー・ワイルドのサロメや、イプセンの『人形の家』のノラのダンスに近いものでしょう。

 『サロメ』については既にこの連載で扱ったことがありますが、サロメは自分を虐待している継父ヘロデに踊るように言われ、男社会からの要請で行うことになったダンスを自己表現の場に変えます。『人形の家』では、ノラはあまり自信がないながらも夫に言われて仮装舞踏会でタランテラの踊りを披露することになっており、やがてこれを自分の感情を表現するために使います。

 ダンスというのはその「女らしさ」や「艶やかさ」が男たちによって是認された場合、男社会において女性に許される数少ない芸術的な自己表現の方法となることがあります。ジェーン・マーカスはこの19世紀末の2本の戯曲のダンス描写に、押しつけられたものを自己表現に変えようとする「新しい女」の力を見ています(Marcus, p. 105)。ギルダはここで押しつけられたのではなく自分からバーレスクを披露していますが、男社会が要求するセクシーなダンスを通して自分の感情を表現しようとしている点では、サロメやノラの子孫と言えるかもしれません。

 このように複雑なキャラクターであるギルダですが、いまだに映画批評においてはとおりいっぺんのファム・ファタルとして処理されることもある存在です。ジュリー・グロスマンは批評がギルダのような女性像を「ファム・ファタル」という型にはめて考えてしまうことで解釈が狭められてしまうことの害を指摘しています(Grossman, p. 51)。ギルダは男を破滅させるファム・ファタルではなく、ファム・ファタルを生み出す男の幻想に悩まされているキャラクターなのだという観点から作品を見ることで、さまざまな面白さを発見できるはずです。

参考文献

Doane, Mary Ann, Femmes Fatales: Feminism, Film Theory, Psychoanalysis (Routledge, 1991).
Dyer, Richard, ‘Resistance through Charisma: Rita Hayworth and Gilda’, in Women and Film Noir, ed. E. Ann Kaplan (BFI, 1998), 115–122.
Grossman, Julie, Rethinking the Femme Fatale in Film Noir: Ready for Her Close-Up (Palgrave Macmillan, 2009).
Hanson, Helen, and Catherine O’Rawe, ed., The Femme Fatale: Images, Histories, Contexts (Palgrave Macmillan, 2010).
Hollinger, Karen, ‘Film Noir, Voice-Over, and the Femme Fatale’, in Film Noir: A Reader, ed. Alain Silver and James Ursini (Limelight Editions, 1998), 243–260.
Martin, Angela (1998), ‘“Gilda Didn’t Do Any of Those Things You’ve Been Losing Sleep Over!”: The Central Women of 40s Films Noirs’, in Women and Film Noir, ed. E. Ann Kaplan (BFI, 1998), pp. 202–228.
McLean, Adrienne L., Being Rita Hayworth: Labor, Identity, and Hollywood Stardom (Rutgers University Press, 2004). 
Marcus, Jane, ‘Salome: The Jewish Princess Was a New Woman’, Bulletin of the New York Public Library, 78 (1974): 95–113.
Wilde, Oscar, The Importance of Being Earnest and Other Plays, ed. Peter Raby (Oxford University Press, 1998).

イプセン、ヘンリク『人形の家』原千代海訳、岩波文庫、2002。
ワイルド、オスカー『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』西村孝次訳、新潮文庫、1996。

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