Twitterで短歌を詠む。想像力でどこまでも、「野口と短歌ラリー」

文=野口あや子
【この記事のキーワード】
Twitterで短歌を詠む。想像力でどこまでも、「野口と短歌ラリー」の画像1

GettyImagesより

(※本稿の初出は『yomyom vol.65』(新潮社)です)

 五月から短歌のオンライン企画「野口と短歌ラリー」を開催している。

 自粛期間中、私のような歌人でもいくつかのレクチャーやイベントが中止された。そのなかで思いついたのがツイッターのDM機能を使い、参加者と五往復ずつ短歌をやりとりし、その後希望があれば添削のフィードバックを返す「野口と短歌ラリー」だ。

 ステイホーム中、私にはどこか足元のおぼつかなさがあった。三十代だから、万が一感染しても重症化することは少ないだろう。それに専業作家のため、打ち合わせやイベント以外は出勤しなくてもなりたつ仕事だ。だがイベントや会食など人と関わる機会が大きく減り、もともと人とのコミュニケーションが書くことや暮らすことの活力になっていた私にとって、人に会えない、リアルな体験ができないのは大きな精神的打撃だった。リアルな感触を得る機会が失われ、感受性がまるですかすかのスポンジになったようだった。そんな気持ちを抱えてはじめたオンライン企画は、誰かと歌の話がしたい、誰かの日常と繋がりたいという強い欲求から生まれたものだった。

 ただ、社会情勢も不安定で皆が落ち着かないなか、参加者に短歌を提出してもらって、それに一方的に赤入れするという、権威的なレッスンの立場はとりたくない。どちらかといえば仕事の合間の息抜きや、軽やかな刺激になるものでありたい。であれば、テニスのラリーのようにお互い短歌を送り合いながら、参加者の個性を伸ばすようなあり方はどうだろう。わくわくする壁打ち。そんなイメージでラリー開催のアナウンスをした。

 アナウンス後はすぐ参加者が殺到。一日に何人もの参加者とラリーをしながら、歌はあふれるようにどんどんできた。この歌に出てくる「きみ」って誰だろう。子どもだろうか、恋人だろうか、この作者はどんな人達と普段過ごしてるんだろう。海の歌が出てくるけど、どこに住んでいるんだろう。あ、空が晴れて来た。晴れの歌を送りたいけど、ツイッター越しのそっちは晴れているかな……。

 足で外出しないだけに、想像力があればどこまででも行ける。想像力さえあれば、コロナの活動自粛なんて関係ない。

 さらに参加者に驚かれたことは、私の短歌の返しが異常に早いことだ。大学時代、通学のため電車に乗っていた十五分の間は作歌時間と決めて集中した結果、一日十首以上できることがよくあって、見せられたものや読んだものに対して呼吸のように短歌を作ることは自分のなかでは自然なことだった。だがどうやら普通の人が考える速さじゃないらしい。一度、歌人同士で題を決めて即興で短歌をスマホに打ち込んで遊んでいたら「やってるの、テトリスだよね」と冗談で言われるほどの速さだったのだ。

 それがラリーにおいては功を奏した。歌を送られたとき、スマホを手にしていたら三分以内に返せることも多々あったから、これが参加者の想像力をかき立てたようだ。私の歌の返しの早さに、できるだけ早く返したいという参加者の心理が、思考よりもっと野蛮で強い、言葉の反射神経を刺戟したらしい。

 私の歌集の読者も、オンラインの短歌イベントと聞いて興味を持ってくれた短歌作者も、リアルタイムにどんどん歌が切り返されるスピード感と、送られてきた歌から瞬時に次の歌の展開をイメージするラリーは、今の読み手は書き手、書き手は読み手であるSNS文化ともマッチしたようで、これを機に短歌を書きはじめたという参加者も後を絶たない。

 当初ほんの思いつきで、参加費3000円の料金で始めたラリーだが、元々うるさいくらい出し惜しみしない性格なので、希望者には添削やアドバイス、作歌に参考になるおすすめの歌集をいちいち紹介していたものだから、参加者にはとんでもないオプションと感じられたらしい。八月には「料金が安すぎます!」「追加料金お支払します!」という声があがり、リピーターからの要望でラリーの値上げが決定。現在これを執筆中の九月は、料金は内容に合わせて梅3800円、竹4800円、松5800円の三コースで作っている。五往復のラリーだけのものから、添削付きのもの、添削に加えておすすめ歌集、詩集、小説を紹介する三コースだ。やはり短歌作者にとって添削はあるに越したことはないらしく、竹、松コースばかりが選ばれる。

 参加者からは、「これまでは歌集を読むばかりでしたが、これからは自分で作るのも楽しんで行けそうです」「こんな勢いで作れるとは思っていませんでした!」「改善点もっと詳しく聞いていいですか?」という、嬉しい声が続々。ほぼ毎週参加する猛者の方から、テーマを決めてのラリーを希望された方、倍の十往復を希望された方、歌のやりとりをしているうちに自然と恋愛相談に発展した方までいる。指導者と参加者は似るのか、勢いがあり、積極性と行動力抜群の参加者が目立つ。だがアツすぎるくらいのメンタルでないと腕が上がらないのが歌詠みの性(さが)だろう。

 ではここで、実際のラリーの様子を紹介させてもらおう。

 まず、札幌よしもと所属のスキンヘッドカメラ岡本さん(@yuyaokamoto1984)。さすが芸人さんだけあってボールが弾むような楽しいラリーだった。

色つきのそうめんごときに気を取られ見逃す宮本浩次のシャウト
@yuyaokamoto1984

 宮本浩次ことミヤジといえば椎名林檎ファンの私はすぐ二人のデュエット曲「獣ゆく細道」を思い出す。大暴れのミヤジの手綱を引くようにしっとりと歌う林檎様。できた歌はこんな機会がなければ作ることがなかった、ミヤジと林檎へのオマージュだ。

椎名林檎に宮本浩次の声混ざりアヒージョに溺れる海老の桃色
@ayako_nog

 次の参加者は恵(@meg_kei)さん。何度も参加してくれている方で、毎回のフィードバックを熱心に聞き、次回に向けてよく意識してくれることでも大変教えがいがある参加者さんだ。今回は通しで見ていただこう。

_____

マスクの下でひとりにやにや思いつく 空は高くて空は青くて
@ayako_nog

透明なカーテンの先 ちょっとだけ大きな身ぶりに垂れたまなじり
@meg_kei

 ちょうど短歌を受け取ったドラッグストアで見たのは、やはりコロナ対策の透明なカーテン。店からでるとまさかの夕立だ。しばらく軒先で雨宿りをしていると雨はすぐに止んだ。そうまるで、カーテンのように。

夏と秋のはざま真白きカーテンのように夕立降りしきりたり
@ayako_nog

窓ごしの日照雨(そばえ)のひかりさらさらとブレスレットに反射しており
@meg_kei

 女性らしいモチーフも多く、やさしく温かい雰囲気を漂わせる恵さん。次の歌は恵さんに捧げよう。

昔女ありけりさらりちらちらと水辺のように手首光らせ
@ayako_nog

手の甲に血管うすくあおく透けほっと息つく針を刺すひと
@meg_kei

 病院の血液検査を思い出した。恵さん、どこか悪いのだろうか。でも大丈夫。終わらない痛みは無いと、声を掛けてあげたい。

よく揉んでおいてください かなしみも痛みもいずれほぐれゆくから
@ayako_nog

「頑張れ」のタフなやさしさ受けとめて、「がんばりすぎないでね」と言いたし
@meg_kei

 頑張り過ぎちゃうのは、誰でも同じ。痛々しいし逞しい。そして人が懸命に生きる姿は愛らしい。次の歌は人の頑張りを勢いのあるボールに託した。

投げ込まれミットの中で暴れたるきみのいじましい空元気
@ayako_nog

不規則なスーパーボールの跳ね返り 数式よりもへんてこであれ
@meg_kei

 フィードバックにかかりますね。ちなみに「頑張れ」のタフなやさしさ受けとめて、「がんばりすぎないでね」と言いたしは、「頑張れ」と言っているのと「受けとめて」いるのはそれぞれあなた、わたし、第三者のどれをイメージして作りました?
@ayako_nog

「頑張れ」と言っているのは第三者(きみ、ではないイメージ)「受けとめて」はわたし、です。
@meg_kei

 承知しました。まず、前回のアドバイスである、「恵さんはテーマに都市風俗やかろみなど、ポップさも向いていると思うのでぜひ挑戦していただきたい」ということ、そしてもう一つのアドバイス、「一読軽やかでありながら、読ませどころは深く」をよく意識されていると思いました。

不規則なスーパーボールの跳ね返り 数式よりもへんてこであれ
透明なカーテンの先 ちょっとだけ大きな身ぶりに垂れたまなじり

 あたたかく、ユーモラスで自由な感じ。以前、旧仮名から新仮名に変えられましたが、新仮名マインドな感じがします。

 同時に、シーンを描くのに書き割りのような「説明」の理が優っているかなと思いました。

「頑張れ」のタフなやさしさ受けとめて、「がんばりすぎないでね」と言いたし

 ご説明を聞くと、ちょっとドラマのシーンめいているかなと感じました。一人称の文学で第三者が出てくるのは荒技なので、この題材は他の表現にしたほうが適切かもしれません。短歌は説明より描写と思ってもらえるといいかと。絵だったら細筆太筆を使い分けてキャンバスを埋めていくように、緩急のハーモニーをあわせて描写する感覚で作られるといいかなと思いました。
@ayako_nog

 ありがとうございます。おっしゃるように、説明的になっていますね。描写に徹すること、意識したいと思います。
@meg_kei

 ぜひ。今回のおすすめは鈴木美紀子さんの「風のアンダースタディ」です。展開が自在で、軽やかかつ深みがあります。ぜひお読みください。
@ayako_nog

 おすすめありがとうございます。自分では選べない本をご紹介いただけて、とてもありがたいです。さっそく読んでみたいと思います。今回のラリーもとても勉強になりました。どうもありがとうございました!
@meg_kei

_____

 添削コースを作った結果、私は添削をするのが好きなんだと気づいたのも嬉しい発見だ。作者が言いたいことを探りながら、よりよい表現方法を探っていくこと。作者の美点と短所がコインの裏表になっていることもあり、そのなかからかけるべき言葉を考えること。色々と思ったことは伝えるけれども、結論は一言か二言、核心をつけるようなアドバイスを言うことにしている。

 また、参加者が好きそうだけれど、なかなか知る機会が無いだろう本を見繕って紹介する松コースもとても楽しい。

 ネット媒体など作品発表のハードルがぐっと下がるなか、短歌作者でも、紙の歌集を読んで勉強したことがほぼないという世代がいてぞっとすることがある。確かにネットはリアルタイムに情報が知れて便利だ。しかし、バズるどころかネットにすら引用されないもの、たった一人の書き手がたった一人の読み手を救うためだけに書かれたものだと感じさせるものこそ、質のよい読書なのではないかとも思う。そう思うと、人とすぐに繋がり、バズった短歌を読んでは、自分の発信した短歌のいいねやリツイートの数に一喜一憂し、言葉をゆっくり噛みしめるのがおろそかになるツイッター短歌ばかりでは貧しい。

 「アウトプットの上達の一番の近道はインプット」とは、参加者にいつも言っている言葉だ。その声を聞いてくれているのか、上達を楽しむ参加者ほど添削&おすすめの本の松コースを選択してくれる。

 ラリーが終わっても参加者がどうしているか気になって、参加者のツイッターを覗くことがよくある。ラリーをきっかけに早速今日も短歌を呟いている人やら、打ち明けてくれた新しい趣味や恋の話をしている人。参加者の今をスクロールしてみる。またラリーできるといいな。そう思いながら、私もまた短歌を考える。コロナの影響で日々予断を許さない中、それでも教える喜びを知り、参加者の想像力の手助けをする喜びを持てたことはなによりの収穫だ。

 コロナの時ほど想像力でどこまでも。興味を持たれた方はぜひ、私のツイッターに記載されたメールアドレスに声をかけてみてほしい。

(※本稿の初出は『yomyom vol.65』(新潮社)です)

「Twitterで短歌を詠む。想像力でどこまでも、「野口と短歌ラリー」」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。