お寺の住職が子育てで直面した絶望。暗闇から模索した「グリーフケア」

文=玉居子泰子
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勝林寺の住職、窪田充栄さん

 子どもが生まれるとわかった時、多くの親は明るい気持ちを抱くものだ。出産後にどんな生活になるのかとワクワクしながら。だが一方で、妊娠・出産・育児には困難がつきもので、一人の子を無事に育てるのは奇跡のようなものだと、子育て経験がある人ならば誰でも理解できるだろう。

 東京都豊島区にある臨済宗 妙心寺派 萬年山 勝林寺の住職、窪田充栄さんも10年前、第一子を迎えた時、幸せなことばかりを想像していた。2年後に第二子を迎えた時も。一人の父親として他の人と同じように、わが子の誕生を前に期待で胸を膨らませていた。だが、家族が増え、これからが楽しみだというときに、次々と思わぬ出来事が起きた。

生死の境をくぐり抜けて生まれた次男

「現在7歳になる次男が生まれるとき、分娩がうまくいかず緊急帝王切開になりました。無酸素状態になり脳死寸前状態で生まれたために、脳性麻痺になったんです。現在も肢体不自由で、胃ろうをしています。呼吸器はつけていないけれど、呼吸器系もあまり強くはない。年に1、2回は入院をして、つい先週もやっと退院したところなんですよ」

 穏やかな声で、わが子の抱えている障害や疾患について語る窪田さん。3年前に完全バリアフリーに建て替えたという寺内の客殿でお話を聞かせてくれた。渋墨色の柱や暖かみがある照明と、ほのかに漂ってくる香木の香りが心を落ち着かせてくれる。

 広いコミュニティスペースにはいくつものテーブルが並び、ここで定期的に地域の人たちに向けて、仏像彫刻や茶道など「寺子屋」を開催しているのだそうだ。

「『崖から崩れ落ちるような』という表現がありますよね。まさにその通りでした。これから、子どもが増えて楽しい想像しかしていなかったのに、急に崖から落とされた感覚になりました」

 次男はすぐにNICU(新生児集中治療質)に入り、3カ月間入院した。ちょうど同時期に、3歳になっていた長男が自閉スペクトラム症だと診断を受ける。

「1歳を過ぎてもまったく喋らないし、おかしいなあとは思っていました。でも当時はまだ、今ほど発達障害についての情報も多いわけではなくて。同年齢の子たちの発達とは異なることはわかっていたけれど、診断を受けて障害が確定した時は、やっぱりつらかったです」

 ”なんでうちばっかり……”。どこにもぶつけられない憤りが湧いた。公園を歩けば、元気な親子連れが手を繋いで歩いていたりキャッチボールをしたりしているのをみるのがつらくなる。退院後、鼻にチューブを繋いだ次男を医療用バギーに乗せて外出すると人の目が気になった。SNSで子どもの成長する写真を載せている友人の投稿を見ると、自分とはまるで違う世界の人に思えた。

「『お子さんはもう生まれましたか?』と聞かれると答えに詰まって。正直に今の状況を話すと『ごめんなさい』と謝られる。素直におめでとうと言ってもらえないつらさやしんどさがずっとありました。外を気軽に歩けなくなりました」

「神も仏もない」と僧侶の身で嘆いた日々

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3年前、建築家の手塚貴晴・由比氏の設計で本堂を初めて全建物を立て直した。どこかモダンでふらりと立ち寄りたくなる雰囲気。

 長男の発達障害の診断の確定と、次男の重い疾患。それだけでも想像に絶する大変さに違いないが、さらに父である先代住職に病気が見つかった。

「ちょうど寺の建て替えを数年かけて行おうというときに父に悪性リンパ腫が見つかりました。寺の仕事が多忙になるなか、子どもたちのケアと父の闘病といろんなことが重なりましたね」

 NICUを退院した次男の完全自宅看護は想像以上に体力を使い、長男にも療育が必要になった。父は急速に死に向かっていった。窪田家には大きな試練が幾重にもなってのしかかっていた。

「神も仏もない」

窪田さんはそう思ったという。

「この職業で言っちゃいけないことですが、そう思いましたねぇ。祈りの意味や生きている意味がわからなくなってしまったんです。それでも人と会うのが仕事。怒涛のように毎日やるべきことがある。それらをなんとかこなして、明日につなげてやり過ごしていたのでしょうかね」

 それでも、父の跡を継いだ寺を回していかなくてはならない。法事に向かい、ときには看取りの葬儀をあげ、檀家の悩みに耳を傾けることもあった。だが、誰よりも暗い闇のような苦しみを抱えているのは、住職その人だった。

「あの頃のことは、あまり記憶にないんです。いくら思い出そうとしてもつらい時のことを思い出せないんですよね」

障害がある子が「二人」いたからこそ、と振り返る

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妻の奈保さんと次男

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通常のベビーカーと見分けがつきにくい「子ども用車椅子」の認知度を高めるため、勝林寺でオリジナルの子ども用車椅子マークを作成、販売中

 “外の仕事”を一手に引き受けていたのが窪田さんだとしたら、妻の奈保さんは”家の中”を必死に保とうとしていた。

 NICUを退院した時から、医療ケアが必要な乳児を24時間看護するのは、家族の役割になる。窪田家の次男には、脳機能障害により深刻な睡眠障害がある。誕生後すぐから睡眠安定剤を服用しなければ眠ることができなかった。服薬していても、7歳になったいまでも夜中に何度も目がさめるという。

「ほぼ24時間といっていいくらい、ひたすら次男を抱っこし続けていました。そうするより仕方がなかったんです。でも長男にももちろんケアが必要。電車に乗って週に1度は療育にも行かなくちゃいけない。週2回訪問看護師さんが来てくれたので、その時に次男を任せて、なんとか数時間長男との時間をとって療育に連れていってあげられるという状態でした」(奈保さん)

 その頃、奈保さんには「自分の時間」など皆無だった。自身の睡眠さえ取れていなかった。それぞれに重度の疾患や障害を抱えた乳幼児二人に24時間寄り添う……それは想像を絶する苦労と孤独感だっただろう。

 当時のことを話そうとすると、今も自然と涙がこぼれてしまう、という。

 それでも奈保さんは、長いトンネルのような暗闇をなんとか歩き続けた。そしてそんな奈保さんを支えてくれたのは、ほかならぬ、重い疾患と障害がある二人の子どもたちだと彼女は言う。

「右手に次男を抱き、左手で長男を抱く。それが大変じゃなかったとはとても言えません。だけど、二人いたから、保っていられたんだなとも思うんです。一人に掛かりきりにはなれなくて、障害は二人ともあるけど違う障害で、2分の1ずつ見ていた。気持ちが分散できたんです。

 もし、息子たちのうちどちらかが”健常児”だったとしたら、やっぱり私はおかしくなってしまっていたんじゃないかとも思います。全く別の障害を持って、全く別のニーズがある二人を、代わる代わるみることで、もう一方の世界から抜け出すことができた……。だからやっぱり、二人にあの時を支えてもらったんだとしか思えないんですよ」(奈保さん)

 住職が“外”の仕事をこなし、奈保さんが“内”の仕事をやる。崖底の暗い闇からなんとかして家族を守ろうと、それぞれの場所をそれぞれのやり方で立ち直らせるべく、夫婦は必死で毎日を過ごした。

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