ではなぜ広告活動についての議論が必要なのか。憲法改正の是非を問う各種世論調査では、改正派と護憲派の割合は概ね約3割ずつと拮抗しており、態度未決定層が約4割存在している。つまり国民投票に勝利するためには、その4割の態度未決定層から票を取り込まなければならないのだ。そのためには広告を含む、あらゆるPR手段が必要となるが、中でも重要なファクターとなるのが、視覚と聴覚に訴えかけるテレビCMである。
日本においても10代、20代ではすでにインターネットの視聴時間がテレビを上回っているが、選挙に行く率が高い30代以上の情報入手源は、依然としてテレビである。そこに大量のスポットCM(15秒)を投入すると、相当なインパクトになることは容易に想像できる。
さらに、大量の広告発注による莫大な広告費の流入があれば、メディアはその広告主に忖度する。例えば、改憲派が昼間のワイドショーや夜のニュース番組のスポンサーになれば、その番組内で改憲派に批判的な報道は出来なくなる。新聞や雑誌でも、広告が掲載されていれば、その広告主を批判する記事を掲載しないのは常識である。つまり巨額の広告費は単に視聴者や読者に対して広告を掲出するだけでなく、メディアの忖度を引き出す賄賂としての役目も果たすのだ。
これを防止するには、あらかじめある程度の広告費の上限を設定するか、国から双方に同額の広告費を支出し、その金額の範囲内で広告展開するような制度設計をするしかない。公正公平な国民投票の実現のためには、広告規制を議論することは非常に重要な課題なのだ。
立憲民主党の辻元清美議員は、「CM規制は、与党対野党の話ではない。表現の自由など憲法に深く関わる問題が含まれている。だからこそこの問題から逃げてはならない」と述べ、「(自民党は)今後これを議論していく方針かどうか。一般の委員会でも法案審査が終わると、野党が一般質疑を求めても与党が拒否してほとんど開かれないのが現状だ」と指摘。法案を通した後、広告規制については議論されない恐れがあることに懸念を表明している。
改正案を通しても即、国民投票にはならない
今国会で与党は改正案の成立を先延ばしにしたが、立憲民主党も次の国会では、何らかの合意をせざるを得ないと判断しているようだ。確かに、改正案が提出された時にはなかった条項をあとから追加せよというのは、国会戦術的にもただの時間稼ぎにしか見えない。この改正案は成立させて、改めて憲法審査会で広告規制問題について真摯に議論すべきであろう。
今国会開催中には「#国民投票法改正案に抗議します」というハッシュタグが拡散したが、前述したとおり、改正案自体には特に問題は無い。国民民主党はかなり詳細な広告規制案を既に提出しており、立憲民主党も対案を示して議論すべきだ。
護憲派の中には、改正案を通せばすぐにでも国民投票が行われるような言説を振りまく人も居るが、そんなことは不可能だ。そもそも現在、改憲派は参院で発議に必要な3分の2議席を持っていないし、さらに、このコロナ禍の真っ只中において、国民投票を実施すべきだという国民的なコンセンサスが醸成されていないことも明らかである。それを無視して改憲派が国民投票を実施しようとしても、強権的な強引さが見えては、4割の態度未決定層の支持は得られない。その程度のことは、PRの専門集団である電通がついているのだから、改憲派も理解しているはずだ。
私は、広告規制がないという国民投票法の欠陥は正すべきだと思うが、国民投票の実施自体を否定する立場ではない。改正案を通しても憲法審査会という重要な討議の場は残るのであり、国民多数の理解を得た公正公平な国民投票を行うために、改めてこの問題を議論すべきだと考えている。
(本間龍)
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