詩人で劇作家の寺山修司といえば、有名なのが母である。寺山の作品の中で、母は男と駆け落ちをした女であり、売春婦であり、縛られて捨てられ、なんども死んで、裸に剥かれている。
有名なのは『家出のすすめ』でエロ本の伏字に全部ハツの名前をあてはめて読むシーンだ。夜汽車の中で少年・寺山が開いたエロ本は伏字だらけで、その×××にすべて寺山は母の名前をあてはめていく。
半ば後ろからハツをのぞませ、二三度ハツをハツしてから、ぐっと一息にハツすると、さしものハツもハツで充分だったので、苦もなくハツまですべりこんだ、その刹那・・・さすがにハツに馴れたハツも思わず 「ハッ!」 と熱い息をはいて、すぐにハツをハツしてハツハツとハツするハツにぐいぐいと ハツハツハツハツハツ
そんな悪名高き寺山ハツが出しているエッセイ『母の蛍 寺山修司のいる風景』のを古本屋で見つけて、買ってみた。夫を戦死で失い、息子のために赤貧の中で働き詰めだったことが綴られている。戦後、女性が選べる仕事は少なく、ひとり息子を大学に行かせるお金を稼ぐために、母は九州で仕事をする。海を見ては、青森にいる子を思って夜な夜な涙する日々。
ハツがエキセントリックな言動の多い強烈な母であったことは事実だが、大変な苦労人であったことも間違いない。たとえ彼女が息子のいうように米兵の性の相手として金をもらっていたとしも、そのことを貶められる筋合いもない。
自分はサブカル好きなところがあり、10代の頃から寺山や写真家の荒木経惟(アラーキー)が好きだった。二人とも何が本当で何がウソかわからないインチキぶりが好きだった。アラーキーに関しては妻の陽子さん、寺山に関してはハツの存在がミューズだったんだろう。彼女たちのプライバシーは暴露され、本当か嘘かわからないことも散りばめられた。
アラーキーは数年前にモデルのKaoRiさんからMeToo運動の中で告発されている。アラーキーから勝手に「愛人」とか「ミステリアスな女」とか「マンションはいらない女」とか吹聴され、KaoRiさんは幻想を抱いたファンからのストーキングに苦しんだ。
告発にふれるのは辛かった。単なる被写体では済まされなかった他のモデルたちの人生について初めて考えた。妻の陽子さんのことも。こうして今、寺山ハツのことを考えると、少し戸惑いを感じる。
息子の求めに応じて、ハツはカメラの前で脱ぎ、白塗りにもなる。出された写真集には「ぼくのお母さんは男と駆け落ちをして…」とあることないこと書かれている。ハツは猛烈に抗議するが、告発は無効化されたまま今日にいたる。「芸術なのだから」と。
MeToo運動は性暴力被害に遭ったことのない私にとっては、なにかを告発したり回復したりする契機にはならなかった。ただ、昔から慣れ親しんだものやアートの中にある暴力性に気がつくことは増えた。サブカル好きとしては辛い。辛いけど、元にも戻れない。