2020年を代表する出来事は、言うまでもなくコロナ禍であろう。すべての人々がプレッシャーと不安を抱えながら先の見えない毎日を送る毎日の中、実は精神科病院の入院患者たちという最も忘れられやすい人々に対する関心がひそかに高くなっている。
日本は長年、精神科における入院数や身体拘束の多さなどの人権侵害状況が、国際的に厳しい批判を受けてきた。障害者権利条約など国連の条約を批准してきたものの、状況が大きく改善されるということはなかったのだ。精神科病院の中での暴力や虐待は、たとえ患者が死に至っても、関係者の逮捕や実刑判決には結びつきにくいものだった。しかし、精神科病院内での「メンタルヘルス事件」をめぐる空気感は2020年、確実に変わり始めていた。
今年、入院患者を虐待していた看護師らは迅速に逮捕・起訴され、不要な身体拘束に関連して入院患者を死に至らせた精神科病院には高裁判決で3500万円の賠償が命じられている。2019年以前には見られなかった成り行きだ。
精神科病院の中での青年たちの死が、聴衆を無言にした
2017年10月12日、私は国連ジュネーブ本部内で、日本の人権状況に関するパネル発表において、簡単な自己紹介の後、「2つの悲劇からはじめます」と語り始めた。
最初の悲劇は、2012年1月に発生した。千葉県内の精神科病院に入院していた33歳の青年が、看護スタッフらによって頚椎を骨折させられて寝たきりとなり、2014年4月に死亡した。遺族の必死の奔走によって、看護スタッフ2名が逮捕されたのは、2015年7月、暴力事件から3年6カ月後のことであった。2017年3月の千葉地裁判決は、2名のうち1名を罰金30万円(求刑では懲役8年)、1名を無罪(求刑では懲役8年)とした。人命を奪った罪としては、あまりにも軽い。
次の悲劇は、2017年5月に発生した。神奈川県内の精神科病院に入院していた27歳の青年が、10日間にわたってベッド上で身体拘束され続け、心肺停止状態となった。原因は、いわゆるエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)と考えられている。総合病院に転院して治療を継続したが、青年は7日後に死亡した。
客席には、国連加盟国の外交官や、各国NGOからの参加者、そして国際人権団体のスタッフ、傍聴者である市民など、150人程度がいたと記憶している。客席の参加者たちは、もちろん最初から、筆者の発表を真摯な態度で聴いていた。そして、2つの悲劇について語った瞬間、参加者たちは息を飲んだ。そして会場は、水を打ったように静まり返った。当時の日本なら、間違いなく「でも、精神科病院に入院しているような人なんだから、仕方ないんじゃない?」と冷笑されただろう。現在の日本も、似たようなものかもしれない。でも、あってはならない残酷な出来事に言葉を失うのが、正常な人間の反応なのではないだろうか。
筆者は引き続き、発表原稿を読み上げた。日本の精神科病院の中で身体拘束や保護室への隔離が減少していないことを数値や推移とともに示し、政府からも精神医療からも独立した人権監視機関が必要であることを訴え、7分間の発表を結んだ。会場からは、温かく強い拍手が沸き上がった。
発表しながら、そして拍手を聞きながら、「2人が、私をここに連れてきた」と実感した。この時の発表資料を作成するにあたっては、2人の青年ーー千葉県の事例で亡くなった陽さんと、神奈川県の事例で亡くなったケリー・サベジさんーーのご遺族から、多大なご協力を頂いた。
読み上げた英文原稿は、優れた英語力を持つ精神障害者運動家の山本眞理氏(現・精神障害者権利主張センター・絆)が起草し、ケリー・サベジさんの母であるマーサ・サベジ氏がネイティブチェックを行い、さらに筆者が音読して読みやすさや伝わりやすさを考慮した微調整を加えたものだった。ジュネーブ行きの旅費のほとんどは、多くの方々からのカンパで賄われた。協力者たちの立場や考え方は多様だが、亡くなった2人の無念への思い、そして、出来事の理不尽さに対する怒りは共通していたはずだ。2人の青年の死をめぐる大小さまざまな考えや思いは、緩やかに織り合わせられ、私をジュネーブに送り出すパワーとなった。
それから3年が経過した。この間、「日本のメンタルヘルスや精神医療が大きく改善された」という事実はない。それでも、少しずつ変わり始めているのは確かではないかと思われる。“外圧“が、小さな風穴を開けつつあるのかもしれない。
(注)筆者は、全国「精神病」者集団の一員(アーカイブ)として発表を行った。2018年5月、同集団は「精神障害者権利主張センター・絆」に改称し、他方の団体と分裂した。現在、筆者はいずれの団体にも参加していない。
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