コロナ禍のもとで密かに起きていた日本のメンタルヘルスの変化

文=みわよしこ
【この記事のキーワード】

良くも悪くも薄かった、精神科入院への日本の関心

 2017年10月の筆者の発表は、国連人権理事会で行われる普遍的定期的審査(Universal Periodic Review, UPR)の一環であった。この審査では国連加盟国が相互に人権状況を審査しあうのだが、国連や国連人権理事会が直接開催するイベントではない。このため、在ジュネーブ各国大使館から国を代表して参加する外交官のほとんどは大使や幹部どころか、管理職でさえないことも珍しくない。とはいえ、もちろん国連と深く関係するイベントである。

 審査に先立ち、「プレセッション」が約1週間にわたって開催される。その会期に審査を受ける概ね10~15カ国からは、1国あたり概ね5名の発表者を中心に5~15名が参加する。参加者たちは、国際人権法や各国で実現するための方法に関する集中トレーニングを受け、相互交流し、各国外交官に対して個別に、あるいは協力してロビイングを行い、そして審査に必要な情報を提供するためにパネル発表を行う。「プレセッション」の終了後、各国政府に対する審査が行われ、勧告が公表される。日本は、2008年および2012年に審査を経験しており、2017年は3回目の審査だった。次回の予定は2022年だ。

 もっともこの時、日本大使館の関心の焦点は、沖縄県の反基地運動のリーダーが2016年10月から2017年3月にかけて5カ月間にわたって勾留されていた問題、ついで難民や在日外国人の状況について、日本のNGOがどう語るかにあるように見受けられた。特に沖縄県内のNGOから参加していた人々は、在ジュネーブ日本政府関係者からの決して愉快ではないリアクションを受けていた(のちに彼らはそのことについても笑いながら語っていたが)。

 筆者自身は、下手な英語を気にせず伸び伸びとロビイングを行い、プレセッションで発表し、国内外のNGOや国際人権団体の人々との交流を深めていた。「おかげさまで」というのも奇妙な話だが、筆者が圧力を感じたり萎縮したりすることなく初の大舞台を無事にこなせた背景の一つは、間違いなく、日本の精神科病院の中に対する国際社会の視線に対して、日本政府や日本社会の関心が薄かったことである。

精神科病院の利益を守らなくてはならなかった厚生省

 日本のメンタルヘルス、特に精神科における病院への「収容主義」というべき状況は、長年にわたり、国際社会の厳しい批判を受けている。

 明治時代から戦前にかけて、精神障害者は自宅で座敷牢に閉じ込められるか、精神科病院のような施設に閉じ込められるかのいずれかであった。第2次大戦中には、精神科入院患者が餓死させられるという、絵本「かわいそうなぞう」の人間版のような事例もあった。また、治療しなければ生命にかかわる感染症も放置されたという。筆者は、精神科入院病棟が新型コロナの集団感染の場となりがちである2020年現在を連想してしまう。ともあれ、1930年代、全国で約24000人いた精神科入院患者は、1945年の終戦時には約4000人まで減少していた。

 終戦から5年が経過した1950年、精神衛生法(1988年、精神保健法に改称)が制定され、私宅監置は禁止された。しかし、精神科病院の設立を容易にし、“低コスト”で維持できる政策施策の数々が実施された結果、精神科病院、特に私立精神科病院の建設ラッシュが続いた。1951年には約2万5000床だった精神科病床は、1960年には約10万床、1970年には約25万床に達した。1964年に起こったライシャワー駐日大使刺傷事件の加害者が精神障害者だったこと、同年の東京五輪などが、「精神障害者は病院の中に閉じ込めておくべき」という世論を強化したり支持したりする題材となった。しかし、精神疾患によって長期入院を必要とする人々が増加しているということは、「戦後日本のメンタルヘルス施策が全く成功していない」ということでもある。

 この状況を放置しておいてよいと考えていたわけではない厚生省は、1950年代から1960年代にかけ、自らWHO(世界保健機構)に働きかけ、専門家を顧問として招聘している。しかし1968年、イギリスからWHO顧問として訪日したクラーク博士が、緻密な現地調査に基づいて提示した「クラーク勧告」は、長期入院患者の増加を問題視し、地域福祉の充実やリハビリテーションを奨励し、精神科病院の改善および統制を強く勧告した。私立精神科病院の“ビジネスモデル”と真っ向から対立する内容である。結果として、厚生省はWHOからの顧問の招聘自体を終了させた。

 なお、クラーク勧告で特に問題視されていたのは、当時20代の若い患者たちが長期入院患者となる可能性である。1965年に25歳だった患者は、2020年現在80歳だが、退院して地域生活を送る幸運に恵まれない限り、病院内で高齢の認知症患者となり、病院で亡くなって「棺桶退院」する可能性が高い。

日本のメンタルヘルスは「外圧」に強い?

 日本はその後も、人権に関する国連の条約を次々に批准している。精神科入院に関連する条約としては、国際人権規約の自由権規約(1979年)、拷問等禁止条約(日本は批准していないが1999年に効力発生)、障害者権利条約(2014年)がある。批准あるいは発効したということは、日本が「守ります」と国際社会に宣言したということである。本音は「守るフリだけはしますよ(ふん、やってられっか!)」なのかもしれないが、「守ります」と言った以上、日本に二言はなくなる。条約の実施状況については、少なくとも定期審査を受けなくてはならない。国連に対する表面的な「やってる感」のアピールは可能だが、すかさず日本国内および国外のNGOが「実態は違うんです!」と情報提供を行う。各条約の委員会は、国連内外のネットワークを駆使し、幅広く情報を集めて実態を把握し、勧告を行う。

 もちろん、精神科入院患者の状況は、勧告の対象となりつづけている。直近では、2014年の国際人権規約自由権委員会(2014年)、国連人権委員会の国連恣意的拘禁作業部会(2018年)が、精神科入院に関する法制度や現状を問題にしている。障害者権利条約に基づく初めての定期審査は、2020年9月に終了する予定であった。新型コロナの影響で中断しているが、精神医療における強制は、優生手術と並んで焦点化されている。

 決して弱くはない“外圧“が、長年にわたって、日本にかけられ続けている。それなのに、日本はなぜ変われなかったのか。近年、希望を持てる変化がわずかに見られてはいるものの、なぜ今日も、25万人以上の人々が精神科病院に入院したままでいるのか。陽さんとケリー・サベジさんの無念が「晴らされた」と言うには、まだまだ時期尚早すぎるだろう。

 そして2020年、コロナ禍のもとで精神科病院の中の状況はさらに分かりにくくなり、国外からの“外圧”も加わりにくくなっている。

1 2

「コロナ禍のもとで密かに起きていた日本のメンタルヘルスの変化」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。