精神科病棟に新型コロナウイルスが侵入するということ

文=みわよしこ
【この記事のキーワード】

あなたの関心が誰かを「生」へと引き戻す

 1月8日、杉並区長の田中良氏は、小池百合子都知事に対し、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「トリアージ」のガイドライン策定を要望した。災害等に際して行われるトリアージは、救命できる可能性があり、なおかつ処置の緊急性が高い負傷者や患者に対し、医療資源を集中させる目的で行われる。しかし、田中氏のいう「トリアージ」は、意味合いが若干異なっているようだ。

 田中氏の意見は、葉上太郎氏による1月11日の文春オンライン記事に詳細に示されている。田中氏は、医療資源の逼迫が各病院に「命の選択」を迫っている状況を指摘し、東京都に対して「まず、情報公開が必要です」という。新型コロナ感染症による重症者数と死者数は毎日公表されているのだが、重症者の転帰は公表されていない。田中氏は、たとえば重症者の年齢と転帰を関係付けるために、情報公開が必要であると考えている。

「例えばの話ですが、年齢を5歳刻みなどで、生還率や死亡率を示します。人工呼吸器などを装着して外せるまでの日数も重要なデータではないでしょうか。基礎疾患との関係もあります。これらデータや症例を、一般に分かりやすく公開するのです。もちろん個人が特定できないようにするのが条件です。

 そうすると、人工呼吸器などを付けても延命にしかならないようなケースが見えてくるかもしれません。逆に救える患者の傾向が分かってくるようなことがあればと期待します。

 これらをたたき台にして、都民の皆で考える材料にします。そうしたうえで、学会や有識者に相談しながらガイドライン化していくのです。いずれにしても急がなければなりません」

 田中氏が言うとおり、新型コロナ感染症が重症化した場合の治療効果は、年齢や基礎疾患と関係しているだろう。治療効果の高そうな患者を選んで、人工呼吸器などの医療資源を集中させることには、一定の合理性はありそうだ。しかし田中氏のいう「ガイドライン」が実現すると、事実上、「治療効果が薄そうだから」という理由で誰かを治療や救命から排除するための境界線として機能するだろう。「急がなくてはなりません」という田中氏の言葉に、筆者は心の中で「急がなくていいよ。善は急げ。悪は急ぐな」と毒づく。

 杉並区長の「トリアージ」発言と前後して、全国の自治体は、精神科病院や高齢者施設や障害児者施設に対する依頼を発している。それらの依頼から、「新型コロナ感染症に罹患して重症化したら、治療は諦めてください」いう意向を読み取らずにいることは難しい。

 たとえば川崎市保健福祉局が入所施設に対して1月22日に発した依頼では、医療資源が逼迫していることを理由として、可能な限り施設内で対応するように求めている。施設内での対応に対する適切かつ充分な支援があり、施設内で対応できない場合には入院治療が可能なのであれば、それ自体は特に不適切といえるものではないだろう。

 しかし川崎市の依頼によれば、施設は入院調整を依頼するにあたり、各入所者に対して「延命措置や呼吸器装着を希望するかどうか」を確認する必要がある。明瞭かつ誤解のない意思表示を行えない入所者は、入院して治療を受ける可能性から遠ざけられることになる。場合によっては、「役所にヤイヤイ言われるくらいなら」と職員が自発的に延命を断念させる可能性もあるだろう。

 本人が生き延びたいと思っていても、入院が可能になるとは限らない。川崎市は、「呼吸状態の著しい悪化」「意識状態の著しい低下」「24時間以上、食事や水分の摂取ができていない」という切迫した状態にあることを、入院調整の事実上の条件としている。そして入院調整の依頼は、日中に区役所に対して行わなくてはならない。各障害者団体は、事実上の治療拒否ととらえている。

 病院および施設を対象として、同様の依頼を発している自治体もある。東京都八王子市のように、大規模精神科病院が多数存在する地域でも同様である。そこから「入院患者や入所者が重症化した場合、救命は諦めてください」というメッセージを読み取らずにいることは、筆者にはできない。そしてそれは、精神科入院患者や障害者施設入所者だけの問題ではない。

 比較的若年の患者に対する退院促進が進むとともに、精神科病院が対象とする患者の主力は認知症高齢者へと移りつつある。少子化と人口減少が進む中、高齢期に精神科病院に閉じ込められてしまう可能性は、多くの人が直面しているはずの現実だ。

 いざという時、あなたの「まだ死にたくない」という叫びは、誰かに届くだろうか。ありのままの自分として高齢期を送り、「生きてきてよかった」という思いを噛み締めながら人生を終えたいと思うのなら、今、すべきことは、精神科病院の中で起こっていることに関する情報開示を求めることだ。

 あなたの関心は、現在の精神科入院患者の生命を「生」の側へと引き寄せる。そして回り回って、あなた自身の生きづらさを減少させる。

1 2 3 4

「精神科病棟に新型コロナウイルスが侵入するということ」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。