Netflix『クイーンズ・ギャンビット』がステレオタイプを静かに破壊する

文=中村木春
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 NETFLIXで配信中のドラマ『クイーンズ・ギャンビット』の快進撃が止まらない。4週間で再生回数6200万回、ドラマの影響でチェス盤の売り上げが激増、37年前に出版された原作本がベストセラー、さらに米タイム誌や英ガーディアン紙の”2020年を代表するドラマ”トップ10にも選ばれた。

 本作は、冷戦時代のアメリカを舞台に孤児院で育った少女が天才的なチェスの才能を開花させ、アルコールや薬の依存症に苦しみながらも成功を目指す姿を描いた全7話のリミテッドシリーズである。

 男女差別やフェミニズムなど様々な視点から語ることができる本作だが、私が特に着目したのは、ありきたりなようでいて革新的な登場人物たちの描き方だった。

(※以下物語のネタバレを多分に含んでおりますので、未視聴の方はご注意ください)

 

 この手の天才女性の成り上がり的なストーリーは、ものすごく賢くて美しい主人公が自分と同じくらいイケてる男に助けられたり成功したり結婚したりしてハッピーエンドという「はいはい、天才美男美女が幸せになってよかったねはいはい」ってな話になるんだろうなと思いきや、このドラマには、いわゆるイケてる女もイケてる男もでてこない。

 主人公のベス(アニャ・テイラー=ジョイ)は美しき天才チェスプレーヤーだが私生活はボロボロだし、最初こそザ・イケイケ最強チェスプレーヤー的に登場してきた男たちは、次々におのれの弱さをさらけ出し、「あ、こういう人いるわ」という身近なレベルにまで迫ってくる。

 全ての登場人物について語り始めたら夜が明けるので、ここでは個人的に印象に残った2名のキャラクターを紹介していきたい。

マウントを取り損ねて何かを得た男

 ハリー・ベルティック(ハリー・メリング)は、ベスが初めて参加したチェス大会の決勝戦で対決した強敵だった。

 コーヒー片手にあくびをしながらわざわざ遅刻してきて”お前のような小娘なんか眼中にもない最強の俺”風をビュンビュンに吹かせた挙句、ベスにコテンパンに叩きのめされる。

 その後ハリーは、どんどんスターダムを駆け上がる彼女に憧れや嫉妬やらいろんなものが入り混じった複雑な恋心を抱き、彼女のもとを訪れる。

 そこで彼女に大量のチェスの本をプレゼントするが、すでに彼女が読んだものばかりで博識な俺マウントを取り損ねる。試合についてアドバイスしようとしたり色々試みるのだけど、圧倒的に凡人であるハリーの話を、ベスはほとんど聞いていない。

 しかしハリーは喋り続ける。「君のために歯並びを直したんだ」「実は君が帰国するのを待ってた」と、普通そこは隠しといた方がかっこいいだろ、ということまでどんどんアピールする。

 やがて、ただ寂しくて誰かに一緒にいて欲しくなったベスは、恋心もなくハリーのキスを受け入れ、ベッドを共にする。行為のあと、すぐにタバコに火をつけ本を読み始めた彼女を不安そうに見つめるハリーの表情に、胸が締め付けられた。チェスでも男としても、全然ベスに相手にされていない。

 そのことに気付いたハリーは一度彼女のもとを去るのだが、その後も思い出したように「君が心配なんだ」という理由でなんどもベスに説教をたれようとしたり、とにかく少しでも自分が何かしらで上に立っていたいというエゴが見え隠れする。何度うざがられても決してへこたれない。

 ”男なら”キッパリ諦めろよ、と思う人もいるだろう。ところが彼はしぶとくついてくる。最終的にはプライドも何もかも捨てて、ベスの元彼(諸説あるだろうがここではこう表現しておく)と協力し、彼女の助けになれるよう奮起する。

 これだけ読むと正直、ハリーはちょっと惨めで、かわいそうな脇役キャラクターのように思えるだろう。しかし本作は彼を、”片思いの相手を想い続ける女々しい男”、”女に負けたくせに強がっている男”といった分かりやすいステレオタイプなキャラクターには決して落とし込まず、ハリーをハリーというひとりの人間として、フラットな目線で描ききっている。

 男はこうあるべきという概念をとっぱらって描かれた彼は、かわいそうでも惨めでもなんでもなく、とっても生き生きとしていた。

「お友達でいましょう」の何が悪い

 D・L・タウンズ(ジェイコブ・フォーチューン=ロイド)は最初から最後までミステリアスな、ベスの初恋の相手である。

 彼がベスにとって特別であり続けたのは、彼女にとって彼は「初めて自分を対等に扱ってくれたひと」だったからである。タウンズは、子供だからとか女だからとかそういったフィルターを通さず、ひとりの人間としてベスに敬意をもって接する。

 しかしタウンズは、ベスが本当に苦しかった時そばにいなかったし、魔法のように助けてもくれない。”普通”のドラマや映画なら、そういう時こそ彼のようなヒーローがヒロインを救ってやるんじゃないか、と思うところだがタウンズは彼女をただ見守っているだけだ。

 彼らはお互いに依存せず”良き友人”として、一定の距離を保ったまま相手を大切に思っており、これからもきっとそうやって関係が続いていくのだろう。

 ヒロインとその思いびとが結ばれない結果でも、こんなに心あたたまるエンディングがあっていいんだ……! と、数多のラブコメによって何度も繰り返された最後にふたりが恋愛関係になってこそハッピーなのだという固定概念が、またひとつ破壊されて爽快だった。

エンタメコンテンツ新時代の幕開け

 これまで映画やドラマの中には、ステレオタイプなヒーローやヒロイン像が横行しており、それらが私たちの住む現実世界に与えた影響は計り知れない。

 私は、若くて綺麗で可愛ければいつか王子様が現れると本気で信じていたし、男たちはきっと、女を小脇に抱え銃をぶっ放す無敵の主人公たちを観て「男は強くなければならない」と思ったのだろう。

 先日、ロマンティックコメディの大名作である映画『めぐり逢えたら』をあらためて観てみた。そうしたら、メグ・ライアンはほぼ恋愛依存症のストーカーだし、トム・ハンクスに至っては外見だけで彼女で好きになる=これって運命の出会いだよなというトンデモ展開に驚愕した。小学生のころ観て「なんてロマンチック」と感動したラストに、全然胸がときめかない。

 そんなはずはない、と立て続けに『ティファニーで朝食を』『プリティ・ウーマン』などかつて私の胸をおおいにときめかせた映画たちを観てみたが、悲しいことにそれらはすっかり色褪せてしまっていた。

 もちろん名作であることには変わりがない。しかしいつの間にか、私はもう”これじゃないもの”を求めていたのだ。

 じゃあ私はこれから何を観たらいいんだ、と思っていた矢先に発見したのがこの『クイーンズ・ギャンビット』だった。

 このドラマには、ヒーローも悪役も登場しない。

 私たちと同じように皆どこか壊れていて、それぞれに良い面と悪い面がある。それを肯定も否定もせず進んでいくこのドラマの作り方が、新鮮だった。そのキャラクターの事を”良いやつ”だととるか”悪いやつ”だととるかは、全て私たちの個人的な感覚に委ねられている。

 ”才能のあるヒロイン”、”ヒロインを助けるヒーロー”、”ヒロインのよき友人”などと単純にラベリングできないキャラクターたちがてんこ盛りで、全7話という決して長くはないシリーズの中で、これだけ人間の様々な側面をみせてくれるドラマはそうそうないと思う。

 こんな、ぜんぜん白黒つけられないキャクターばっかりのドラマが流行る時代がきたんだなあと思うと、嬉しくなった。観終わってからも、しばらく胸のワクワクが止まらなかった。

 きっと私たち本当は、ステレオタイプのつまらなさにずっと前から気づいていて、こういう作品が現れるのを待っていたのかもしれない。

女性のサクセスストーリーには差別描写がないとリアティがない?

 国内外の各メディアで、このドラマは男女差別を描ききっていない、ファンタジーだ、実際はこんなものじゃなかっただろうという批評がされていたが、私が思うにこのドラマは、そこにフォーカスしないという選択をしたのではないだろうか。

 物語の中で、雑誌の記者がベスに「男性ばかりの世界で勝負事をするなんて怖くない?」といった旨の質問をしていた。

 そこでベスは「勝ち負けだけじゃなくて……チェスは、美しいもの」と答えていたのが印象的だった。

 記者が欲しかった答えは、「男性に負けないようにと頑張っています」や「女性のみなさんの勇気になれれればと思います」などだったと予測できるが、ベスにとってはそんなことはほとんど眼中にもないようだった。

 彼女のファンの女性に「あなたは私たちの希望の星だ」と言われた際の彼女のポカンとした表情が、それを現しているようだった。

 彼女自身がもっと自分が女性であることや差別の問題などに意識が向いていれば、物語にも必然的にそのような描写が増えていたかもしれないが、主人公がその辺のジェンダーの問題をほとんど”チェスに比べたら、とるに足らないこと”という風な態度で一貫していたところが、このドラマの面白いポイントのひとつであるなと思った。

 ベスが”女性のチェスプレイヤー”である事実をドラマの中でことさら強調するのは記者や群衆だけで、当の本人や他のチェスプレイヤーたちにとってはそんなことはたいしたことじゃない、チェスの美しさの前には、男も女も関係ないのだ、といった描き方を、このドラマはあえて選択しているように思う。

 これがファンタジーだと批判されるのは、どうしてだろうか。

 女性が成功する物語には、男女差別が描かれていなくてはならないのだろうか。

 いや60年代にこんなことはありえない、リアリティに欠けている、チェスで女が成功したらもっとひどいことになる、という意見はごもっともだとは思うのだけど、このドラマで主に描きたいテーマは、そこではなかった。なので、その描写にフォーカスしなかった。という、過去様々な作品で容認されていたテーマに即した描写の選択が、女性が主人公であるというだけで、できなくなるのだろうか。

 ”女性のサクセスストーリー=差別や男性との戦い”という構図以外で描かれる女性の物語が、あってもいいじゃないかと私は思う。こういった選択肢がもっともっと増えて欲しいと思う。

 現実の世界はまだまだそうではないかもしれないけど、フィクションの世界が先陣をきってそれをやってくれることに、価値がある。

『クイーンズ・ギャンビット』のファンに朗報!

 本作の企画、制作総指揮、脚本、演出を手がけたスコット・フランクと主演を務めたアニャ・テイラー=ジョイが再びタッグを組み、ウラジーミル・ナボコフの『カメラ・オブスクーラ(英題:Laughter in the Dark)』の映画化に乗り出していることが、米ポッドキャストThe Watchで発表された。

 スコット・フランクは他にも様々な作品の企画に動き出しており、彼の次回作から目が離せない。

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