少女マンガの「ブサイク・ヒロイン」たちは、ブサイクのステレオタイプを破壊する

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 女性は、しばしば容姿を過剰にジャッジされます。美人だとジャッジされれば、容姿とは無関係な仕事をしていようとも「美しすぎる〇〇」「美人〇〇」と評され、ブサイクだとジャッジされれば、容姿は誹謗中傷の材料になるのです。

 作家の山崎ナオコーラさんは、デビュー作が売れ、公の場所に出るようになってから、「ブスは作家になるな」などの誹謗中傷を受けるようになったと言います。周囲に相談したところ、「自分のことをブスと言ったらだめだよ」と言われた経験があるとか。山崎さんは自分の容姿に悩んでいるのではなく、誹謗中傷に悩んでいたわけですが、相談された相手の頭の中で「自分がブスだと発言すること」=「死にたいくらいブスをコンプレックスに思っているはずだ」と変換されてしまったそうです。

 山崎さんは、そういった社会の構造に違和感を持ち、エッセイ『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)をリリース。「ブスなんて誰もいない。女性はそれぞれみな美しい」と言った言説の的外れ感を指摘し、「いや、美しくなくても別に問題ないのですが」と、淡々とブスを連呼するこの本。「ブスが生きにくいのは、ブスに対する誹謗中傷を許す社会が問題なのであって、ブスであることには問題はないのでは?」というラディカルな問いが提示されており、とても刺激的でした。

ヒロインは美少女ばかり?

 とはいえ、思春期で自分の容貌に悩んでいる少女たちに「ブス差別にあったとしても、それはあなたが悪いのではないから」と言っても、心の支えにはならないかもしれません。テレビや映画のヒロインは美女ばかり、というイメージがあります。

 しかし、「少女マンガ」の場合はどうでしょう。少女マンガも、美少女ヒロインは多数派なのですが、テレビや映画と比べると、明確にブサイクだと設定されたヒロインが出てくることもあるのです(ただし、冴えないヒロインという設定ではあるけれど、どう見ても美少女、というケースは多々見られますが)。

 トミヤマユキコさん著『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)は、少女マンガ界のバラエティに富んだブサイク・ヒロインたちの描かれ方を分析・紹介した一冊です。興味深いのは、安野モヨコ、岡崎京子、西炯子、萩尾望都、谷口ひとみ、山岸涼子、など名だたる作家によって描かれた全26作品から提示される、ブサイクの描かれ方の多様さです。

 あるマンガでは美醜にこだわりすぎるがためのホラー的展開が、あるマンガではブサイクゆえ愛されなかったという身もふたもない悲劇が、あるマンガでは美女の友人よりも自信満々でコンプレックス皆無の主人公の終始お気楽で幸せな姿が、あるマンガでは美しさより強さを選びあえて醜くなる決断が描かれています。それらは、「ブサイク=コンプレックスだらけ」「ブサイク=美女に憧れている」「ブサイク=美女になったら幸せ」といったブサイクのステレオタイプとは相容れないものです。

 多種多様なアプローチを見ていると、今までいかにブサイク・ブスという言葉が画一的なイメージにしばられていたのかに気づかされます。

ブサイクに嫉妬する超絶美女。『ガラスの仮面』

 私が一番好きな少女漫画『ガラスの仮面』(美内すずえ作・白泉社)の主人公も、ブス設定のヒロインでした。主人公・北島マヤは、母親から、「ツラはよくないし何のとりえもない子だよ。ほんとに。死んだオヤジに似たのかね。我が子ながらあいそがつきるよ」といじめられ、貧困に喘ぎながらアルバイト生活を続ける不遇な少女です。対するライバルの姫川亜弓さんは、大女優と有名映画監督を両親に持ち、裕福な家庭で何不自由なく育った美少女で、演劇界のサラブレットとして、女優への将来を期待されています。

 しかしこの亜弓さんは、マヤに強烈なライバル心を燃やすことになるのです。なぜなら、マヤには生まれ持った演技の才能があったから。見かけとは裏腹に、「亜弓さんは努力型、マヤは天才型だ」と読むガラスの仮面ファンは多く、私もそのひとりです。亜弓さんはとてつもない努力家なのですが、マヤの天性の才能の前に幾度となく挫折感を味わいます。

 それでも闘志を燃やし続けるのが、亜弓さんの努力型たる所以。無邪気なマヤはそんな亜弓さんを「やっぱりすごい!亜弓さん!」と尊敬の眼差しで見つめるのですが、その無邪気さがまた努力の鬼・亜弓さんを苛立たせる……という構造があるように読めます。

 私が『ガラスの仮面』を読み始めたのは、小学生高学年のころでした。「絶世の美女が、ブサイクな天才少女に何度も負けたと感じ、挫折感を味わう」マンガを当時読めたことは、幸運だったな、と今思います。『ガラスの仮面』は、スポ根マンガであると同時に、ルックスの美しさとは違う多様な価値を、これでもかと見せてくれたマンガでもあると思うからです。

少女マンガの可能性

 『少女マンガのブサイク女子考』の巻末には、トミヤマさんと能町みね子さんの対談が収録されています。そこではトミヤマさんが、「容姿に関するコンプレックスが大きなテーマになるのって、やっぱり思春期ならでは」「年を取ると、悩みがもっと複合的になる。美しくないという悩みだけに集中できない」と述べているのが印象的でした。

 たしかに、自分を振り返ってみると、年々、容姿に対して「どうでもいい」という気持ちが高まってきています。しかし、そんな私も学生時代には、毎日化粧して髪を巻いて、つけまつげをつけたりしていました。鏡を見る時間も、今の10倍くらい長かったように思います。

 自分の容姿と向き合う時間が長い思春期に、多様なブサイク・ヒロインと出会っておくことは、その人の美醜に対する思考を柔軟にするでしょう。少女たちには「もっといろんな少女マンガを読め」とオススメしたいですね。

(原宿なつき)

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