
Getty Imagesより
2013年に東京でオリンピックが行われると決まってから、非正規滞在の外国人に対する締め付けが強くなっていった。多くの外国人が入管の施設に収容され、退去強制令状が出た者の95%以上が日本を出ることを余儀なくされた(自費出国の送還も含む)。
難民や、日本人配偶者・家族がいる人たちはどうしても帰ることができず、いつ終わるかもわからない収容にひたすら耐え忍ぶしかない。先の見えない無間地獄に絶望し、自殺未遂や精神疾患にかかる人も後を絶たなかった。
しかし今年、誰も予想すらできなかった事態が入管の現状を大きく変化させた。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るったのだ。頑なに仮放免を出さなかった入管もさすがに未知の感染症には敵わず、解放される人が少しずつ増えていった。
収容施設内のずさんなコロナ対策
収容施設ではどう考えても3密は避けられない。そのため、誰も感染させないためには、入管がきっちり対策を取らなければならない。被収容者たちは、どこにも逃げる場所がなく、自分たちではどう気を付ければよいのか分からない。収容のストレスもあり、さらに精神的な負担がかかってしまう。
1月の末には家族面会が禁止された。これにより子どもをもつ被収容者はアクリル板越しでしか家族と会えず、面会室で子供を抱きしめることができなくなってしまった。親としても大変辛いことだが、まだおむつも外れていないような小さな子供にとっても精神的虐待といえる。
親子の触れ合いを禁止したものの、施設は職員などの人の出入りも多く、被収容者たちの不安は日々募っていった。
入管収容施設に消毒液は置いていない。職員にお願いをしてやっと一滴だけ手に垂らしてもらえるだけだった。
マスクをめぐっても問題があった。男性は毎日もらえるのに、なぜか女性は紙のマスクを1週間に1枚しかもらえない時期があったのである。収容者たちが状況を改善するようお願いしても、「ないから洗って使って」と冷たく言われたという。
訪問者たちも大変
何らかの用事で入管を訪問する人たちも大変になった。今までのように普通に建物に入ることはできず、番号札をもらった後は順番が来るまで外で待ち続ける。
炎天下の中だろうが、途中雨が降ってこようが、来訪者は何時間でも外で待ち続けた。長いときは4時間や5時間も待たされる。それにより入口付近は人が密集しているので感染を危惧するほどだったが、それに対し総務課広報は「外だから3密にはならない」と回答した。
面会するのも大変だ。アクリル板の下にある声を通すいくつもの小さな穴に、透明のテープがきっちり張られてしまい、会話するにも声が届かない。被収容者は病気やストレスで体が弱っているため、声が小さい人も多く、何を言っているのか聞き取るのが困難になってしまった。面会する側も必死に声を上げるしかないが、そうすると隣の部屋に響き、迷惑になってしまう。
女性被収容者たちの抗議行動
4月頃からようやく解放される者が増えだした。
しかし、帰国希望の人ばかりが短い収容期間で解放された。家族がいるなど、日本に残るしか選択肢がないのに長く収容されている人たちは解放される気配がない。なかには収容期間が5年以上の人もいる。
そんな状況に業を煮やした女性被収容者たちは行動を起こすことにした。4月25日、フリータイムの時間が終わっても部屋に戻らず、紙やTシャツに「free us please」と書き、職員たちに見せるようにして、じっと立っていた。
責任者に「なぜ自分たちが解放されないのか? 解放の基準はいったい何なのか?」を聞きたいと職員に伝えた。しかし、要求は拒否された。
その後、女性ブロックにヘルメットと盾を持った大勢の男性職員たちが突入してきて、多くの女性がケガをした。腕を捻り上げられ、床に叩きつけられ、強引に服を引っ張られて肌が露出する者もいた。
容赦のない職員のやり方に騒然となる。「あれは殺す気なんじゃないかと思った」「私たちは黙っていただけなのに、入管はやりすぎ」と女性たちは後に語っている。
職員たちは「部屋に戻れ」と命令していたが、そんななかコンゴ出身のムンデレさんは、血圧が上がったことで暑さに耐えられなくなり、部屋に戻った後に服を脱ぎ下着姿になった。
すると、命令通り部屋に戻ったのに、男性職員たちに引きずり出され懲罰房に連れて行かれたのだ。あられもない姿で異性の前を連れ回されて自尊心を傷つけられた彼女は後に、「私は難民なのに、私は女の子なのに、こんなの耐えられない」と激しく泣いていて、時折パニックを起こすようになっていった。
最後まで部屋に戻らなかった女性たちも複数の職員に担がれ、懲罰房に投げ込まれた。懲罰房の中には、前に入っていた人の排泄物が残る、床に穴が開いているだけのトイレがある。窓もなく3畳ほどしかない汚くて臭い部屋に耐えられなかった女性たちは、職員の「もうやらないか?」の声に対し、即座に「すいませんでした、もう反抗しないのでここから出してください」と嘆願させられた。
この事件の後、仮放免も決まっていた女性たち3名が、3カ月も解放を伸ばされるというダメ押しのような徹底した報復を受けた。
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