家父長制は日々更新され、しぶとい。でも無敵じゃない

文=原宿なつき
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 「家父長制」とは、デジタル大辞泉によれば<父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態。また、このような原理に基づく社会の支配形態>。これは女性蔑視に基づき、日常的な性差別を支え、ジェンダー不平等を生み出す考え方と関係性のシステムです。

 ジェンダーギャップ指数121位(2020年時点)の日本は、男女の賃金格差が大きく、政治分野において女性の割合が極端に少ないなど、家父長制が強固に生き残っていることは明らかです。

 家父長制と言う言葉はとても古臭いものに聞こえますが、実際には現代という時代にフィットしたものです。今の時代、女性の参政権を認めないとか、女性にだけ姦通罪があるといった形の家父長制は日本にはありません。しかし、現代にどうにか浸透させられるよう形を変え、家父長制はしぶとく生き残っているのです。

 政治学者のシンシア・エンローは、著書『<家父長制>は無敵じゃない――日常からさぐるフェミニストの国際政治』(岩波書店・佐藤文香監訳)において、家父長制とは過去の遺物ではなく、日々更新されるもので、手強さともろさを内包したものである、と述べています。家父長制は人為的につくられたものであり、したがって異議申し立てに対して脆弱である。つまり、「とても手強く、これまでうまいこと生き延びてきたかもしれないが、無敵というわけではないもの」だというのです。ではどうやってこの家父長制を切り崩していけばいいのでしょうか。

家父長制はどのように生き延びたのか

 家父長制というのは、潰されそうなことを察知するや否や、形を変えて生き延びようとします。シンシア・エンローは本書において、特権を男性化する複雑なシステムを維持するために、あたらしい戦略を取り入れてきた歴史を紹介しています。

 たとえば、かつてテレビの報道番組のキャスターは男性ばかりでした。そこに女性を入れることになったとき、家父長制を維持するため、キャスターの役割をジャーナリストというより原稿の朗読者か司会者に格下げし、彼女たちを女性化された「美しさ」の鋳型におしこめる戦略をとったといいます。

 国際的には、これまで搾取されてきた女性労働者たちが結託し、反抗しだすと、近隣諸国に工場などを移転させ、そこで新たな低賃金女性労働者たちを見つける、という方法で家父長制は維持されました。また、家庭内で家事分担が問題になった際、夫婦間で解決するのではなく、近隣諸国の移民女性労働者に不当な低賃金で家事労働を担わせるというのも、時代に応じて形を変えた家父長制のひとつの現れでしょう。

 本書で書かれていたのは、アメリカ、イギリス、ヨーロッパでの例がメインでしたが、日本についても考えてみましょう。

 真っ先に思いつく家父長制維持のシステムは、総合職・一般職というコース別雇用です。

 1985年、男女雇用機会均等法が制定されました。この均等法は、一般的には、労働の分野で男女平等を進めたものであり、これにより女性の社会進出が促されたのだ、という表向き認知されています。しかし、この均等法は、明白に男女で分けて採用することは禁止したものの、コース別雇用は差別だと認定していません。

 総合職・一般職というコース別雇用は、日本特有の採用方法です。このコースは建前上、男女どちらも選べるとされていますが、実態はそうではありません。コース別雇用の本質は、転勤は多いけれどメイン業務が行え昇進昇給の待遇がよい総合職を男性に、補助的業務で転勤が少なく給料が安い一般職を女性に割り当てるものです。

 家事・育児に負担が女性に偏っている現状において、「子育てをするなら一般職じゃないと難しいかも」「一般職の方が自分に合っていそうだから」と自ら選んだ女性は、仮に離婚するなどして生活が困窮した場合でも、「自分でその道を選んだんでしょ」と嗜められてしまう構造になっています。また、均等法と同じ1985年に派遣法が制定されたことも相まって、男女の賃金格差が大幅に縮まることはなかったのです。

 つまり、均等法は実質的には男女差別を是正したのではなく、男女の収入差別を正当化・固定化した、新たな家父長制の一形態に過ぎません。

「持続可能な家父長制」の共犯者にならないために

 家父長制は、時代とともに形を変え、しぶとく生き残り続けているわけですが、それを支えているのはどういった人でしょうか?

 家父長制から利益を得ている一部の男性には、その既得権益を守り抜くというわかりやすいモチベーションがあります。また、利益を得ていない男性が、「かつては男性がもっと優遇されていたはずだ」と「古き良き家父長制」の復古を求めることもあるでしょう。さらに本書では、家父長制は男性ばかりでなく、家父長制に迎合する女性やトランスジェンダーに対しても喜びや誇り、安堵する気持ちといった報酬を与える、という指摘もあります。その報酬に目がくらんだとき、どんな属性であっても家父長制の共犯者になりうる可能性はあるのです。

 家父長制に基づいた不公正を抹消したいなら、みずからの共犯性に意識的になり、まやかしの前進の裏に潜む形を変えた家父長制を指摘する目を養う必要がある。本書ではこのことにはっきりと気づかされます。

(原宿なつき)

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