中編では、前回紹介した2つの悲劇のうち、2017年5月に精神科病院に入院中だったニュージーランド人青年ケリー・サベジさん(当時27歳)が、身体拘束に関連して心肺停止状態となり7日後に死亡した出来事を中心に、日本の精神医療に関連した問題の数々について考えたい。
精神科病院の中で人知れず発生した出来事ではあるが、精神科病院が日本の一部である以上、日本で生きるすべての人にとって「明日は我が身」でありうる。
身体拘束にとどまらない日本のメンタルヘルスの課題とは
若く健康な肉体を持つ27歳の英語教師、ケリー・サベジさんの生命を奪った出来事の成り行きは単純だ。ケリーさんは2017年4月30日、神奈川県大和市の精神科病院・大和病院に措置入院した。入院の直後からベッド上で身体拘束されており、5月10日夜間に心肺停止した。大和病院内で蘇生が試みられたものの回復しなかったため、大和市内の総合病院に転院して治療を継続したが、5月17日に死亡した。心肺停止となった原因は、静脈血栓塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)と見られている。
脚や骨盤の筋肉の中に形成された血栓が肺に移動し、循環器の機能停止を引き起こす静脈血栓塞栓症は、10日間と言わず、10時間にわたって座席で動かずにいれば起こりうる。「エコノミークラス症候群」と呼ばれてはいるものの、ビジネスクラスでもファーストクラスでも、列車やバスでも、災害時の車中泊によっても引き起こされる。どのような病気でも、治療にあたっては危険をなるべく遠ざけるだろう。「精神疾患があったのだから仕方がない」といえるものではない。
この出来事への関心は、概ね、身体拘束に集中している。しかし問題はそれだけではなかった。10日間の身体拘束がケリーさんの生命を奪ったことは、おそらく確実なのだが、ご遺族から提供された資料や数多くの報道に目を通していくと、「身体拘束さえなかったら」とは言えなくなる。
もちろん、身体拘束はそれ自体が問題ではある。しかし日本は、誰にとってもメンタルヘルスを危機に陥らせやすい社会だ。問題は、いざ陥ったときに回復を支える仕組みが極めて脆弱であるという点にある。「社会のレジリエンシー」というべきものが、最初から著しく欠落しているのだ。
日本ゆえの不幸に重なった、外国人ゆえの不幸
1989年生まれのケリーさんは、高校時代にうつ病を発症し、治療と服薬を継続していた。双極性障害(躁うつ病)という病気と折り合いをつけながら大学を卒業したケリーさんは、念願どおり日本の子どもたちに英語を教える教師となった。日本に赴任したのは2015年度。鹿児島県志布志市教育委員会に所属し、市内の8つの学校で英語を教えていたケリーさんは、人柄と優しさで小学生たちに慕われ、同僚や近隣住民とも良好な関係を築いていたようである。
初めての地域での生活と、複数の学校を巡回するスタイルでの教師業を同時に開始することは、日本人にとっても容易なことではない。そして学校教育現場は、数十年来にわたってメンタルヘルス面の課題を抱え続けている職場である。もともと精神疾患を抱えていたケリーさんは、より手厚い合理的配慮を必要としていたはずだ。2014年に国連障害者権利条約を批准した日本は、障害者への合理的配慮を提供する国になっていたはずだ。しかしケリーさんは、精神疾患を開示して配慮を受けて働いていたわけではないようである。求職にあたって、あるいは就職して間もない時期に精神疾患を開示したら、就職できなかったり、容易に失職したりするであろう。日本人でも突き当たる壁は、外国人であるケリーさんにとって、さらに高く厚い壁となったのではないだろうか。治療のために休職すると、そのまま失職する可能性もある。するとビザや在留資格にも影響が及ぶ。
2017年に入るころから、ケリーさんは手の震えなどの副作用を理由に服薬をときどき中断するようになった。しかし服薬を中断すると、今度は精神状態が不安定になる。鹿児島県内にかかりつけ精神科医院があったものの、症状が重くなった時には頼れなかった。そこで2017年4月下旬、ケリーさんは兄・パトリックさんの勧めに従い、横浜市のパトリックさん宅に身を寄せた。パトリックさんは、同県内の大学教員である。
またしても、溜息がこぼれる。精神疾患が悪化した時、自分に対応できる医療機関を冷静に探し当てることは、誰にとっても容易ではないだろう。異国であればなおさらだ。九州は「精神医療の不毛地帯」というわけではないし、ケリーさんの疾患は至極ありふれた双極性障害であった。しかもケリーさんの日本語能力は高かった。「英語で対応できるスタッフがいないので無理」ということはなかったはずだ。そんなケリーさんですら、適切な医療機関に繋がることができなかったのだ。
鹿児島県内や九州で適切な医療機関を探し当てられないまま、横浜市のパトリックさんのもとに身を寄せたケリーさんは、当初は自ら東京の精神科クリニックを受診して処方を受けることができた。しかし、数日のうちに激しい躁状態となった。ケリーさん自身には、「病院に行くべきだ」という自覚があったようである。しかし結局、兄たちの助けを得ても、自ら通院することはできなかった。