日本の「腐ったメンタルヘルスケア」を変えることはできるのか

文=みわよしこ
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 本記事では、前編で紹介した2020年に見られた日本のメンタルヘルスへの感覚の変化と国際社会からの「外圧」、中編で詳細にレポートした身体拘束に関連した2017年のニュージーランド人青年の死に引き続き、33歳だった青年が2012年に千葉県の精神科病院内で頚椎を骨折させられ2014年に死亡した事件を振り返り、訴訟がたどった成り行きを紹介する。

 精神障害者を虐待すること、暴力を加えること、死に至らせることは、日本の法廷では2019年11月まで「罪」とされていなかった。わずか1年数カ月前まで、どのような空気が私たちの社会と法廷を支配していたのだろうか。

元日の事件の舞台、「保護室」とは

 千葉県内の精神科病院・I病院に入院していた陽さん(当時33歳)の頚椎が折られたのは、I病院の診療録等によれば、2012年1月1日16時過ぎのことであったと考えられる(注)。

(注)I病院、関係した看護スタッフら、そして陽さんは、これまで実名で報道されてきた。しかし、陽さんの遺族とI病院との間に和解が成立していることを考慮し、本記事では陽さんの名前以外はイニシャル表記とする。

 陽さんは、I病院の閉鎖病棟の中の保護室にいた。保護室は、自傷他害のおそれが強い患者を隔離するために設けられた病室である。テーブルや椅子やベッドなどは、自傷や他害のために用いられる可能性があるため、置かれていない。マットレスがなく、床に直接寝なくてはならないこともある。毛布や布団で自傷を図る可能性がある場合には、保護室の中で身体拘束されることもある。

 自力で食事を摂取できる場合は、床に座り込み、食器を床に置いて食べる。テーブルがない以上、そうするしかない。水洗便器が設置されていても、尿や便を自分で流すことはできない。そもそも、室内に水道の蛇口が設置されていないこともある。目的は、水の飲みすぎによって起こる「水中毒」を予防することである。

 保護室のドアは、外から施錠されている。患者が自分の意思によって保護室から出ることはできない。外界の見える窓は、あるとしても小さかったり、実際に窓から外を見ることは困難であったりする。保護室の中から外の様子を知る手がかりは、極めて少ない。それとは対照的に、保護室の外にいる医療スタッフらは本人の様子を随時知ることができる。監視カメラが死角なく取り付けられているからだ。

 人間を、このような非人間的環境に置くことは、それだけで人権侵害にあたる。もちろん保護室への隔離は身体拘束と同等に許されない人権侵害なのだが、日本では「しかたない」と受け止められている。よくある「日本の常識は、世界の非常識」の一つだ。「フォークの背に米飯を盛り付けて食べる」といったお笑いマナーとの違いは、健康や人命への深刻な被害を伴う可能性がある点だ。

 事件の起こった「保護室」という場について詳細に記したのは、その環境そのものが、不幸な事件を起こしやすく、そして隠しやすくしているからだ。そこは、外界から閉ざされている。そして密接な対人接触がある。新型コロナ対策でいう「三密」の「密閉」があり、時に看護やケアによる「密集」「密接」が生まれる。さらに、絶対的に非対称な立場と力の強弱が重なる。その状況で、事実として平穏と無事を維持できるというのなら、むしろ奇跡だろう。

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