男同士でキャッキャウフフできる=ケアし合える男らしさについて

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 『トランスジェンダーの私がボクサーになるまで』(毎日新聞出版 小林玲子訳)を読みました。ジャーナリストのトーマス・ページ・マクビーが、女性の体で生まれ、男性に移行していくうえで、「男らしさ」について悩んだ過程を綴った本です。

 トーマスは、自分が男性になったことで、周囲の様々な変化を感じたと言います。職場では自分の企画がいともたやすく承認されるようになり、たいした根拠もなく専門知識が信用され、自分が口を開けばみなが真剣に聞いてくれて、それはまるで世界が突如として自分に一目置くようになったようなものだったとか。また、女性でいたときはマイナス査定されていた、野心、押し出しの強さ、自信が、プラスに評価されるようにもなったといいます。

 そんな周囲の変化に順応していくトーマスですが、自分自身も女性よりも男性の発言をより真剣にとらえ、男性からの評判を気にし、男性からのメールに返信する方が早く、男性の意見により左右されていることに気がついたと言います。

 また、他人に路上でからまれた際に、反撃したい、勝ちたい、逃げるところを見られたくない、という攻撃性を自分の中に感じたとそうです。戦って勝つこと、男性に認められることで、「本当の男」になれるのだという気持ちに囚われていたのです。

 「男らしくしなければならない」という思いが強く、「男らしさ」が「女らしさ」の真逆だと考えるとき、それは、「女らしさ」とされる様々な性質―ルックスに気を使うこと、他人をケアすること、やさしさ、謙虚さ、控えめであること、上品さ―などの否定につながります。それは女らしさを、ひいては女性を男性よりも下位に位置付けるものだ、と感じたトーマスは、自分の中の有害な男らしさ(Toxic masuculinitiy)と、ボクシングを通して向き合っていくことになります。

ボクシングは強さ、そして弱さを見せ合うスポーツ

 男らしさについて考える中でトーマスは、自分だけではなく、男性として生まれた男も、「自分は男だ」と証明しなければという焦りがあることに気づきます。

 我が身を危険にさらすことや、女性や同性愛者を男同士でけなすことで自らの男らしさを証明する……そんな男性を数多く目にしたトーマスは、そういった有害な男らしさと距離を置いても自分が男だと感じられる方法を探り始めます。

 男はなぜ攻撃的になるのか? なぜ闘うのか? そういった疑問からトーマスはボクシングにチャレンジすることになるのですが、意外にもボクシングの現場にあったのは、旧来の「男らしさ」とは真逆の世界でした。

 そこには、スキンシップ、弱さを見せること、涙を見せること、男同士が助けを求め、お互いにいたわり合い、ケアし合う文化があったのです。

 ボクシングは一見すると暴力的ですが、裏では多くの男性に欠けているもの、男らしくないとされているものを内包しているスポーツであり、強さを見せると同時に、弱さ、脆さを見せるスポーツだというわけです。

「男らしさという物語」再考

 トーマスは、ボクシングを通して、新しい男同士の付き合いを学び、弱さを見せ合うことを覚えます。そして、男がしないとされていたことー質問する、弱さを見せる、助けを求める、女性と協調する、嘘偽りのない自分自身を見せるーをしはじめたときに、初めて男らしさのプレッシャーから解放されたと言います。

 いわゆる「男らしさ」に自分を当てはめていくことは<自分の納得していない物語のなかで、意思もなく演技をさせられること>(P.231)だと気づき、男らしさに囚われずに自分らしく行動することで、「男らしさの危機」から脱することができた、というわけです。

男同士の優しいつながり。可能性はスポーツにある?

 私は昔、親しい男友達に、こう言われたことがあります。「男友達には弱みは見せられない」と。彼は私には弱いところを見せていて、いろいろ打ち明けてくれていました。頼りにしてくれることを友人として嬉しく感じていたのですが、その発言を聞いたとき、若干、もやっとしたことを覚えています。

 男同士なら強がらなければならないけれど、女相手なら大丈夫ということ。女である自分がナメられているようにも感じましたし、そういった考えは、のちのち彼自身を苦しめることになりかねないと思ったからです。

 悩みが小さいうちなら問題はないかもしれませんが、失職したとき、金銭的に追い詰められたとき、精神的または肉体的な病気になったときなど、自分が望まなくても「男らしくない自分」をさらさなければならないときがくるかもしれません。そういったときに、男性相手に弱さをさらすことを極度に恐れ、恥だと思うことで、追い詰められる可能性は十分にあると考えられます。

 男同士でケアし合えること、弱さを見せ合えることで、男性がより生きやすくなるとするならば(それは女性も生きやすい世の中につながります)、ボクシングなどのスポーツを通して男同士の弱さを見せ合い、お互いをケアする文化を醸成していくことは、ひとつの大切なライフハックかもしれません。

 『トランスジェンダーの私がボクサーになるまで』。旧来の「男らしさ」に違和感がある方や、男同士の親しい関わり方について考えたい方におすすめの一冊です。

(原宿なつき)

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