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12月15日に了承された第5次男女共同参画基本計画案から「選択的夫婦別姓」の文言が削除された。夫婦の姓が選択できるようになるまで、まだしばらく時間がかかりそうだ。
私は選択的夫婦別姓支持者なので、反対論者の言う「両親が別の姓を名乗ると日本の伝統的な家族感が壊れる」という意見が理解できなかった。
しかし、日本国憲法制定の一過程を描いた樹村みのりのマンガ『冬の蕾』を読み、反対論者が思い浮かべる「伝統的家族」について知ることで、彼らの主張が理解できた。たしかに「これこそあるべき姿」という人はいるだろう。なんせ「伝統的家族」の肯定は、世界を構成する半分の性である、女性の合法的搾取の肯定なのだから。
本作を読むと、戦前の日本で育ったひとりの外国人女性の目から、かつての日本の姿を見直すことができる。そして、その女性が憲法の条文を通し、女性の権利を守ろうとしたことも。
ユダヤ人の一人の少女が見た、家父長制と男尊女卑
『冬の蕾』の主人公、ベアテ・シロタはオーストリア生まれのユダヤ人。1928年、5歳の時に、ピアノの教授として日本に招かれた父とともに日本に移り住む。
幼少期から思春期までを日本で過ごしたベアテは、日本に根付いていた男女差別を幼いころから目にしていた。
作中では、幼いベアテが友人の家で見た光景が印象的に描かれる。帰宅してコートを脱ぐのも部屋着に着替えるのも、すべてを妻に手助けさせる父親。
それを見たベアテは「真梨子ちゃんのお父さまって小さな子みたい」と笑う。これはもちろん笑いごとでなく、夫が妻の手足を私物化していることのあらわれなのである。
こうした男尊女卑は生活習慣だけでなく、法律・制度上のものでもあった。たとえば、当時の民法には「妻の無能力者」と呼ばれる制度があった。明治民法第14条から18条に規定された、結婚後の女性の権利について示した制度だ。
結婚して夫の姓に入ると、もともと妻が持っていた財産も夫のものになり、妻が自由に使うことは許されないというもので、妻を禁治産者として扱うひどい法律だった。
明治民法は家父長制を基調にしており、この「妻の無能力者」制度以外にも、「夫の姦通は離婚の原因にならないが妻の姦通は刑法上の罪となる」「夫が妻とその浮気相手を刺傷しても罪にならない」「男兄弟は姉妹に優先して戸主となるため、財産はすべて男性が相続する」など、人権無視の法律がたくさんあった。「個人の尊厳」より「家」を重視する、当時の日本の体質がよくわかる。
偶然訪れた憲法草案作成の場で、女性の権利を明記
ベアテはその後、15歳で進学のためにアメリカに渡り、女性の学長を持つ女子大で勉学を修める。しかし、1941年に太平洋戦争が勃発。日本に残った両親とは音信不通になってしまう。終戦直後の1945年12月、日本で両親を探すために語学の能力を生かして民政局に就職。両親との再会後の翌1946年、彼女は民政局の一員として日本国憲法の草案を作ることになる。
法律の専門家でないベアテが、草案の作成に関わることになったのは事情があった。日本政府が最初に作成した憲法草案が、大日本帝国憲法と代り映えしないものだったため、GHQ側が民政局のメンバーで民主的な憲法草案を用意し、それをもとに日本政府に憲法を作らせようとなったのだ。
この偶然の差配が、日本国憲法における女性の扱いに大きな影響を及ぼす。
日本社会の封建的風土や男尊女卑をよく理解していたベアテは、女性の権利に関するとても長い条文を作成した。そこでは、男女の平等に関するしつこいと思われるほどの念押しと、きわめて個別具体的な女性の権利の保護が訴えられていた。中には「妊婦及び乳児の保護に当たっている母親は既婚であると否とを問わず、国の保護及び彼女たちが必要とする公の扶助を受けるものとする」といったものも。
この長い条文は、GHQ内の会議で「長すぎる」「民法の分野で取り扱われるべきものが含まれている」などと指摘される。客観的にはもっともな意見だが、封建制度の深く根付いた日本社会の在り様を見ていた彼女は「日本の民法を書く人達が女性のことを考えてくれるとは思えません」と熱弁し、自らの書いた条文を通そうする。
この討議を読んで思い出したのが、2019年5月、角田由紀子弁護士が『性暴力被害者を孤立させない法律を』というイベントで語った「解釈の指針や事実認定が、男性のみの経験則に依拠している」という言葉だ。この年の3月、性暴力被害に関する裁判での無罪判決が相次いでいた。フラワーデモのきっかけになったこれらの判決を見るに、ベアテの懸念は当たっていたと言える。
結局、ベアテの書いた条文は大幅に修正され、最終的に以下のようにまとめられ、GHQ草案として日本政府に提出された。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
具体性のある表現は削られてしまったが、婚姻や財産の所有など、さまざまな権利が”個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚”という大前提は残された。この条文、聞き覚えのある人もいるだろう。そう、現在の日本国憲法第24条だ。
しかし、この条文を通すにあたり、もう一つ大きな山があった。憲法制定委員会で、日本側がベアテの条文の全面的削除を求めたのだ。GHQと日本政府が討議するこの会議には、ベアテも通訳として参加していた。
「我が国には家族制度の長い歴史がありそれによって国家の状態もまた維持されてきたのです」「そもそも男性と女性が平等と言われても………」という日本側。
「家族制度の長い歴史」? おっ、「選択的夫婦別姓」の議論では「伝統的家族」という表現で出てきた考え方がここにも。
しかし、ここでベアテが通訳に加わっていたことが幸いする。GHQ側が「日本で生まれ育ち、日本に好意を持っているシロタさんが日本の女性のことを思って書いたものです。彼女を悲しませずに通過させましょう」と提案したのだ。
真摯に通訳を続けてくれる彼女に対する好印象や、長い討議の疲れもあったのか、日本側もこの条文をそのまま受け入れた。首の皮一枚つながり、ベアテの記した権利と平等は守られた。
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