コロナ禍に疲弊した今こそ、人を頼って共に生き抜きたい——必要なのは、「できない」「休みたい」「しんどい」「助けて」のひと言

文=みたらし加奈
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GettyImagesより

——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

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 2021年1月8日、2度目の緊急事態宣言が発出された。対象は1都3県、内容は「夜8時以降の住民の外出と飲食店の営業を自粛すること」。海外のロックダウンと違い、日本の「緊急事態宣言」には法的な拘束力はない。学校は休校にならず、全ての会社がリモートワークに切り替えられるわけではない。しかし事業者への休業や営業時間短縮要請には、給付金と罰則を伴うことが決定された。

 新型コロナウイルスという感染症が発見され、2020年の初夏までは「緊急事態」という状況をアドレナリンで乗り切っていた人も多いと思う。夏頃には収束の気配もみられはじめ、経済活動を重視する風潮も出てきた。また(まったく同じではないものの)元の生活に戻り始めたような空気感もあったように感じる。

 しかし私はその時期から、「この冬」が怖くてたまらなかった。ただでさえ冬は日照時間が少ないため心の不調に陥りやすいのに、それに加えてこの状況である。アドレナリンが切れはじめ、その分の疲れが一気に襲いかかってくる。そうすると無気力になり「感染」に対しての自衛意識が低下したり、自暴自棄になってしまう人たちも出てくる。路上生活者や失業者が増え、経済状況も厳しくなってくれば自殺者も増加する。

 「暗いことばっかり言わないで、明るい話をしてよ!」と言われても、やはりこの状況から目を背けることはできない。2020年の1年間で国が失った信用は大きかった。しかし、そんな政府への怒りの声が「諦め」に変わってしまった人も少なくないのかもしれない。私もまた、そのうちの1人だった。

しんどさを認めることが難しかった

 2020年末、もうヘトヘトになってしまうくらい心がすり減っていた。仕事の連絡にも返信ができず、頼まれた課題すらこなせないほどに限界が近づいてしまっていた。ハワイから帰国をしてから、“コロナ禍におけるメンタルヘルス”についての発信をしてきたものの、思っていた以上に自分自身もやられていたのだと思う。国や制度に対して怒っている時間も長く、2020年が平穏な年であったかと振り返れば、答えは“NO”である。だからこそ、なるべく“ご自愛”をしようと意識していたつもりだったが、いつの間にか心を置いてきぼりにしてしまっていたのかもしれない。

 同時に、コロナ禍によって、定期的に通っている教育分析(カウンセラーのカウンセリング)の頻度が少なくなってしまったことも要因のひとつだと思う。年末に向かうにつれて、どんなニュースを見ても“諦め”を感じるようになってしまった。なるべく情報から遠ざかって、独りになりたかった。

 1カ月で2回目の月経が来たときに、いよいよ「あぁ、これはだめだ」と実感した。自分を甘やかすということは、単に「独りで好きなことをする」というだけではなく、「周囲に甘えること」とも繋がっていることに気がついてしまった。どれだけメンタルヘルスについて学んだとしても、私は後者がとてつもなく苦手なのだ。だからこそ、「ご自愛」が足りなくなってしまったのかもしれない。あれだけ「独りにならないで」と発信してきたつもりだったのに、いざ自分のこととなると周囲にSOSを伝えられなかったのだ。相手が大切であればあるほど口を閉ざしてしまう自分の習性を、改めて痛感した瞬間でもあった。

 そんな悪しき習性に別れを告げるため、まずは「できない」ことを伝えてみようと決意をした。周囲の人に「休みたい」ことを伝えてみた。台湾に住んでいる親友と連絡を取ってみた。オンラインサロンのメンバーにも「しんどかった」と伝えてみた。明け方までパートナーと話をした。三者三様の反応でも、皆が真剣に耳を傾けてくれた。その頃にはもう、罪悪感よりも感謝の気持ちのほうが強くなっていた。こんなに素敵な人たちに囲まれているのに、私はまた独りで殻に閉じこもろうとしていたのだ。自分を縛り付けていたのは、紛れもなく自分だった。

 「みんな大変な時期だから」とか「私なんかが弱音を吐いちゃいけないから」とか、自分で無意識に“規則”を課してしまっていたのだ。しかし、もしかしたらこれは私だけの「習性」ではないのかもしれない。コロナ禍によって、それまで以上に「しんどい」が伝えられなくなってしまった人も多いのかもしれない。国からの「公助」がしっかり働くように皆で連帯して声を上げることも大切だが、私と同様にそもそも「自助」すらできていない人もいるように感じている。実はこの世は「自己責任」で溢れていて、コロナ禍によってそれが浮き彫りになってしまった。もちろん責任のある行動をすることだって大切だけれど、苦しみを背負う必要はなくて、私たちはいつだって「手放す」権利も持っているのだ。

 この年末年始に学んだことは、「100点満点で生きる必要なんてない」ということだ。そして「60点くらいで生きていられたら充分すごいことだ」と気がついた。そもそもそこんな状況を生きているのだから、それだけで50点は与えられて当然である。2020年を生き抜いた私たちは、充分すぎるくらいに頑張った。残り10点は「生きる」ことだけに集中するだけで、SOSを求めたって、十分得られる点数だ。「助けて」が言えたおかげで、私はまたパワーを取り戻した。

 この文章を読んでくれている人が、少しでも「自分も心当たりがあるな」と感じてくれたのであれば、2021年は「吐き出すこと」を私と一緒にトライしてほしい。“心の充電”が切れないうちに、自分の声に耳を傾けて、しんどさを吐き出してみる。2021年は「生き抜くこと」、そして「助けを求めること」に全力を注いでいきたい——ひとりで60点を目指すことはもしかしたら苦しいかもしれないが、誰かに頼ることでそれが少しでも楽になることもあるのだ。そんなことを感じた年始だった。

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