
Getty Imagesより
●ダースレイダーの「小学生からやり直せ!」(第1回)
菅義偉総理大臣が緊急事態宣言を発出した。
2020年の就任時に政権の看板として掲げたコロナ対策において、Go Toキャンペーンを軸とした経済対策と並走させる政策は、昨年末の「Go Toトラベル停止」「Go Toイート延期」という形で見事に失敗。感染拡大に対して具体的な施策を講じることもできないままの緊急事態宣言だ。
その宣言自体も時短営業などの行動要請に留まる中途半端なもので、私権制限の議論以前の生ぬるい印象だ。期間が1カ月に設定されたが解除条件は「ステージ4から3になったら」という内容で感染拡大を防止するという意志は感じられない。
ちなみに直近のGo To トラベル停止では、菅総理と二階俊博幹事長のステーキ会食や、宮腰光寛議員の宴会での転倒救急搬送といった不祥事が続いたものの、緊急事態宣言下ということで反故にされている。そんな混乱の最中でも、「緊急事態宣言が解除されたら即時Go To再開」という二階幹事長の声だけは大きく響いてきた。
日本政府のトップは「発信力」を軽視する
下手くそだと思う。菅総理、そして菅政権はメッセージの伝え方がとにかく下手だ。
政治リーダーに要求されるスキルは様々あるが、政策を実行するためにメッセージを伝える力は表に立つ立場なら不可欠な重要スキルだ。
コロナ禍は世界が同時に直面した課題であり、各国のリーダーの力量が問われる場面がかつてない程増えたと思う。ドイツのメルケル氏、ニュージーランドのアーダーン氏、台湾の蔡英文氏あるいはニューヨークのクオモ氏らのメッセージはそれぞれの状況に差異はあれど、人々の心を打ち、力強く受け取られていた。こうしたリーダーのメッセージは市民との信頼関係がベースにあり、だからこそ受け入れられた背景がある。
また、英国のジョンソン氏のようにブレグジットを巡る挙動で不信感を持たれていたが、コロナに感染し、それ以降は我が事としてコロナ対策を発信するようになってから信頼感がグッと増した例もある。
菅総理はどうか?
前任者の安倍晋三氏もコロナ禍において首相会見が少なく、記者クラブが事前に官邸と共有している質問を原稿を見ながら答える場面が続いた。
しかも会見では謎の一問一答ルールが存在し、更問が出来ない。質問への答えが不正確だったり、事実関係を確認したくてもそこに質問を重ねることができないのだ。
しかしフリージャーナリストの江川紹子氏が立ち去り際の安倍氏に向けて「まだ質問がある!」と呼びかけたことがきっかけでフリーのジャーナリストにも質問の機会が与えられるようになった。その後数回の会見では安倍氏も原稿を読むのではなく、自身の言葉で質問に答える場面が増えた(ただ、この時間帯は会見開始から45分経ってからの話で、NHKでは何故かここで中継を打ち切って解説タイムに入る。これもメッセージの伝え方としては下手くそだ。ネットの中継はテレビ放送が終わってもそのままされているので中継打ち切り自体も可視化されている)。
とはいえ、これは歓迎すべき変化である。僕ら国民一人一人は首相に質問する機会はなかなかない。首相会見に参加できる記者は国民の代わりに質問するのだから、これだけ関心事が多い時期になるべく多様な視点から提起される課題への答えを聞きたいからだ。
ところが菅総理はこの変化を継承しなかった。「前例を踏襲しない」という宣言のもと、安倍氏より悪化。限られた記者と密室インタビューに応じ、残りの記者は隣室で声だけを聞くという、確かに前人未到だが透明性がなさすぎる謎の形式を取り入れた。その上、記者を招いたパンケーキ懇談会まで企画した。どちらも国民に背を向けたもので、なんなら「この有事にパンケーキを食っている」というメッセージになってしまう下手くそぶりだ。
最近になってようやく記者を入れての会見を行うようになったが、コロナ禍を理由に抽選で人数を絞りながら参加した人全員には質問機会を与えず、事前に集めた質問への答えを下を向いての朗読会。
1月13日の会見ではフリージャーナリストの神保哲生氏の質問は答えが用意されてなかったためやっと自分の言葉で答えたが、医療法改正に関する質問でなぜか国民皆保険に言及。聴いている人に要らぬ動揺を与える下手くそぶりを更新した。
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