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あれはたしか、私が小学校高学年のときだった。姉から一冊の本を手渡されたあの瞬間を、今でもまざまざと思い起こせる。その漫画は、『セクシーコマンドー外伝。すごいよ!!マサルさん』(うすた京介・集英社)。最初は、汚い絵だな、と思った。しかし、数ページめくったところで、お腹が痛くなるほど笑わされ、マサルさんの世界に一気に引き込まれた。
体育祭では、『服脱がざるもの。コーヒー飲むべからず』(マサルさんのセリフ)を大きくクラス全員おそろいのつなぎに書きなぐったり、将来はマサルさんのような彼氏がほしいと思っていた。のちに、マサルさんが「週刊少年ジャンプ」なる漫画誌で連載されていたことを知る。しかし大人になるまで、私が「ジャンプ」を読む機会は一度もなかった。どんな雑誌なのかも、よく知らないままだった。
時は流れ、30代になった私は、「週刊少年ジャンプ」を毎週発売日に購入している30代男性と居を共にすることになった。パラパラめくって見ると、「めっちゃ戦ってる熱い世界」がそこにあった。掲載されているどの漫画も、けっこうな頻度で血が流れていた。
少年ジャンプの標語(?)は、「友情・努力・勝利」らしい。なるほど……今も昔も少年少女は「友情・努力・勝利」に胸アツになっているのか、と思うと同時に、「友情・努力・勝利」を欲し、憧れるのは、中年女性も同じ(成人男女の「ジャンプ」愛読者も多いそうだが)ではないかと思った。
……というより、「友情・努力・勝利」こそ、仕事や家事、育児に追われている一部の中年女性を解放するキーワードかもしれない。
「友情・努力・勝利」を地で行く中年女性の熱い戦い

『女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社 キム・ホンビ著 小山内園子訳)
そう思ったのは、『女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社 キム・ホンビ著 小山内園子訳)を読んだからだ。本書は、30代の韓国人女性キム・ホンビがアマチュアサッカーの魅力にとりつかれる過程を書いた体験記だ。
たとえばこんな場面がある。あるときキム・ホンビの所属するチームが強豪チームとプレイすることになった。その試合をライバルチームである「FCペニー」は、早朝から長時間かけて観戦しにやってくる。
両チームは試合中に激しいバトルをしたばかりだったのでキムが訝しげに思っていると、「何しにきたかって? そっちがボロ負けするのを見て笑いに来たに決まってるじゃないよ」と挑発され、「あんだって?」と再びバトルになりかける。しかしキムの所属チームの負けが決まると、誰よりも悔しそうにするのもまた「FCペニー」なのだ。
「FCペニー」のキャプテンは言う。
「オタクらはムカつくし大嫌いなんだよ。でも同じやられるんだったら私たちにやられなきゃ。他所にやられてんの見るのは、それはそれで頭にくるの」
熱い日も、雨の日も練習に励み、自分の肉体の限界に挑む。チームメイトと激しくぶつかり、すれ違いながら、連帯を強め、勝利に向かって突き進んで行く。まるで少年漫画の世界観だ。
女性たちの運動がステレオタイプと戦う「運動」になる
彼女たちは男でも、若くもない。しかし韓国でアマチュア・サッカーに熱中する女性たちのうち、もっとも意欲的に活動している年代は40代、50代らしい。
ここには様々な理由がある。ひとつは、韓国では体育の時間に男子はサッカー、女子はドッヂボールと決められていて、若い女子がサッカーに触れられるチャンスが限られていたため。もうひとつは、40代、50代は子どもが大きくなって、育児から解放される年齢だからだ。
ただ、「(中年)女性はサッカーをしない」というイメージや、中年女性に期待される役割(家事・育児)があるため、彼女たちは少年漫画の主人公のように、一直線に戦いに邁進することはできない。
「週末ここでサッカーしてたら、ダンナのお昼ご飯はどうするんだ?」
「ご主人は、サッカーしていいって言ってんの?」
こんな質問を投げかけられ、男性からは「サッカーっていうのはね」とマンスプレイニングされる。元ナショナルチームのキャプテンだった中年女性選手に、サッカーの基本をレクチャーする素人男性もいるほどだ。たとえ女性がその道のプロフェッショナルであったとしても、「その道」が「男性の道」だと思い込んでいる男性にとっては、「教えてあげる対象」に見えるのだ。
選手たちは、それぞれの方法でこういった障害に対抗する。ある人は「なんで女がお昼ご飯つくらなきゃならないんですか?」と真正面からぶつかり、ある人は、マンスプしてきたチームをサッカーの実力でボコボコにのして、勝利を収める。
彼女たちの行動は、「偏見と戦うための運動(アクティビズム)」に自然とつながっている。
ひとつの欲望を打ち消すものは恐怖ではなく、より強烈な欲望
キム・ホンビは、サッカーに猛烈に夢中になることで自然ともうひとつの「脱コルセット」(メイク、ハイヒール、脱毛、スカートなど、女性はこうあるべきだと規定されている装いを脱ぎ捨てること)をしていた。といっても、一切メイクしなくなったかブラジャーをやめたというわけではない。サッカーを始める前は絶対につけたくないと思った、足の筋肉の力こぶ、これを嬉しいと感じるようになったのだ。
これは、「美しい」とされているほっそりと華奢に見える肉体に近づくよりも、彼女にとってもっと大切なものができたから起こり得た変化だ。
<ひとつの欲望を打ち消すものは恐怖ではなく、より強烈な欲望だった。「サッカーが上手になりたい」という大事な目標。(略)体型どうこうよりも二時間全力で走ってへたらない体、相手選手の守備プレスにも耐え、「疲れて死にそうでも、足のほうが、勝手に前に進む」からだが欲しかった。自分の体を、サッカーに最適化した状態に持っていきたかった。「美しい髪型」より「楽な頭」、「きれいな体型」より「強い体」の方へ>(P.146)
サッカーへの激しい献身。チームメイトとともに体を鍛え、勝利を求めるその姿勢は、まさに「友情・努力・勝利」だ。
最後に、サッカーチームに入ったばかりの焼肉店勤務、40代女性ミスクさんの言葉を紹介する。
<「ゆうべはイヤな客が二つのテーブルに陣取ってホント大変だったんだけど、明日の朝はサッカーだって思ったら、なぜかそんなにイライラしないのよ、ハハハ。こういう感じ? おいオマエら、アタシをただの、そんじょそこらの食堂のオバチャンだと思われたら困るよ。アタシゃ実は、サッカーをしてる女なんだからね! って。そう心のなかで思ってたら自然と胸を張ってんのよ!>(P.227)
彼女には仲間との絆があり、努力が苦にならない情熱がある。それさえあれば、勝利を手に入れたも同然だ。
(原宿なつき)