「熱いのは今だけだ」——刺激に無理やり適応して壊れてしまう。「熱い」「痛い」まず口に出してみて

文=みたらし加奈
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(C)みたらし加奈

——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

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 突然だが、私は熱いお湯に入ることが好きだ。全身から汗が出て、手足がジンジンと脈打つくらいの温度のお風呂が好きなのだ。そのため、私のあとに入る人たちには「加奈のあとのお湯が熱すぎるよ!」と責められることも多い。しかし、私自身は熱いことに気づいておらず、そう伝えられてやっと「あれは熱かったんだ」と、ハッとしたりする。

 昔からなんとなく、「痛い」とか「熱い」みたいな感覚に鈍いような気がしていた。熱したフライパンに触れたまま、気が付かずに火傷を負ったこともある。1つのエピソードだけを切り取ってみれば笑い話にもなるが、正直なところ、人よりもずっとずっと「危険信号」を察知する能力が低いのではないか? と不安を感じるようになった……いや、というよりも「危険はわかっているけれど、アラームを鳴らすのが遅い」と表現したほうが適切なのかもしれない。

 たとえ熱すぎるお湯に入ったとしても、「熱い!」という反応よりも先に「このまま入っていれば慣れるだろう」という感情が来てしまう。時間が経てばきっと体感温度は慣れていくだろうし、お湯だって冷めていって、そのうち痛くも熱くもなくなるはずだ。そうやって「環境の変化」や「自分の耐性」だけに頼りながらやり過ごしてしまう。知らず知らずのうちに火傷を負って、次に入るときは皮膚が敏感になって、さらに痛みを感じる。そんな状態になったとしても、「熱いのは今だけだ」とか「痛いのは今だけだ」と耐えてしまう自分がいる。

 心の感覚と身体の感覚を切り離すと、本来なら「耐えなくてもいい」ことまで耐えられるような気がするのは私だけだろうか。しかしそれは単なる「お湯の温度」だけの話ではない。私は「ストレスを感じたとき」にも同じ反応をしていることに気がついたのだ。ストレスがかかっていることに体は気がついているはずなのに、頭のどこかで「まだ耐えられるかな」とか「まだ大丈夫だよな」とやり過ごそうとしてしまう。本当は助けを求めていい状況に置かれても、なんとなく自分自身を矯正しながら適応しようとしてしまうのだ。実はそんな状態を、心理学用語では「過剰適応」と呼ぶこともある。

 私が初めてその言葉を知ったのは、大学院の指導教官に「君の反応は過剰適応だ」と言われた時だ。「過剰適応」とは上記にもあるように、周囲の人間関係や環境に”過剰に”適応しようとしてしまう心のメカニズムである。その状態の時は交感神経が優位に働き、覚醒が高まることでストレスを感じにくくなることもある。一見それは「ストレスへの耐性が強い」ようにも見えがちなのだが、実は覚醒することで「ストレスを感じていないような状態」を錯覚しているだけなのだ。なので、無自覚のままダメージは受け続けている。その言葉を知った時に、ストンと腑に落ちた。

口に出すことで痛みに敏感になる

 メンタルヘルスについて発信をしていると、「どのタイミングでSOSを出せばいいのかわからない」と聞かれることは多い。専門家の私ですら自分のSOSを見逃してしまうことがあるのだから、実はメンタルヘルスのSOSサインを見極めることは至難の業なのかもしれない。心を休めることが「甘え」ではないと完全に理解していたとしても、やっぱり「心が苦しいかも!」と認めてあげることは難しいのだ。その上、第三者に「助けて!」なんてもっともっと言えないだろう。SNSなどで「心が苦しい時は誰かを頼ってね」と言っている私だって、そんなことはわかっている。でもわかっているからこそ、ずっとずっと「過剰適応をしなくていい方法」を探し続けている。

 まず私は、「熱い」を伝えてみようと思った。少しでもヒリヒリと感じたら「アツッ!」と言ってみることから始めてみたのだ。面白いことに、ひとたび「熱い」と口にしてみると、今まで我慢できていた熱さが、途端に不快なものになってきたりする。それと同時に「痒い」とか「痛い」とか、そういう“刺激に対する反応”も、敢えて口に出すように心がけてみた。なるほど、口に出してみると感覚が鋭くなったような錯覚に陥る。でもそれはきっと錯覚なんかじゃなくて、もしかしたら「正常な感覚」なのかもしれない。だからそれと同じで、いつもは耐えられていることにだって「しんどい!」と口に出してみることも大切なのだと思った。

 私が生きていく上で、「過剰適応」は必要なスキルだったのかもしれない。でも、それだけだとやっぱり苦しいのだ。1人で黙って背負い込んでしまうのは、熱くて痛くて辛いことでもあるし、知らず知らずに心と身体を傷つけている。皮膚がただれてしまった後に「熱かった」と気がつくのでは遅いのかもしれない。もちろんその状態になってからだって治療はできるけれど、やっぱり早めに気がついたほうがいいに決まっている。熱くてもやり過ごすのは「ご自愛」ではない、感覚を大切にすることこそが真の「ご自愛」なのだ。

 あなたがこの文章を読んで、共感をする部分があれば、一緒に声に出すことにトライしてみて欲しい。何かがあった時に、ほんの少しでも胸が傷んだら、ほんの少しでも思考が停止したら、ほんの少しでも気持ちが落ち込んだら、「つらいかも……」と言ってみてほしい。誰かに伝えられなかったとしても、口に出した言葉を自分で再認識することもある。声に出せなくても、「辛い」とか「しんどい」という言葉を可視化できるのであればなんでもいい。もしもあなたができなかったとしても、私はそれを頑張ってみようと思っている。だって私の身体や心は世界に1つしかない、決して替えの効かないものだから。

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