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●日本人のつくりかた(第3回)
他人の「選択的夫婦別姓」が、どうしてそんなにイヤなのか
2020年12月末、政府の第5次男女共同参画基本計画改定をめぐって、自民党内では、「夫婦別姓(夫婦別氏)」への展望をどのようにもりこむかをめぐる政策的対立があらわとなった。
「男女共同参画基本計画」とは、今後10年間の「基本認識」と、今後5年間の「施策の基本的方向」及び「具体的な取組」を定めるものだ(内閣府男女共同参画局のWEBサイトに拠る)。2020年12月4日時点での政府原案では、選択的夫婦別姓の容認について、次のように触れられていた。
「誰一人取り残さない」社会の実現に向けて、婚姻前の氏を使用することができる具体的な制度のあり方について、国会において速やかに議論が進められることを強く期待しつつ、国会での議論の動向などを踏まえ、政府においても必要な対応を進める
(朝日新聞DIGITAL 2020年12月15日付記事による)
「議論の動向などを踏まえ」「必要な対応を進める」という実に曖昧な書き方をしているとはいえ、夫婦別姓を可能にする制度について議論することが方向性として示されていた。
ところが、この程度の文面であっても、自民党内の夫婦別姓反対派は強硬に抵抗した。反対派有志議員は「『絆』を紡ぐ会」なる議員連盟を結成して下村博文自民党政調会長に申し入れを行ったり、基本計画原案を議論する党の会合に反対派議員を動員するなどの動きを強めた。
その結果、できあがった基本計画改定案は、大幅に後退したものとなった。
家族形態の変化及び生活様式の多様化、国民意識の動向なども考慮し、夫婦の氏に関する具体的な制度のあり方に関し、戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史を踏まえ、また家族の一体感、子供への影響や最善の利益を考える視点も十分に考慮し、国民各層の意見や国会における議論の動向を注視しながら、司法の判断も踏まえ、更なる検討を進める
改定案からは「婚姻前の氏を使用することができる具体的な制度のあり方」といった夫婦別姓をめざす方向性は消え去り、逆に新たに「戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史」「戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史」といった、保守派の家族観にかかわる文言が盛り込まれた。これは「後退」というよりも「逆行」に近い。
選択的夫婦別姓に反対する山谷えり子参議院議員の言い分
それにしても、選択的「夫婦別姓」なので、「夫婦別姓」をチョイスしない人は何も変えなくていい。だから、「別姓」にしたい人を邪魔しなくていいじゃん――と思うのだが、「夫婦別姓」反対派の人びとにとっては、そんな単純な話ではないらしい。
第5次男女共同参画基本計画案策定にあたって選択的夫婦別姓容認反対派の旗頭となったのが、山谷えり子参議院議員だった。山谷は毎日新聞に掲載されたインタビューで、次のように語っている。
選択的とはいえ、夫婦別姓を認めると、一つの戸籍に二つの氏が入る。ファミリーネームの廃止になり、氏がファミリーの名前じゃなくて、個人に所属するものになっていく。
今は、夫婦別姓の議論に限らず個人や多様性を大事にしようという時代。私もそれ自体は良いことだと思う。しかし、一方で個人や多様性を大事にするためには、社会全体の温かさや寛容さが必要。個人は1人で育つわけではなくて、家族という社会の基礎単位で人格や情緒が育ち、さまざまな文化の伝承を学ぶ。家族によって温かな社会が保たれ、それによって個人も守られる。
菅内閣は「自助・共助・公助、そして絆」を目指す社会像と言っている。日本の場合は、絆というのが大きなパワーだった。絆というのは縛りにもなるから抑圧だという人もいるが、絆という面をやっぱり大きく豊かに時代に合わせて育てていくという知恵が日本の底力につながっていくと思う
(毎日新聞 2020年11月26日)
彼女の論建ての特徴は次の3点だ。
①ファミリーネームの廃止となり、氏が個人に所属するものになっていく
②個人は1人で育つわけではなくて、家族という社会の基礎単位で人格や情緒が育ち、さまざまな文化の伝承を学ぶ
③家族によって温かな社会が保たれ、それによって個人も守られる(これが菅内閣の「自助・共助・公助、そして絆」の基礎にある)
自民党政権下で、いったいどこに「温かな社会」があるのか。そんな社会はとっくに失われているではないかと――直感的にもツッコミたくなるが、ここにあらわれた夫婦別姓反対派の家族観をもう少し観察してみよう。