自民党保守派にとって「選択的夫婦別姓」は姓氏だけの問題ではない 議論を後退させた背景にある“国家観”

文=早川タダノリ

社会 2021.01.30 08:00

 1941年に刊行された女性向け啓蒙書『新体制下 女性教養日記』(伊藤きみ子著、日本教育会)では、次のように平易に解説されている。

 我が国は古来、家を国家社会の単位とし、その生活は家族全体を本位とします。単に現在の家族のみならず、遠き祖先に始まり、子孫によって継続せられる永続的団体が、我が家であります。そして、一家は戸主たる家長によって統一され、代表されてゐます。従つて、家長はその家系を承け継ぎ、家計を保有し、子女を教養し、祖先の祭祀を絶やさないことを以て最大の義務とし、各家族は家のために働き、家を中心として生活してゐます。かくて各人は個人として国家の構成分子たると同時に、家を通じて国家社会を組立ててゐるのです。 (中略)
 我が国民は遠く祖先を遡れば、皆同一の祖先から出てゐるのであります。即ち我が国の家は同一の祖先より派生し、代々これを承け継いで現在に至り、更に永久に子孫に伝ふべき性質を有ってゐるのであります。しかも、その祖先の正系を承けさせられてゐるのが畏くも皇室であらせられます。即ち我が国は一大家族国家であって、皇室は臣民の宗家にましまし、国家生活の中心であらせられます(378頁)

第五期国定教科書『ヨイコドモ下』(文部省、1941年)より「十九、日本ノ国」。家族全員が「コノ国」に生まれたと畳みかけるところに、連綿とつづく「家」の生命を象徴させる。

 「我が国は古来、家を国家社会の単位」とし、「各人は個人として国家の構成分子たると同時に、家を通じて国家社会を組立ててゐるのです」――諸家族がもつ遠い過去からの歴史的連続性を保証するものが「家」であり、その「家」が集まって「一大家族国家」としての日本国家を形成し、その頂点に立つ「万世一系」たる皇統を支える――。

 「夫婦別姓」反対派が、ことあるごとに「家族」を「社会の基礎単位」であると繰り返す理由がよくわかる。もはや家産の継承をその経済的基礎とする「家」制度は崩壊して久しいが、彼らが、氏=ファミリーネームの存続にあれほど固執する背景には、このような思想がバックボーンにあるのだ。

夫婦別姓反対派はなにを怖がっているのか

 先にも引いた八木秀次は、日本会議の機関誌『日本の息吹』2020年4月号で、次のように危機感をあらわにしていた。

同姓と別姓の選択制という主張もあるが、選択制であれ、制度として別姓を認めると氏名の法的性格が根本的に変わる。ファミリー・ネームは制度として廃止される。これは国民全体に関わる革命的変革だ

 彼らにとっては、選択的夫婦別姓といえども、日本国家の基礎をなす「家」=「家族」の解体に等しい「革命的変革」であると認識しているようだ。

 これは単なる「伝統的家族」へのノスタルジーなのではないし、必ずしも「家制度復活」を目指しているのでもない。とはいえ、彼らが恐れおののいているのは、彼らが幻想的に思い描いた〈日本国家の基礎〉が崩壊しかねない・革命のような事態だと認識しているからだ。だからこそ、選択的、つまり別姓にするのは他人であっても、頑強に抵抗するのである。

 ――けれども、その恐怖はホントなのか? ホントに選択的夫婦別姓で日本国家の基礎は崩壊するのか? ホントに「家族の絆」は失われるのか? ということも、ネチネチと考察する必要がある。

 そのカギとなるのが、山谷えり子が毎日新聞に寄せたコメントの末尾に引いた、「自助・共助・公助、そして絆」という菅内閣のスローガンなのだった。(つづく)

(早川タダノリ)

*注記 民法等の法律では、「姓」や「名字」のことを「氏(うじ)」と呼んでいることから、民法や戸籍法の研究者や法務省は「夫婦別氏」という用語が使用されているが、本稿では一般的に使用されている「夫婦別姓」を採用した。

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早川タダノリ

2021.1.30 08:00

1974年生まれ。編集者。戦前から現在までの「日本的なるもの」言説に関心を持ち、各種プロパガンダ資料を蒐集。過去に日本がたどってきた歴史を踏まえながら、現代の「日本イデオロギー」を考察している。主な著書に『神国日本のトンデモ決戦生活』(ちくま文庫)、『「愛国」の技法』(青弓社)、『「日本スゴイ」のディストピア』(朝日新聞出版)などがある。

twitter:@hayakawa2600

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