マイナンバーカードと成績の紐付けは、教育政策の質を高める?

文=畠山勝太

社会 2021.02.01 11:00

Gettyimagesより

 昨年末、「マイナンバーカードと学校の成績などの教育データが結び付けられるかもしれない」という報道が話題になりました。報道後すぐ、SNSなどでは「個人情報が漏洩する可能性がある」「学校の成績が一生付き纏うのか」といった非難が殺到していましたし、みなさんも「何となく怖い」という感想をもっただろうと思います。

 「何となく良い/悪い」という感想を抱かれがちなトピックは、0か1かの極端な議論になることがたびたびあります。

 しかし、こうしたトピックは、やらないという選択も含めて、もしやるのであればどのように制度を設計するかを考えることこそが肝になります。0か1かだけで考えるのは、より良い教育を目指す上であまりにももったいないことになってしまいます。

 そこで今回は、マイナンバーカードと教育データの結びつきについてお話をしてみようと思います。何となく怖いな……と思っている読者の方に「なるほど、このトピックのここは怖いけど、あそこは怖くないな」と思ってもらえるようになれば幸いです。

最初の報道は誤報だった、らしい

 そもそも非難が殺到するきっかけとなった最初の報道は誤報だったようです。各社が揃って誤報をしたので、どこか特定の社の記事を紹介するのも気が引けるのですが、もっとも詳しく報じていた日経新聞の記事を参考に話を進めましょう。

 この記事の内容を2点に絞って紹介すると、政府は

①マイナンバーと学習履歴を紐づける
②マイナンバーを基に蓄積したデータを指導方法の改善や教育政策の検証に役立てる

指針を固めた、ということになります。

 この報道に、経団連の初等中等教育改革の第一次提言の中にある「個人の学習履歴を EdTech を用いて記録し、企業などが活用できるようになれば、企業は自らが求める人材を採用しやすくなる」という記述が結びついて、

③マイナンバーを基に蓄積したデータを、企業が人事に活用したがっている

という辺りに議論が飛び火したように見受けられました。

 一連の誤報記事が出てから1週間後には、これが誤報であることを解説した記事も出回るようになりました。

 何が誤報だったかというと、

①教育データが紐づくのはマイナンバーではなく、マイナンバーカード
②現在想定されている使用方法は、指導方法の改善・教育政策の検証・企業の人事への活用ではなく、転校・進学時に新しい学校に教育データを円滑に引き継げるようにする

という点です。

 これらは文部科学省の最近よくある質問でも取り上げられているので、現時点での行政のスタンスは当初の報道ほど積極的にマイナンバーを活用することは考えていないことがわかります。やはり最初に出た報道は誤報だったか、世間の反応を窺い知るために観測気球が打ち上げられたか、だったようです。

教育データを蓄積すればできるようになること

 マイナンバーと教育データの結びつきに関して、どのようなものがありうるかを簡潔に図示してみます。

 学校教育という営みを考えると、①家庭で育った子供が②学校へ行き、そして卒業して③就職するという大まかな流れがあります。

 ③は経団連が望んでいる、教育セクター内のデータを教育セクター外(企業)へ引き渡すというものですが、世論の反発が大きそうですし、そもそも高校や大学の成績を就職活動の際に提出すれば、人事の際に考慮したい学習履歴の大半はカバーされているでしょうから、この部分に取り組む価値は薄そうです。③については、あまり考察する価値も無いので、次に移りましょう。

 ②は教育セクター内のデータを教育セクター内で活用するというものです。具体的には、ある学校の教育情報を異なる学校に容易に引き渡せるように教育データを整備して、転校・進学をより円滑なものにするというものです。この点は、文部科学省も、当初の報道が誤報であるとした際に強調した、マイナンバー周りと教育データの結びつきの活用です。これは個人情報の保護さえしっかりできれば、大きな害や反対が出るようなものでは無いので、この部分の取組は確実に進んでいくはずです。

 ②の教育セクター内でのデータの活用が、異なる学校へのデータの引き渡しを容易にするという範囲に留まるのであれば、多くの専門家はポジティブな反応を寄せないはずです。

 しかし、日経新聞にコメントを寄せていた教育経済学の先生は、この部分に対してポジティブな反応を示していました。おそらくそれは、②は教育政策の検証を行うところまで視野に入れているということなのだと思います。

 なぜ、教育政策の検証が入るかどうかで②の評価が変わるのかを理解するために仮想の具体例を考えてみます。

 今話題の少人数学級の効果を計測したいとします。Aという学校で全面的に少人数学級を導入したところ、次の年に子供達の学力が向上したとします。しかしこの時点では、少人数学級導入のおかげで子供達の学力があがったのかははっきりしません。

 もしかしたら教育委員会が地域全体にICT教育を導入して地域全体の学力が向上したのかもしれませんし、人事異動で大変優秀な新しい校長先生がそれまでの優秀ではない校長先生と入れ替わる形で赴任して来たのかもしれません。他にも学区内で新たに大学生達が放課後補修を大規模にしてくれるようになったなど、別の要因の影響の可能性が捨てきれないからです。

 このときちゃんと教育データを取っていると、例えばその学校で実験的に国語で少人数学級を実施してみたところ、国語の成績ないしは授業態度などの変化が、他の科目の変化と比較してどうだったかを検証することが出来るようになります。つまり少人数学級の効果をよりクリアな形で出すことが出来るようになるわけです。

 毎年教育データが全ての科目で蓄積されるようになれば、さまざまな教育施策の効果が検証できるようになります。

 これも個人情報の保護さえちゃんと出来れば、大きな害や反対が出るようなものでは無いので、この部分の取組はぜひにも進めていく必要があります。ただ、これだけであれば、何も教育セクター外にデータが流出する恐れがあるマイナンバーカードではなく、生徒IDを作ってそれと紐づければよいのかもしれません。

教育データを蓄積してやらなければならないこと

 報道ではほとんど論点になっていなかったのですが、①のマイナンバーないしはマイナンバーカードを活用して、教育セクター外のデータを教育セクター内に取り込む重要性はかなり高いです。その理由は二つあります。

 一つ目は、フェアに教員や学校を評価するために、教育セクター外のデータが必須になるからです。

 具体例を出しましょう。メディアでよく見かける学校の教育成功談は、某有名男子中高一貫校の元校長先生や、伝統のある某有名公立中学校のエピソードです。しかし、そこでの教育実践は本当に優れたものなのでしょうか? もちろんそうである可能性もありますが、ただ単純にそこに通っている生徒の家庭環境が非常に恵まれているので、それに引っ張られているにすぎない可能性もあります。

 そうした可能性を考慮するために、マイナンバーを利用するというのはひとつの手だろうと思います。マイナンバーには社会保障や税務のデータが蓄積されているので、それを活用できれば、生徒の家庭環境を考慮した上で、素晴らしい教育実践をしている教員・学校・校長はどこにいるのかを特定できるようになります。

 そこから効果のある教育実践から学び、新たな教育政策を生み出せれば、少なくとも現状のメディアが取り上げるような、根拠が薄い「良い」教育よりは、より有意義なものを作り出せるはずですし、教員や学校もフェアに評価されるので、特に不利な背景を持つ生徒が多い学校で頑張っている教員達のモチベーションが上がることも期待できます。

 二つ目は、教育政策上で貧困を可視化することが必要だからです。「日本人がノーベル賞を取得した」「世界大学ランキングで東大の順位がどうだった」といった超トップ層の教育に関することは政策やメディア上で話題になることがよくあります。その一方で、「国際学力調査で、貧困層の学力が世界でトップクラスだった」「貧困層と富裕層の学力格差の小ささが世界でトップクラスだった」といったような貧困や格差の問題が大々的に話題となることはあまりありません。

 私が国連職員だった時もそのような実感があったのですが、色んな国の教育関係者は、メディアも官僚も政治家も、基本的にはエリートが揃っているので、「我が国のエリートは他国のエリートよりも優れているかどうか」に注意が向く傾向があり、生まれ育ってから交わることが無かったような貧困層の子供達のことは悪気も無く無意識に注意が外れがちです。

 今の日本では、いくつかの社会保障に関するデータは学校と結びつけられています。しかし、基本的にはどこの学校が厳しい環境にあり支援を必要としているのか、どの子供が支援を必要としているのか、ということがぼんやりとしか分かりません。これを、マイナンバーに紐づいた社会保障や税務のデータを教育セクター内に取り込むことで明確にして、教育政策の効率を上げるだけでなく、貧困や格差を見える化することで、特にエリート層の教育政策関係者に教育政策を通じた貧困・格差対策を迫っていくことが出来るようになります。

まとめ

 学習データが蓄積されることや、それがマイナンバーないしはマイナンバーカードと紐づけられることは何となく怖いなと思う読者も多かったと思います。

 整理してみると分かるように、学習データの蓄積や、それをマイナンバーないしはマイナンバーカードに紐づけることは、それが教育セクター内で閉じている、ないしは教育セクター外から教育セクター内へ流れ込むだけであれば、むしろ推進した方が良く、教育セクター内から教育セクター外へ出ていくのが怖いという問題です。

 何となく怖いからと反対したり、何となく良いから賛成したりするのではなく、具体的な制度設計の議論が行われるように、ここの部分は良いけど、ここから先はダメだ、という意見を持ってもらえると良いなと思います。

 もちろん、この記事の内容はあくまでも教育政策を専門とする私の見解なので、専門分野が異なる人はまた異なる見解になるでしょうし、特に専門分野が無くても、ある事故が起こった時のリスクの受け取り方や望ましいと思う社会の在り方によって見解は異なってくるはずなので、是非一度、この問題について何は良くて、何はダメなのか、考えてみてもらえると嬉しいなと思います。

畠山勝太

2021.2.1 11:00

ミシガン州立大学博士課程在籍、専攻は教育政策・教育経済学。ネパールの教育支援をするNPO法人サルタックの理事も務める。2008年に世界銀行へ入行し、人的資本分野のデータ整備とジェンダー制度政策分析に従事。2011年に国連児童基金へ転職、ジンバブエ事務所・本部(NY)・マラウイ事務所で勤務し、教育政策・計画・調査・統計分野の支援に携わった。東京大学教育学部・神戸大学国際協力研究科(経済学修士)卒、1985年岐阜県生まれ。

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