そもそも「控える」という日本語は、どんな場面で使われる言葉なのか。新村出編『広辞苑』第七版(岩波新書)には、いくつかの意味が記されていますが、質問への返答という動作に関わるものとして、「(個人の事情や他者への配慮などから)ある行動をとらないようにする。見合わせる」という説明があります(2434ページ)。
こうした意味を知っている野党議員や記者は、「控える」という台詞を発した相手が、何かしらの「配慮」をしているのだ、と勝手に善意で解釈して、引き下がっているようです。しかし、本当ならそこで、一見もっともらしい謙虚さの芝居に騙されず、こう言わないといけません。
「貴方はいま『控える』と言われた。それは具体的に、誰に対するどのような配慮なのですか?」と。
会見などでよく聞く台詞として「個別の何々なので、お答えは差し控える」というものがありますが、これも日本語として成立していない詭弁です。個別の何かであっても、答えなければならないことに関しては、答えないといけない。「個別の何々なので」は理由になっていない。
この、本当は説明になっていない「個別の何々なので」という台詞にだまされる人が多いのは、企業のクレームや問い合わせへの返答でよく見かけるフレーズだからでしょう。「個別の理由についてはお答えを差し控えさせていただきます」という説明を、企業の広報担当者はよく使います。
この企業の態度については、社会的に許容される面もあります。膨大な問い合わせにいちいち返答すれば、業務に支障を来しますし、全ての問い合わせに必ず回答しますとも約束していません。違法行為の疑いがあれば、説明する社会的責任が生じますが、それ以外の状況では、企業側の権利として、「お答えを差し控える」ことが認められています。
しかし、権力を握る首相や大臣、それに事実上仕える公務員は、こうした一般企業の場合とはまったく事情が異なります。彼らは、公務に関する「説明責任」を国民に対して負っており、国民の代表である野党議員や国民の代理人的な立場でもある記者から、政府の権力行使や不正疑惑に関する質問を受ければ、中身のある説明をしなければならない立場です。
この違いを今ひとつ理解していない国民が多いことが、「控えさせていただく」式の詭弁が堂々とまかり通る大きな原因のように思います。野党議員も記者も、相手は企業の広報ではないのだという事実を踏まえて、この詭弁にだまされないようにしなくてはなりません。
「強い立場」対「弱い立場」という関係の固定化
もう一つ、この詭弁には目に見えない、おそろしい「仕掛け」が隠されています。その「仕掛け」とは、「控えさせていただく」式の詭弁を「強い立場の者」が発し、それを「弱い立場の者」がそのまま受け入れてしまうと、「強い立場」と「弱い立場」という上下関係が固定化されてしまう、という心理的効果です。
例えば、我々一般人が税務署に対して「今年は、納税は控えさせていただきます」と言って税金の納付を拒絶することができるでしょうか? 学校の生徒が担任教師に「今回は、宿題の提出は控えさせていただきます」と言えるでしょうか?
おわかりの通り、この詭弁は常に「強い立場の者」から「弱い立場の者」に向けて発せられます。そして、それが詭弁だと見抜かれず、質問者が引き下がれば、その瞬間に「強い立場」と「弱い立場」という上下の関係が、さらに一段階、強固なものになってしまいます。
実際には、「説明/コメントは控えさせていただく」という台詞は「お前の質問には答えてやらない」という傲慢な言い草です。「控える」という言葉が持つ謙虚な響きにだまされて、そこに隠された傲慢さに気づかない人が多い様子ですが、自分が「強い立場」だと自覚している人間しか、この言葉を発することはできないのが現実です。
従って、野党議員や記者は、政治家や官僚が「控えさせていただく」式の詭弁を発した時、それを受け入れてはなりません。権力を握る者と対等な立場でい続けるために、それが欺瞞であると指摘し、何度でも相手が質問に答えるまで、執拗に問い続けなくてはならないのです。
(山崎雅弘)
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